風沙の魔女


幾重にも張り巡らされた結界によって厳重に守られた、当代一の魔法使いカディエの住居。この日、その門前に立った人物は、一風変わった格好をしていた。
褐色の肌に焦茶の癖のある短髪。周囲を見回す鋭い目付きは、猛禽類の鷹を思わせる。頭に巻いた布、白が中心の厚手の服装は島の東部に特有のもので、マガ森の雪景色との組み合わせはどこか奇妙だった。

「・・・・・・。」

しばらくの間、無言で家の佇まいを眺めていた相手が、やがて門を入ると案内も待たずに家の中に上がり込んだ。真っ直ぐにカディエの書斎に向かい、ノックもそこそこにその扉を開ける。

「よう。ジャマするよ。」

自らの机で書き物をしていたカディエが、顔を上げると驚いた表情を浮かべた。

「シャルナじゃないの! どうしたの、突然。」
「ふん・・・ゴアイサツだね。用がなきゃ、友達を訪ねちゃいけないってのかい?」
「もう・・・そこまで言ってないでしょ。」

手に提げていた、花酒の入った革袋をテーブルの上に投げ出しながら、シャルナと呼ばれた相手が仏頂面になった。しかし、その目は笑っている。

「それにしても、久しぶりじゃない。こうして会うのは、いつ以来かしら。」
「そうさな。アタシは魔導士会もすっかりゴブサタだからな。・・・もう、五年になるか。」
「もう、そんなになるのね・・・。道理で、この味が懐かしいわけよね。・・・どう、そっちの方は上手くいってるの?」
「ボチボチってところだね。これも、勇者様が魔王を封印してくれたお蔭ってことさね。まさに、平和さまさまだ。」
「・・・・・・。」

テーブルに向かい合って座り、杯を交わす。片頬を歪め、吐き捨てるようにこう言ったシャルナの様子に、カディエは苦笑いした。
シャルナは、島の最東部に当たる砂漠地帯の出身だった。約百五十年前にパンヤ島を襲った危機に際して、カディエと共に立ち上がった魔法使いたち、通称“暁の八賢者”の一人であり、特に風に関する魔術の腕前は他者の追随を許さない。
そんなシャルナが、カディエたちと袂をわかったのは「最後の聖戦」の直後だった。その後の魔導士会からの招聘を蹴り、故郷に戻ったシャルナは小さな宿を始めたのだった。宿は島の東部を訪れる島民たちに利用されており、カディエ自身も二度ほど訪れたことがあった。

「それより、アンタはどうなんだ。・・・アンタ、魔法の腕は確かだが、生活力はからっきしだからな。メシくらいは、まともなものを食ってるんだろうな。」
「その点は心配無用よ。同居人の中にね、料理の腕前が抜群の子がいるの。・・・今日は泊まっていくんでしょう? 夕食は、豪勢にしてもらうわね。」
「同居人・・・か。」

おどけた様子で言うカディエ。その何気ない一言に、シャルナの表情がすっと引き締まる。 手にしていたグラスをテーブルに置いたシャルナが、カディエに向き直った。その瞳に宿った真剣な光に、カディエが小さく居住まいを正す。

「今日は、そのことで来た。・・・カディエ。アンタについて、不穏な噂を聞いた。なんでも、魔族やその縁の者を匿っているそうじゃないか。」
「・・・・・・。そんな話、どこで?」
「皆が言ってることさ。島の東部は、昔から魔族と関係の深かった土地さ。だから、そうした話には敏感なのさ。」

冷静に問い返すカディエ。対するシャルナは、小さく肩を竦めただけだ。
考えてみれば、カズやクーは既にパンヤ祭に復帰し、島中のコースを巡っているのだ。その外見や言動から、古の魔族のことを連想する人間がいてもおかしくはない。
少し調べれば、彼らがカディエの家で共に暮らしていることはすぐに分かるだろう。シャルナの言葉通り、自分が彼らを匿っていると思われても仕方ない部分はあった。・・・問題は、その“噂”がどのような意図を持って流されたものなのか、ということである。

「最初は、アンタをやっかむヤツらの、口さがない噂だと思って無視してた。・・・けどな、先月例の結界が破られたろ。そこから地上世界に出てきたヤツは、未だに見付かってない。それで、アンタに直接尋ねることにしたのさ。」
「つまり・・・今日ここに来たのは、侵入者探しに躍起になっている、魔導士会の差し金だってこと?」
「違う。ここに来たのは、アタシ自身の考えだ。・・・知ってるはずだ。アタシが、他の魔法使いどもをどう思っているかなんて。」
「そうね。・・・ごめんなさい。」

語気を強めたシャルナに睨み付けられて、カディエは素直に頭を下げた。
シャルナが他の魔法使いたちと訣別し、今もって魔導士会と距離を置いている理由。それを詳しく知っているのは、かつての“暁の八賢者”の中ではカディエだけだった。

「アタシは、アンタが魔族と関わろうがどうしようが、別に構わないさ。・・・ただ、見極めたい。もし、この噂が本当なら、そいつがどんなヤツなのかを。・・・アンタが命を張って護るのに、相応しいヤツなのかをさ。」
「命って・・・。シャルナ、貴方まさか―――――」
「そうだ。・・・アンタには、アタシと同じ思いを味わって欲しくないからな。」

きっぱりと言い切ったシャルナが、カディエを正面からじっと見つめる。その視線を臆することなく受け止め、カディエも真っ直ぐに相手を見つめ返した。
そのまま、どれくらいの時間が経っただろうか。先に視線を外したのは、カディエの方だった。小さく頷くと席を立ち、部屋の入り口から外へと声をかける。

「・・・分かったわ。・・・ティッキー、ティアを呼んでもらえないかしら。」
「はーい!」

廊下を、ぱたぱたと小さな足音が遠ざかっていく。
自分の椅子に戻ったカディエは、物問いたげな視線を向けたシャルナに向かって微笑んでみせた。

「貴方の言っていた“噂”のことだけど・・・概ね当たりよ。今、私の家には魔界の出身者が二人いるわ。今はただ、最後の聖戦で封印された最後の魔王と縁が深い、とだけ言っておくわね。」
「・・・・・・。」
「二人とも、アルテアによって大切な人を喪ったわ。だから私には、二人に一生をかけて罪滅ぼしをしたいと思ってる。・・・それが、かつてアルテアのパートナーであり、あのときアルテアの暴走を止められなかった私の義務。たとえ、貴方を含めたパンヤ島の全てを敵に回すことになっても、ね。」
「・・・分かっているクセに、アンタも意地悪だな。アタシがアンタの敵になることは、絶対にない。」
「ふふ。・・・ありがとう、シャーリー。」

再び微笑んだカディエが小さく頭を下げたとき、扉が小さくノックされた。

「カディエさま。およびでしょうか。」
「ええ。入って。」
「はい。しつれいいたします。」

部屋に入ってきたコンシェンティアが、シャルナの姿を認めてぺこりと一礼した。その肩を抱くようにして、カディエがシャルナに言う。

「シャーリー。この子が、先月結界を破った犯人よ。」
「おい、カディエ・・・冗談だろ!? こんな小さな子が、あの結界を破っただって!?」
「いえ、本当よ。魔界の霊獣の中でも最強を謳われた古代竜エンシャントドラゴンで、かつてはこの子に人化の術を施した魔王カザルスの騎竜だったの。さ、ティア、挨拶して。」
「おはつにおめにかかります、コンシェンティアともうします。えんあって、ただいまカディエさまのおせわになっております。どうぞ、ティアとおよびください。」

カディエに促され、礼儀正しく頭を下げるコンシェンティア。口をあんぐりと開けていたシャルナが、ここでようやく気を取り直したように尋ねた。

「ああ・・・シャルナだ。カディエとは、百年以上昔からの腐れ縁でな。・・・ではティア、一つだけ訊きたい。」
「はい、シャルナさま。なんなりとおたずねを。」
「アンタが、結界を破ってまで地上世界に出てきた・・・その理由は?」
「そのむかし、ティアはまおうカザルスさまのてによって、おしろのちかにふういんされました。めがさめたときにはすでに、カザルスさまもほかのかたがたも、おしろにはいらっしゃいませんでした。そこで、どなたかにおあいできないかとおもい、ちじょうへとまいったのです。」
「悪いが、今の地上には魔族はいない。・・・その理由は、カディエから聞いたか?」
「はい。そのむかし、カザルスさまはにんげんのゆうしゃにふういんされ、ともにたたかったまぞくのかたがたは、カザルスさまとうんめいをともにされたと。そのご、まかいとちじょうのあいだにはけっかいがはられ、まかいとちじょうのあいだのいききはできなくなったのだと。」
「それなら話は早い。アタシたち魔法使いは、アンタの大事な魔王を封印するのに・・・いや、それだけじゃない。地上の魔族を皆殺しにするのにも、大きな役割を果たした。そして、地上の人間たちもそれに賛成した。魔族は殺せと、皆が言ったんだ。・・・アンタは、アタシたち地上人が憎くないのか。アタシたちに復讐しようと、考えたことはないのか?」
「いいえ。」

シャルナのこの挑戦的な台詞にも、コンシェンティアは静かに首を振っただけだった。

「ティアのいのちは、ティアをまもりそだててくださった、まおうカザルスさまのものでした。カザルスさまは、ちじょうのかたがたとなかよくくらしたい、というおかんがえをおもちでした。ですから、カザルスさまがいらっしゃらなくなったいまも、そのおかんがえをうけつぎ、ティアのいのちはそのためにつかうべきだとかんがえています。」
「・・・・・・。」
「さいわいにも、こちらでおあいしたカズさまは、まおうカザルスさまのうまれかわりとうかがいました。したがいまして、ひきつづきティアはそのいのちをカズさまにささげさせていただくことにしました。カズさまがそうしろとおめいじになれば、ティアはちじょうのかたがたとたたかうでしょう。しかしカズさまも、ほかのかたがたとなかよくくらしたい、とおっしゃいます。ですから―――――」
「はっはっは!」

半ば呆れたような顔で相手の言葉を聞いていたシャルナが、ここで破顔した。椅子から立ち上がると、コンシェンティアを軽く抱き締める。

「ははっ・・・これが、地上支配を企む邪竜ってタマかよ。噂や伝説ってのは、本当にいい加減なモンだな!」
「それに関しては、私も全くの同意見よ。」
「ジャマして悪かったな、カディエ。どうやら、アタシの心配は杞憂だったようだ。」
「そう。それは良かったわ。」

清々しい表情で言い切るシャルナに、カディエが澄ました様子で答える。当のコンシェンティアは、二人の間で交わされている会話の機微が分からず、きょとんとした表情のままだ。

「安心した。・・・これで、アタシも心置きなくアンタたちの味方になれる。」
「また、そんなことを言って・・・。いいの、シャーリー? 私が魔導士会と対立することになったら、貴方まで“裏切り者”の汚名を着せられることになるかも知れないのよ? それだけじゃない、さっきも言った通りパンヤ島全部を敵に回すことにもなりかねない。」
「ケッ、魔導士会なんてクソ食らえだ。・・・アタシは、あの日思ったんだ。相手が魔族だってだけで、愛する者を喪うなんてのは、二度とゴメンだってな。」
「シャーリー・・・。ありがとう。」

深々と頭を下げるカディエ。対するシャルナが、輝くような笑顔で片目を瞑った。それは、二人が初めて出会った日の、何の翳りもない笑顔だった。

「さてと、それじゃ何日か泊めてもらおうかな。・・・紹介してくれるんだろ? もう一人の魔界出身者や、その“魔王の生まれ変わり”とやらもさ。」
「それは、構わないけど・・・。宿の方はいいの?」
「あっちは、普段から弟子に任せてあるからな、心配は要らないさ。・・・いや、楽しみだよな。なに、酒も時間もたっぷりある。そうだろ?」
「・・・ええ。そうね。」

持ってきた革袋を手に、シャルナがにやりと笑う。部屋から出ていくその後姿を見送りながら、カディエは心の中で呟いたのだった。

(そろそろ・・・きちんと考えないといけないわね。結界の件を、魔導士会へどう報告するかを―――――)


あとがき

前々から「カディエの魔法使いの友人」の話は書きたいなと思ってネタを温めていたんですが、それが葉加瀬太郎さんの『Caravanserai』という曲によって一気に昇華しました。“暁の八賢者”の設定は前々からあったものですが、新キャラであるシャルナの名前から外見、性格、出身地などの設定は全てBGMの影響によるものです。前作『いとしのまおうさま』で意味深な前振りを最後に入れましたが、それがますます加速しそうな按配です(邪笑)。

文中では意識して明言はしていませんが、シャルナの想い人は魔族でした。魔族との決戦(「最後の聖戦」のこと)を前に、他意のないことを示すため想い人と訣別せよと迫られたシャルナは悩みますが、それを知った想い人が自殺を図ってしまい、苦しむ相手にシャルナ自身が止めを刺すことになりました。それ以来、彼女はカディエ以外の魔法使いと縁を切り、表舞台から姿を消しました。
なお、イメージBGMタイトルの“serai”はペルシャ語で「宿」の意味で、読みは「サライ」(同名の有名な雑誌がありますね)。文中でシャルナが宿を経営しているとあるのは、ここから設定をいただきました。

BGM:『Caravanserai』(葉加瀬太郎)