secret wish


早朝の森は、独特の雰囲気に満ちている。
夜行性の生き物たちが眠りに就き、代わって日中活動する動物たちが目覚める。一日を通じて賑やかなリベラの森も、この擦れ違いが起こる一瞬だけは、驚くほど静穏な佇まいを見せるのだ。
この日、まだ薄暗い森の中の小道を、ロロはゆっくりと歩いていた。
毎朝日の出と共に起き、村の裏山にある一族の墓所に赴いて祈りを捧げる。それが、村長の一族直系の女子の慣わしだった。現村長の父を持つロロも、長年続けられてきたこの習慣を律儀に守り続けているのだった。
墓所は、村から徒歩で十五分ほどの場所にあった。建てられている大小の墓石の間を巡り、周囲の掃除と祈りを済ませたロロは、ふと思い立って墓所の北東の外れと向かった。
一族の墓から一つだけ、ぽつんと離れるように置かれた墓石を発見したのは、今から三月ほど前のことだっただろうか。荒削りで何も彫られていないその墓石は、鮮やかな薄紫の花を咲かせる大木の傍らにひっそりと置かれており、数百年に亘る村の祭祀の記録にもないものだった。
一体誰が、いつ、ここに葬られたのか。一族の血縁の者には違いないのだろうが、それならば何故、墓石に名前すら刻まれていないのだろうか。・・・道すがら様々な疑問が頭の中に浮かんだが、残念ながらそれを知る術をロロは持たなかった。

(・・・!)

目指す墓石を目前にして、人の気配を感じたロロはその場に立ち止まった。
墓石の前に無言で佇んでいる、小柄な人影。その真紅のツインテールには、見覚えがあった。

「クー・・・さん?」

思わず、名前が口をついて出る。その声に気付いた相手が、ゆっくりと振り向いた。
クー・ブランディル。パンヤ島の住民でその名を知らぬ者はない、海賊船ルナーテューム号の船長であり、現在はパンヤ祭に参加するシード選手のうちの一人である。同じくパンヤ祭に参加するダイスケのキャディという立場上、またダイスケと交友関係のあるケンやエリカの友人であるという関係から、ロロ自身も何度かクーと直に接したことがあった。
初めは、少し変わったところはあるものの、普通の女の子だという印象しかなかった。しかしそれは、昨年の暮れ・・・パンヤ祭最終戦の際に起こったという、クーの“魔族としての覚醒”―――――ロロ自身は、そのことをクーのキャディであるタンプーから大まかに聞いただけだったが―――――を経て、大きな変貌を遂げることになった。
外見や、立ち振る舞いが大きく変わったわけではなかった。言うなれば、クーのまとう雰囲気とでも言うべきものが、その事件をきっかけにしてがらりと変わったのだ。今もまた、眼前に立っている相手に見つめられているというだけで、ロロは強い圧力を感じていた。それは、“畏怖”と呼んだ方が近いものだった。

「おはようございます。クーさんも、お墓参りですか?」
「ああ。」

挫けそうになる心を奮い立たせ、何事もなかったように声をかける。小さく頷いた相手が、目の前の墓石に視線を戻した。

「・・・今日が、月命日なのだ。」
「そうですか。・・・あの―――――」

ここは本来、リベラ一族が眠る神聖な場所である。村人以外が気軽に出入りして良い場所ではなく、今後は遠慮してもらいたい。・・・村長の娘として、また村の巫女として伝えるべきことがあるのは分かっていたが、しばらく躊躇ったロロが口にしたのは、別の言葉だった。

「クーさんは、ここに誰が葬られているか、ご存知なんですか?」
「・・・・・・。」
「調べてみたんですが、このお墓は村の記録にもないものなんです。もちろん、父も知りませんでした。・・・もし、クーさんがご存知なら、教えていただけませんか。」

ロロの問いかけには答えず、クーが瞑目する。しばらくして、その小さな唇から零れたのは、意外な言葉だった。

「不憫なものだ。」
「え・・・?」
「救った一族に、その存在すら忘れられているとはな。」
「あの・・・クーさん?」

クーの言葉の意味が分からず、目を白黒させるロロ。そんなロロをちらりと横目で見たクーが、その視線を刻々と明るさを増していく空へと向けた。

「ロロ。お前は、このパンヤ島の平和は、どのようにしてもたらされたと思っている?」
「パンヤ島の、平和・・・ですか?」
「うむ。長い歴史のある、リベラ族の一員であれば・・・その昔、この島で何が起こったかは存じておろう。」
「はい。・・・今から約百五十年前に、異界の勇者様が魔王を封印した“最後の聖戦”が、この平和の始まりということになるのでしょうか。」
「その通りだ。今のパンヤ島の住人であれば、誰もがそう答えるはずだ。」

突然の問いに、戸惑いながらも答えるロロ。小さく頷いたクーが、ここで空に向けていた視線をロロへと戻した。

「勇者が魔王を封印したのは、魔王・・・そして魔族が“悪”だったからだ。魔族が“悪”と決まったのは、結界を用いてパンヤ島を支配しようと企んだからだ。それが、この島の住人の共通の認識のはずだ。」
「・・・・・・。」
「では何故、魔王は地上の支配に結界などという悠長な手段を選んだのだ。その膂力、魔力に物を言わせて、地上人に直接戦を仕掛けていれば、地上は瞬く間にその膝下に置かれることになっていたはずだ。・・・魔王が地上に武力を以て臨まなかった理由、それは魔王が地上人の善良さを信じていたからに他ならぬ。その魔王の信頼を、地上人は無残にも踏みにじったのだ。」

話の意外な成り行きに、ロロは息を呑んだ。
相手の言葉通り、パンヤ島の歴史を綴った書物には、かつての魔族との争いについては「魔族が地上支配を企んだため、暁の八賢者と異界の勇者が中心となって魔王を封印し、地上に再びの平和が齎された」という判で押したような記述のみがなされていた。ロロ自身もそれを読んで育った身であり、その事実に異を唱える相手に出会ったことはない。
しかしクーは、その“魔族の侵略”には手心が加えられていたと言うのだ。もしそれが真実であれば、“最後の聖戦”の意味合いが“侵略を受けたが故の正当防衛”から“魔族を駆逐するための侵略”へと百八十度変わりかねない。

「魔族と地上世界との関わりは、今からおよそ百七十年前・・・ナラカス海に浮かぶ“死の島”の火山が噴火したことに端を発する。以後、続々と地上への移住を開始した魔族と、元々地上世界に居を構えていた住人たちとの間で、様々な争い事が起こるのは自明の理であった。」
「・・・・・・。」
「悲惨な事件が続発し、魔王カザルスは悩んでいた。自らの領民を護るために、地上への侵攻を行うべきか否か、とな。・・・そんな折、地上から一人の少女が魔界を訪れた。少女は当時のリベラ族族長の娘であり、名をパロマといった。」

クーが言葉を切った瞬間、背後の木立を通り抜けた朝陽によって、傍らの墓石が眩い一条の光に照らし出された。それはまるで、スポットライトを当てられたかのようだった。

「パロマは、果敢な人間だった。パンヤ島における、地上人と魔族との間の軋轢を解消しようと、たった一人で魔界の魔王城を訪れたのだからな。そして、魔王カザルスと一対一で話し合いを行い、地上と魔界の和合を説いたのだ。その毅然とした態度、勇気ある行動に、我ら魔族は心からの敬意を抱いた。魔王カザルスはパロマの言葉を信じ、地上を武力で制圧しないことを約束したのだ。」
「そう・・・だったんですか。」
「現在、パンヤ島が謳歌している平和は、“最後の聖戦”によって齎されたものではない。名も無き一人の少女の、限り無き愛と勇気によって齎されたものだ。それを、同じリベラ族の一員として・・・お前だけは忘れないでいて欲しい。」
「じゃあ、この墓石は―――――」
「これは、パロマのものだ。この下に、今もパロマは静かに眠っている。」

懐かしげに傍らの墓石を見やるクー。その様子を目の当たりにしながら、ロロは心の中で首を傾げていた。
相手は何故、こんな話を自分に対してしたのだろうか。長らく謎だったこの墓石が、パロマという少女の為のものだと分かったのはいい。しかし、墓石が他の一族の墓から一つだけ離れて置かれている理由や、名前すら彫られていない理由は、今以て不明のままだ。・・・何よりも、そもそもリベラ一族の系図にはパロマという名はどこにも見当たらないのだ。
この当然の疑問を口にしたロロを、鋭い眼付きになったクーが見据える。

「分からぬのか。パロマは、憎き魔族を地上に引き入れた裏切り者として、同族であるお前たちリベラ族によって処刑されたからだ。」
「―――――ッ!?」
「事は重大だ。何せ、リベラ族という枠を超えて、地上人全体に対する裏切りなのだからな。そのような者が一族から出たとあれば、リベラ族の立場が大変危うくなる。墓など以ての外、その存在自体が抹消されてしまっていても、驚くには当たるまい。」
「で・・・でもッ! どうして、そんな―――――」
「パロマの言葉に心を動かされた我ら魔族は以後、地上人との争い事が起こった際にも、積極的な武力、魔力の行使を控えるようになった。魔族と地上人との関係を定めたパンヤ島憲章を定める際には、地上人の無体な要求に対してもかなりの譲歩をしたのだ。パロマの説く、世界の和合を夢見てな。・・・だが、その結末はどうだったか。振り上げた拳の遣り場に困った人間たちは、こともあろうにそれをパロマに向けたのだ。無抵抗のパロマは磔にされた上、嬲り殺しにされた。・・・打ち捨てられていた亡骸をここに運び、密かに埋めたのは、私の前世であるクーデリカの部下だった。クーデリカはあのとき、唯一の地上人の友人と、地上人との和解という夢を、同時に喪った。」
「・・・―――――」

ロロに真っ直ぐに向けられた、真紅の瞳。そこに宿った紛れもない殺気にてられて、ロロは体が竦むのを感じた。
どれくらい、そのまま見つめ合っていただろうか。ロロにとっては永遠にも思える数分の後、クーの眼付きがふっと柔らかくなった。

「済まぬ。私としたことが、つい言い過ぎたようだ。・・・お前に直接言っても、詮無き事であったのにな。」
「い・・・いえ。その、わたしは―――――」
「ロロよ。私は詫びて欲しくて、この話をしたわけではない。パロマが目指し、願ったもの。それを、他の者にも知って欲しかっただけだ。」
「・・・・・・。・・・はい。」
「長居をした。今日はこれで失礼する。」
「あ・・あのッ!」
「・・・?」

ふいと踵を返し、その場から立ち去りかけていたクーが、立ち止まるとちらりと振り向いた。その背中に向かって、しばらく呼吸を整えてから、思い切って口にする。

「クーさんがいらっしゃらない日は、わたしにここの手入れをさせてください。・・・ぜひ、また来てくださいね。」
「ああ。そうさせてもらうことにしよう。」

微笑んだクーが、ゆっくりと去っていく。その後姿を見送っていたロロに、傍らの木から薄紫色の花が一つ、二つと落ちかかった。

(パロマ・・・さま?)

足元の墓石に向き直り、眼を閉じたロロが祈りを捧げる。その間も次々に花が散り、たちまちのうちに周囲は降り積もる花によって薄紫色に染まっていったのだった。


あとがき

以前、クーデリカとパロマの出会いを描いた『小さな訪問者』を書いた際、その“結末”として考えていた話です。パンヤに十七番目のコースとして実装されたWiz CityのBGMのうち、片方が曲想といい曲名といいこの話にぴったりだったので、十日越しの風邪もようやく良くなってきたこの日に一気に書き上げてみました。
話に出たパロマの死は、『いとしのまおうさま』で語られた霊獣の封印を含む「パンヤ島憲章」の締結後、“最後の聖戦”と呼ばれる『Genocide』のエピソードまでの間に起こったことになります。この間には、地上人と魔族の直接の衝突となる“最後の聖戦”に至る、いくつかの重要な出来事が起こっています。近いうちに、この中から大きな影響を及ぼした事件については書いてみたいと思っています。

作中で最後に登場している「薄紫色の花」ですが、これは熱帯の植物であるジャカランタをイメージしています。世界三大花木の一種であり、その見事な花は咲く時期から海外在住の日本人をして「日本の桜を思い出す」と言わしめるとか(花が散る際、書いた通り花びらではなく花ごと地面に落ちるので、詩情という点では桜が数段勝るようですが(笑))。

BGM:『secret wish』(ゲーム内BGM)