Magic Touch


カディエの家の応接間には、窓に面して大きなソファが置かれていた。
既に時刻は深夜にも拘らず、その日・・・ソファの上には、小さな人影があった。雪明りに照らし出された深紅の瞳が、舞い落ちる粉雪をじっと見つめている。

「・・・クー?」
「!」
「どうした。こんな時間に・・・」

不意に、かけられた声。振り向いたクーの瞳に、応接間の入口に立つカズの姿が映る。その手には、先程まで目を通していたと思しき一冊の書物がある。

「雪を・・・見ていたんだ。」
「雪・・・?」

ゆっくりと近寄ってきたカズに向かって、少し照れ臭そうにクーが言った。

「こんなことを言うなんて、自分でも不思議なんだが・・・」
「?」
「元々、私は寒いのは苦手で・・・雪は嫌いなはずだった。ところが、こうしてじっと外を見ていると・・・何だか今は、心を揺さぶられるような気がするんだ。・・・おかしいだろう?」

はにかんだような笑みを浮かべるクー。その隣にゆっくりと腰を下ろし、並んで窓の外に目をやったカズが、ふっと微笑んだ。

「なるほど。・・・これも、種族の記憶ということかな。」
「?」
「その昔・・・地上に移り住んだ魔族たちの一番人気は、このマガ森だったそうだ。魔界は、灼熱の溶岩が常時流れる暗黒の世界だからな・・・しんしんと降りつもる雪は、魔族には新鮮だったようだ。中には、雪を崇めるあまり、大きな神殿を造った魔族もいたそうだぞ。」
「そう・・・か。・・・私の中にも、その血が流れている、ということなんだな。」

満更でもなさそうな表情で、クーが頷く。
それを最後に、二人の間の会話は途切れた。相も変わらず、熱心に窓の外に目をやっていたクーに向かってカズが問いかけたのは、しばらく経った後だった。

「ところでな、クー。・・・さっきの話なんだが・・・」
「さっきの? ・・・ああ―――――」

振り向きかけたクーが、くすっと笑った。小さく首を振りながら、再び窓へと目を向ける。

「夢を、見たんだ。それで、目が覚めて・・・」
「夢・・・。」
「大丈夫だ。うなされたわけじゃない。・・・むしろ、その逆かな。」
「・・・?」
「あの大会の、少し前から・・・私は毎晩のように、悪夢にうなされた。後で聞いて分かったが、あれは遥か昔の私の・・・いや、クーデリカの戦いの記憶だったんだな。」

微かに心配そうな顔になったカズに向かって、クーが小さく頷いてみせた。向けられた瞳には、いたずらっぽい光がある。

「あれ以来、悪夢にうなされることはなくなった。・・・代わりに、クーデリカの仲間たちの夢を、見るようになったんだ。」
「仲間たち?」
「まあ、流石は魔族というのか、変な奴ばかりさ。カズ、魔王であるお前はまあマシな方だが、他はイロモノもいいところだ。タンプーそっくりの黒熊まで出てきて、それが飲めや歌えの大騒ぎだ。・・・どうやら、クーデリカはそういうものが苦手だったようで、私も毎回夢の中で居たたまれない思いをする羽目になるのさ。」
「・・・・・・。」
「姿は違うが、もちろんケンやエリカのような奴もいる。あの夢を見ていて、魔族も人間も・・・結局は同じなのだと、素直に思えるようになった。」
「そうか・・・。」

再びの沈黙。しばらくして口を開いたのは、カズの方だった。

「もう、あれから二週間だな。・・・どうだ、ここの生活には慣れたか?」
「ああ。・・・最初は、嫌だったんだ。長い間、同じところに・・・それも、魔法だか何だかの勉強のために閉じ込められるなんて、まっぴらごめんだと思ってた。・・・しかし、確かにカディエの言う通りだった。何せ、くしゃみするたびにガラス窓を割るようじゃ、普通の生活は無理だ。」
「・・・・・・。」
「ま、カディエはあの性格だ。厳しいと感じることもあるが、それも私のためを思ってなんだと・・・最近やっとそう思えるようになった。ミンティやティッキーはいいヤツだし、それに何と言っても、アリンの飯は絶品だ! ・・・カズよ、毎日書庫に閉じこもって本ばかり読んでいると、そのうちタンプーのように太ってしまかもしれないぞ? せいぜい、たまには私のようにクラブでも振ることだな!」
「そう言えば、タンプーとも別れて随分になるな。寂しくはないか?」

怪我の治療のためにカディエの家に担ぎ込まれたタンプーは、その傷が癒えると同時にこの地を後にしていた。パンヤ島に散らばるクーの知り合いに事態を知らせて回り、合わせてクーがパンヤ祭の大会に復帰する際の準備を整えるためである。

「寂しくないと言えば嘘になるが、何・・・タンプーは死んだわけじゃない。またすぐ会えるさ。」
「そうか。ならば良いが・・・」
「どうしたんだ、カズ。ひょっとして、私に気を遣ってくれているのか?」
「そうだ。悪いか。」
「え・・・?」

にやにやしながらのクーの言葉に、憮然とした顔になったカズがぶっきら棒に答える。

「お前と私は、前世からの縁浅からぬ関係。そんな相手に気を遣って、何が悪い。」
「カズ・・・。・・・いや、済まん。からかうつもりは、なかったんだ。」
「・・・・・・。」

一瞬ぽかんと口を開けたクーが、ここで素直に頭を下げた。そんなクーに向かって、表情を和らげたカズが尋ねる。

「クー。・・・お前は、この後どうするつもりだ。」
「ん? この後・・・とは?」
「私は、お前に・・・いや、お前の前世であるクーデリカに約束した。長い間孤独にさせた埋め合わせに、これからは共に暮らそうと。・・・しかし、お前はお前だ。クーデリカの魂が天に昇った今、お前を縛るものはもう、何もない。」
「・・・・・・。そうだな・・・」

しばらくの間考える様子だったクーが、ここでソファに座り直した。その横顔には、何かを企むときのような、楽し気な表情が浮かべられている。

「私の目的を、話したことはなかったか? 私は元々、父を捜すために陸に上がったんだ。・・・だから、この体に慣れて、魔力を上手く使いこなせるようになったら、パンヤの大会に戻るつもりだ。」
「・・・・・・。」
「私が、どうして魔族なのか。父はきっと、その理由を知っているはずだ。・・・会って、その理由を聞いてみたい。」
「そう、か・・・。」
「せいぜい、大会では目立ってやるさ。もう、私には怖いものは何もないんだからな!」

拳を握り締め、宣言するようにここまで言ったクーが、やおらカズの方へと向き直った。そして、瞳をキラキラさせながら尋ねる。

「なあ、カズ。ルー族について教えてくれ。」
「何だと?」
「お前は、この家に来てから毎日、書庫にこもりっ切りなんだろう? 何か、面白いことの一つや二つ、書いてあったんじゃないのか?」
「・・・・・・。しかしな、クー。お前にだって、時間はいくらでもあるだろう。自分で調べてみるのも、大事だと思うんだが・・・。」
「生憎私は、そういったものが苦手なんだ。だから、お前に頼んでいる。」
「・・・・・・。」

胸を張り、悪びれずに言い切るクー。半ば呆れ顔になりながらも、やがてカズがゆっくりと語り始める。

「百五十年前。魔界からこの地上に出てきた魔族たちは、各々パンヤ島の各地に散っていった。その多くは、周囲の住民との衝突によって住処を追われ、後に魔王カザルスが勇者アルテアと戦う際、その許に馳せ参じることになった。・・・しかし、その地の住民と融和し、ひっそりとそこで暮らすことを選んだ魔族もまた、かなりの数に上ったのだ。」
「うん。」
「時が経つにつれて、そうした魔族と周囲の住民との間での混血が、次第に進むようになった。その過程で生まれたのが、我々ルー族だと考えられている。外見は人間に近いが、その真の姿は、精神を極度に研ぎ澄ました際にオーラとして発現する。思えばクー、お前の覚醒も・・・そのきっかけは私のせいだったのだからな。」
「ああ。お前の額に角が見えたと思った瞬間、急に胸が苦しくなったんだからな。なるほど、あれがオーラか。」
「・・・以上の経過から、ルー族は魔族と人間の両方の特徴を具えた種族と言うことができる。その強い膂力や魔力、長い寿命は魔族譲りのもので・・・そのために今でも、一部の人間を中心に我々を忌み嫌う者は多い。」
「ふーん。・・・長い寿命って、どのくらいなんだ?」
「我々ルー族の場合は、平均するとおよそ百五十年。異界人、およびパンヤ島の多くの人間や獣人の寿命が高々百年に満たないことを考えると、これはかなりの長さと言える。」

ここまで言ったカズが、不意にクーの方を振り向いた。

「しかし、純粋な魔族の身体を持つお前の場合は、この差はさらに大きくなる。文献によると、その寿命はざっと人間の十倍以上。中にはそのままの姿で、千年以上の長きに亘って生き永らえた者もいるという。」
「せ・・・千年!?」
「ああ。・・・ルー族が生まれる過程で、人間と結ばれた魔族も多かったのだろうが・・・恐らくその多くは、伴侶との余りに早い別れに打ちのめされたであろうことは、想像に難くない。」
「なるほどな。・・・だが、私に限ってその心配は無用だぞ。何せ、私は男などには全く興味はないんだからな!」
「・・・・・・。」

自慢げに胸を張るクー。その様子をじっと眺めていたカズの眼差しが、ここでふっと優し気なものに変わる。

「他には、何かないのか? カズ。」
「他には、そうだな・・・。よし、手を出してみろ、クー。」
「手? ・・・こうか?」
「そうだ。目を瞑れ。」
「・・・?」

不思議そうに差し出された、クーの右手。それに自らの左手を重ね合わせ、カズが束の間目を閉じる。
――――――――――とくん。
その刹那、クーの心臓に直接伝わる、温かい波動。目をぱちくりさせたクーが、小さく首を傾げる。

「カズ・・・。今のは?」
「流石だな、伝わったか。今のはな、ルー族に伝わる・・・親愛の情を表す仕草なんだ。」
「親愛の情・・・。というと、握手のようなものか?」
「いや、もう少し深い意味がある。」

答えたカズの口元には、滅多に見せないにやにや笑いが浮かべられていた。

「一説によると、これは様々な姿形が当たり前だった、魔族から伝わった習慣だったのだそうだ。人間で言うところの・・・そうだな、所謂キスに相当するものだ。」
「な・・・なななななな、キ・・・キスだとぉ!?」
「そう言ったが。」
「カ・・・カズッ!! 貴様―――――」

パァン!
頬を赤く染めたクーがカズに詰め寄るのと、その傍らで暖炉の上に置かれた陶器が小さな雷撃に砕かれて粉々になるのはほぼ同時だった。床に散らばった破片に目をやりながら、カズが小さく肩を竦める。

「やれやれ。やっと落ち着いてきたと思ったら・・・またこれか。後でカディエに、きちんと詫びておけよ。」
「あ・・・ああ、そうだな。・・・って、ちょっと待て、カズ! お前は何という破廉恥な奴だ、私が何も知らないのをいいことに・・・こ、こんな―――――」
「ルー族について知りたいと言い出したのは、お前だろう、クー。」
「くッ・・・この―――――」
「そうだな。この際、もう一つお前に教えておこう。」
「なッ・・・今度は何だ!?」

思わずソファから立ち上がったクーの背後を、カズが指差す。

「魔族の礼儀作法では、尻尾を逆立てることは行儀が悪いと見做されるそうだ。お前も少し、気を付けた方がいいぞ。」
「えっ・・・? あっ、いや、これは―――――」

慌てて背後に手をやったクーが、無意識のうちに逆立てていた自らの尻尾に気付いて再び真っ赤になる。ここでソファから立ち上がったカズが、くるりと踵を返した。

「さて、私は書庫に戻るかな。お前もいい加減、ベッドに戻って眠ることだ。」
「こら! まだ話は終わってないぞ! 私を辱めた責任、どう取るつもりなんだ! 待て、カズ!!」
「言いがかりだな。それとも、私と一緒に本でも読むか?」
「そ・・・それこそ願い下げだーッ!!」

賑やかな声が、少しずつ遠ざかる。窓の外では、静かに雪が降り続けていた。


はしがき

三部作の後日談です。
『六花の誓い』を書き上げて半ば虚脱状態にあった時に、タイトルにもなっているBGMを何気なく耳にしていたら、こんな話が思い浮かんだので形にしてみました。僕の本来のスタイルらしく、会話文がそのほとんどを占めています。

しかし、何やら、クーとカズの関係が思わぬ方向に向かっています。この二人をカップルにする気は、当初から全くなかったんですが・・・おかしいなあ(邪笑)。

BGM:『Magic Touch('98 version)』(山下達郎)