青月夜


キューマは、無言で夜空を見上げていた。
小さい頃から、こうして満天の星空を眺めるのが好きだった。嬉しい時、悲しい時・・・何かあるたびに
キューマはリベラ村の桟橋に来ては、夜空に向かって語りかけるのだった。
星と語り合う術を教えてくれたのは、母だった。かつて、異界から招待された勇者候補の一人で
あったという母は、この地には珍しい褐色の肌の持ち主だった。その血を受け継いだからだろうか。
当然の成り行きのような形で、自分は今・・・キャディという形でパンヤに関わることになっている。

(・・・・・・)

星は、嘘をつかない。・・・幼い日、そう自分に告げた母の声は、今でもはっきりと思い出すことが
できる。
それからは、実に様々なことを夜空の星々はキューマに教えてくれた。そしてそれは、母の死さえも
例外ではなかったのだ。

(どうして、なんだ・・・)

漠然とした問いかけに、答えが返ることはない。しかし、何故かじっと耳を傾けてくれているという
気配は感じるのだった。

「・・・やっぱり、キューマだったんだ。」
「姫様・・・。」
「もう。二人だけの時はロロって呼んでって、いつも言ってるでしょ。」
「・・・・・・。」

不意に笑いを含んだ声をかけられ、我に返ったキューマは背後を振り返った。そこに立っていたのは、
リベラ村村長の一人娘、ロロだった。
黙って海に視線を戻したキューマの隣に、笑顔のロロがちょこんと腰を下ろす。

「もしかしたらと思って来てみたんだけど・・・。こんなところに一人でいるなんて、相変わらずね。」
「・・・・・・。」
「その月琴。たまにはみんなに聴かせてくれても、バチは当たらないと思うけど?」

キューマの手には、古びた月琴があった。かつては遠い異国の民だったという母の、数少ない形見の
一つ。意識して人の目を避けているためか、キューマが月琴の名手であることを知っている者は、
村でも幼馴染のロロを除くとほぼ皆無だった。
ロロの何気ない言葉に、相変わらずの無愛想な様子でキューマが言う。

「相手なら、いる。」
「え・・・?」
「ペンタシュターは賢い。人の言葉も理解するし、音楽もそうだ。」
「そっか。・・・ごめん、あなたのことを忘れてたわ。」

キューマの視線の先に、ロロが小さく手を振る。煌く波間に浮かび上がったのは、キューマの無二の
親友である、ペンタシュターのドルフィーニの姿だった。この“二人”の付き合いが、まだキューマが
ほんの小さかった頃まで遡ることを、ロロは知っていた。

「ねえ、キューマ。・・・もしかして、なにか悩み事?」

黙って月琴の響きに耳を傾けていたロロがこう言ったのは、しばらく経ってからだった。手を止めた
キューマの横顔を窺うようにして、言葉を続ける。

「わたしには、音楽のことはよく分からないけど・・・。今日の曲は、なんだか悲しい感じがするから。」
「・・・・・・。」
「・・・・・・。・・・ひょっとして、エリカさんとうまくいってないとか。」
「違う。」

驚くほど、大きな声だった。それに驚いたのは、言われたロロだけではなかったらしい。気まずそうに
そっぽを向いたキューマが再び話し始めるのを、ロロはじっと待った。
黙り込んだ二人を、穏やかな潮騒が包み込む。キューマの唇から小さな呟きが漏れたのは、随分
経ってからだった。

「一体・・・いつまでこんなことが続くんだ。」
「え?」
「確かにオレの悩みは、エリカのことだ。」

爪弾くのをやめた月琴の上に手を置き、満天の星空を見上げるキューマ。その瞳に、パンヤ島の
夜空を彩る二つの月の姿が映る。

「異界に一人取り残されることになったあいつを、ここに招待しようと決めたのはオレだった。随分
悩んだが、他に手はないと思ったからだ。」
「うん。」
「けどな。本当に、これで良かったのか? あいつには、異界で幸せを見つける方法もあったんじゃ
ないか。それを、オレが勝手に奪ってしまったんじゃないかと・・・あの無邪気な笑顔を見るたびに
思うんだ。」
「キューマ・・・。」
「所詮は他人のオレに、何ができる? このままここでのんびりと、パンヤに明け暮れていて本当に
いいのか? ・・・考えれば考えるほど、やはりオレには荷が重過ぎるような気がしてならないんだ。」

搾り出すようにしてここまで言ったキューマが、ロロの方を振り向く。その若草色の瞳には、やり切れ
なさからくる涙が滲んでいた。
不意に、ロロがくすりと笑った。キューマから視線を外すと、小さく首を振りながら言う。

「なんだ。そんなことだったんだ。」
「ロロ! オレは、真面目に―――――!」
「わかってる。・・・だから、キューマが呼ばれたんじゃないかな?」
「何・・・だって?」

膝を抱えたロロが、遠くを見るような目になった。月の姿を映す水面に目を向け、ゆっくりと言う。

「わたしが招待した、ダイスケさんも・・・辛い過去を抱えてるの。でも、わたしがこうやって笑顔で一緒に
いるだけで、ホッとするんだって。・・・だから、わたしはそれでいいと思ってる。」
「ロロ・・・」
「キューマの場合も、きっとそうなんだよ。エリカさんは、一緒に悩んで、一緒に泣いてくれる相手を
必要としてるんだと思う。だから、キューマなんだよ。」
「オレ、だから・・・?」
「そう。キューマは真面目だから・・・きっと、エリカさんの全てを受け止めてあげられる日が来ると思う。
それは、にこにこしてるしか芸のないわたしには、きっとできないことだと思うし。」
「ロロ、そんな・・・」
「いいの。自分のことは、自分が一番よくわかってるから。」

ここで立ち上がったロロが、小さく伸びをした。キューマに向かってニッと笑いかけると、その膝の上に
あった月琴を指差す。

「いつか、昔の話も笑ってできるようになるよ。それまで、ゆっくり待っててあげたらいいんじゃ
ないかな? わたしは、そう思うな。」
「・・・・・・。」
「その月琴・・・エリカさんにも聞かせてあげなよ。きっと、喜ぶと思うよ。」
「ああ。・・・そうだな。そうするか。」
「じゃあ、わたしは先に寝るね。・・・キューマも、あまり遅くなっちゃダメだよ。」

踵を返し、その場から歩き出したロロをキューマが呼び止める。

「ロロ。」
「・・・なに?」
「どうやら、気を遣わせてしまったようだな。・・・済まない。」
「いいのいいの。じゃあ、おやすみなさい。」
「ああ。」

夜半を過ぎると、リベラ村では夜の祭典、ブルームーンが始まる。その熱気を背中に感じながら、
キューマは再び月琴に手を伸ばした。
また、長い夜が始まる。しかし、以前ほどはそれが苦痛ではない気がした。


あとがき

パンヤ友とロロについて語り合ったとき、脳内設定として「キューマとロロは許婚」という話を聞き
まして。そこから「二人きりのときは〜」というロロの台詞が浮かび、そのまま出来上がったのが
この話です。何だかなあ(大笑)。

なお、ここでちょっと触れたエリカの過去については、またどこかで改めて書きたいと思ってます。
キューマが月琴の名手だというのは、例によって筆者の妄想です(爆)。