私の愛したドラゴン


「この、大馬鹿者がァッ!!」

魔王城、玉座の間。
魔王ヴェラクルスは、たった今自身が殴り倒した相手に向かって、雷鳴のような大声を浴びせた。
居合わせた家臣たちは、その剣幕と周囲に発散される魔力に恐れをなして、小さくなるばかり。怒りの矛先を向けられた相手を助けようとする者は、誰もいなかった。

「貴様、この期に及んでまだそのような軟弱な言を吐くとは! ・・・よく聞け、我が不肖の息子カザルスよ! 魔界を支配するに必要なのは、情ではない! 全ては力! 力無き支配者に、誰が従うものか!」
「それは違います、父上!」

床から起き上がった青年が、血の滲む口元を拭いながら、その怜悧な瞳でキッと相手を睨み付ける。
青年の名前は、カザルス。現魔王ヴェラクルスの一人息子で、次の王位に最も近いはずの人物だった。しかしここ数年、この親子の間には、魔界の支配方法についての意見の相違が生じていた。最近はこうして、それが口論や暴力に発展することも珍しくなく、それが家臣たちをうんざりさせていた。

「確かに、父上の申されることには一理ございます。しかし、それでは魔界は永久に無益な諍いから抜け出すことは叶わないでしょう! 私は、魔界を秩序ある、泰平な世界にしたいのです!」
「秩序だと!? 泰平だと!? ふざけたことを抜かすな!! ・・・悠久の昔から、争いに次ぐ争いによって研ぎ澄まされてきたのが、この闇の世界・・・魔界ぞ! であるからこそ、我ら魔族は常に強大な力を蓄え、他のどの種族からも畏怖される存在となり得たのだ! 貴様の言うような、平穏で豊かな暮らしなど、魔族の衰退を招くのみ! その言、魔界を統べる魔王として、捨て置くことは出来ぬ!!」

カザルスに向かって指を突き付け、迸るようにここまで言ったヴェラクルスが、言葉を切るとその口元を歪めた。

「やはり、あのような軟弱者を守役に就けたのが、余の不明であったか。・・・誰でも良い、今すぐガネーシャを獄に落としておけ!」
「は・・・し、しかし、陛下―――――」
「何だ? 我が命には従えぬと、貴様らもそう申すのか!?」
「は・・・ははッ! 畏まりました!」

ガネーシャとは、この魔王城において長年魔王の為政を助けてきた、有能な参謀の名前だった。その得意とする魔術から「白炎の宰相」の異名をとるガネーシャは、カザルスが一定の年齢に達して以後は、その教育係を兼任していた。
顔色を変えて自らを諌めようとした家臣を一睨みで黙らせると、ヴェラクルスは燃えるような瞳で自分の方を睨み付けているカザルスへと向き直った。

「父上! どうか、お聞きください! 私は―――――」
「これ以上は、聞く耳持たぬわ! ・・・これ以上は言わぬ! よく考えてみることだ、貴様のその惰弱な考えで、魔界が治まるかどうかをな!!」
「・・・―――――ッ!」

しばらくの間、無言で父を睨み付けていたカザルスは、やがて踵を返すと足音荒く謁見の間を出ていったのだった。


  *


「おかえりなさいませ、カザルスさま。」
「・・・・・・。」

自室に戻ったカザルスを、一人の少女が出迎えた。
ボブカットに切り揃えられた前髪によって、左眼は半分以上隠されている。服装は黒を基調としたワンピースで、艶やかな黒髪とよく調和していた。嵌めている手袋には青く輝く紋章が描かれ、履いている靴にはこれも青い薔薇の花があしらわれている。鰓状の耳殻、背から覗く蝙蝠様の翼と長い尾は、この少女が竜の血を引く存在であることを示していた。

「カザルスさま・・・おけがを、なさっておいでですね。」

カザルスの顔に滲む血を認めた少女が、心配そうな表情を浮かべた。傍らに寄り、傷を舐めようと舌を伸ばした少女を押し除けるようにしたカザルスが、ぶっきら棒に告げた。

「大した傷ではない。それよりティア、遠乗りに出かけたい。支度をしろ。」
「はい。かしこまりました。」

ティアと呼ばれた少女が、素直に頷くとその手袋と靴を脱ぎ、カザルスに差し出した。

「これを、おかえしします。」
「・・・・・・。」

仏頂面のカザルスに向かってぺこりと頭を下げ、少女は部屋のバルコニーへと出ていった。
魔王の息子の部屋は、魔王城の三階にあった。バルコニーから地面までの高さは、少なく見積もっても十メートル以上。しかし、少女は躊躇うことなく手摺をひらりと乗り越えると、遥か下の地面目がけて飛び降りた。その刹那、付近は目も眩むような青白い光に包まれた。

『カザルスさま。どうぞ、おのりください。』

魔王城の中庭からバルコニーに立つカザルスを見上げていたのは、先程までの少女ではなく、一頭の巨大な竜だった。
少女は、古代竜エンシャントドラゴンと呼ばれる伝説の種族の末裔だった。その誕生に偶然立ち会うことになったカザルスによって魔王城に連れ帰られた少女は、“コンシェンティア”という名を与えられ、カザルスの騎竜となったのだ。人化の術を施され、人語を教えられて育った少女は片時もカザルスの傍を離れず、現在は魔王城内において、カザルスにとって数少ない心から信頼できる相手となっていた。

『それでは、まいります。』
「・・・・・・。」

その背にカザルスを乗せた古代竜が、紅い魔界の空へと舞い上がった。その後ろ姿はたちまちのうちに小さくなり、やがて見えなくなった。


  *


二人がが向かったのは、魔王城から南西に半時間ほどの場所だった。岬のように突き出した崖の上から見渡すと、溶岩を湛えた池がいくつも目に入った。

(ここは・・・)

人の姿に戻り、カザルスの傍らに立っていたコンシェンティアは、不思議な胸の高鳴りを感じて小首を傾げた。しきりと周囲を見回している相手に向かって、カザルスが何気なく尋ねた。

「どうした?」
「はい。なにか、ふしぎなかんじがいたします。・・・ここにはきたことがないはずなのに、なぜかなつかしいきがするのです。」
「流石だな、分かるのか。・・・その通りだ。ここは、私とお前が初めて出会った場所・・・つまり、お前が生まれた場所なのだからな。」
「!」

岩の突端に腰掛け、その両足を虚空に投げ出していたカザルスが、ここで上体を後ろへと倒した。目を丸くしたコンシェンティアをちらりと見上げ、ゆっくりと言葉を継ぐ。

「ほんの十数年前まで、私も父と同じような考えを持っていた。魔族は力が全てであり、力無き者は生きる価値すらない。こうした魔界の“常識”について、私は何の疑問も持っていなかったのだ。・・・そんなある日、暇を持て余した私は城を抜け出し、偶然ここを通りがかった。そう言えば、今と同じようにここに腰掛け、空を見上げながら考え事をしていたな。」

魔王の嫡男としての、何一つ不自由のない暮らし。生まれたときから全てを約束された人生に、いつしか自分は飽き飽きしていたのだ。
自然と、足は城外へと向いた。数日に亘って城を留守にし、身分を隠して若い暴れ者の魔族たちと交わることもあった。そうした瞬間、不思議と充実している自分を発見し、驚いたこともあった。

「どれくらいの時間が経っただろうか。ふと私は、崖下から聞こえてくる喧騒に我に返った。見下ろすと、そこには古代竜を狩り立てる魔族たちの姿があったのだ。」

魔界には、古代竜の他にも様々な「霊獣」とでも呼ぶべき生き物たちが棲んでいた。例外なく巨大な体躯と強大な力を具えた相手に戦いを挑む“狩り”は、魔族の間で広く行われている娯楽の一つであり、現にカザルス自身もそれに熱中した時期があった。
魔界各地に散見される巨大な骨は、狩りの結果殺され、放置された霊獣たちの死骸の成れの果てだった。

「古代竜は、つがいだった。既に雄は斃され、残った雌が必死に何かを守ろうとしていた。そのいじらしい様子は、憐みの情を誘うものだったな。・・・一方、相手を嬲り殺しにしようとする魔族たちの残忍さは、見るに堪えなかった。次の瞬間、この崖を飛び降りた私は、この場にいた全ての魔族たちを斬っていたのだ。」
「では、カザルスさまは、そのりゅうをたすけたのですか?」
「あれは、助けたとは言えまいな。私が駆け付けたときには、雌竜は既に虫の息だった。・・・私は無道な魔族たちの振る舞いを詫び、その場で誓ったのだ。遺された卵を預かり、それが孵った暁には親として守り育てるとな。その卵が、お前だ・・・ティア。」
「・・・・・・。」
「やがて息絶えたお前の母を前に、私の心は千々に乱れていた。・・・単に力が有るというだけで、このようなことが許されて良いのか。何の罪もない者が、他の者たちの愉しみや暇潰しのために殺される。いくら魔界とは言え、そのようなことが罷り通っていて良いはずがない。・・・その思いは、たった一つ無事だった卵が孵り、お前の無垢な瞳を目にしたことで一層募ることになった。」

ここでカザルスが、いつの間にか自分の傍らに座り込んでいたコンシェンティアの頬に右手を伸ばした。微笑みながら、その柔らかな頬をゆっくりと撫でる。

「・・・そうなのだ。ティアよ・・・私の目を開かせ、この魔界の歪んだ現実に気付かせてくれたのは、お前とその両親だったのだ。・・・だから私は、お前とお前の両親には感謝している。どうやら私は、間違った道を歩まずに済んだようだからな。」

じっとカザルスの言葉に耳を傾けていたコンシェンティアが、ここでつと顔を上げた。自らの頬に触れていたカザルスの右手をしっかりと抱き寄せると、カザルスの顔を正面から見つめ、真剣な眼差しで言う。

「ティアには、カザルスさまのおおせになったことは、よくわかりませんでした。ですが、こんごなにがあっても、ティアはカザルスさまのおみかたをいたします。それが、ティアになをあたえてくださり、ながいあいだまもりそだててくださったカザルスさまへの、ごおんがえしだとおもうからです。」
「ティア・・・。」
「ティアのちからがひつようなときは、いつでもおおせになってください。このいのちは、カザルスさまのもの。それをおしむきもちは、ティアのなかにはありません。」
「済まない。恩に着る・・・。」

竜としての本能なのか、途中から差し出された相手の頭を優しく抱き締めたカザルスが、満足そうに頷くと目を閉じた。

「まずは、近い内に・・・父との決着を付けねばならないな。」

皇太子であったカザルスが、クーデターによって魔王である父を追い、王位を奪うことになるのはこの数年後のことである。以後、魔界はこれまでの混沌の世界から、少しずつ秩序ある世界へとその舵を切っていくことになる。


あとがき

カズがドラゴンイヤリングを装備した際に登場する「お付き」のドラゴン、コンシェンティアの話を書いてみました。この話を思い付いたのは入院直後で、その際最初はコンシェンティアは“男の娘”になる予定でしたが、その後ネルが登場したためその設定はおじゃんになった、という経緯があります(笑)。

本文中に登場した「手袋」は「パワーエンブレムブルー」(これに竜の紋章が描いてあるの気付きました?)、「靴」は「ブラックウェディングシューズ」です。この二つの装備はカザルスが誂えた「魔装具」で、コンシェンティアの人化を保つ働きがあります。