玉梓


私の任務は伝令である。
待機中は極北の地にある大きな城の一室の、窓際に置かれた居心地の良い止まり木で羽を伸ばすのが常である。
その日も陽の当たる枝の上で羽毛繕いなどしていると、何か書き物をしていた御主人が顔を上げて私を見た。
ははあ、任務であるな。
私の御主人は特に用がなくとも私に話し掛けることが往々にしてあるが、私は、任務かそうでないかを見分けるのが大変得意なのである。何故なのかは説明できぬ。あるいはこれが職人気質というものか。
「ラナイ、仕事だ。リグレスへ飛んでくれ」
ほうら当たった。お見事。
「近頃遠方の仕事が多くてすまぬな。月が変われば軍務も一段落つく、それまでがんばってくれ」
おやおや、何をおっしゃるやら。
任務は私の誇りである。御主人のために働くことは私の喜びである。謝られる事など何もない、いつものように、ただ一言命じて下さればよいのである。

「行け、ラナイ」

そして私は御主人の手から、凍土をわたる風の中へと飛び立った。







雪雲のかすむ高山帯を越えて、下界に広がるは落着いた灰色の石の都。
リグレスというのは人間がたくさん住む街である。ここで御主人の部下が人間のフリをしながらこっそり暮らしている。その者に御主人の文を運ぶため、私がこの街に来たのは一度や二度ではない。
街の中には人間だけでなく、私と近しい種の、しかしはるかに下品な声で鳴く者たちも多く棲んでいる。
余所者に対して概ね無関心をつらぬく彼らの態度は、私のような任務に就く者にとってはありがたいことであるが、うっかり縄張りに近づくと根に持って長時間追いまわされるので気をつけねばならぬ。実はすでに一度、経験済みなのである。
彼らを怖れるわけではない。決して決してそのようなことはないが、時間のロスは時に致命的である。目先の戦いより任務を優先するのが一流の伝令というものである。
私は慎重を期して、高空から目的の人物を探すことにした。
私のすぐれた視力は難なくその者を見つけだす。ちょうど、よく目立つ看板と甘い匂いをのぼらせた建物に入っていくところであった。
私はその部屋の窓辺に降り立ち、礼儀正しく嘴で硝子をノックした。御主人の代理烏たる者、振る舞いに粗相があってはならぬ。
「あらラナイさん。いらっしゃい」
迎え入れてくれたのは人間の女性であった。御主人の部下と共に暮らしており、御主人とも親しい様子の彼女には、私もそれなりの敬意を払うことにしている。
「センジュ。ラナイさんよ」
「おう、そろそろ来る頃だと思ってたぜ」
呼ばれて当の部下もやってくる。悪い奴ではないのだが、どうにも御主人に対して不敬であること甚だしい。今もありがたくおし戴くべき御主人の文を、私の足から無造作にひったくって読み始めた。
「お返事、奥で書いてくる?」
「いやここでいい。何か書くもんあるか」
「はいこれ。それから、ラナイさんにはご褒美ね」
ムッとしかけた私の気を鎮めたのは、女性が棚から出してきた焼き菓子であった。
私が彼女に敬意を払う理由のひとつにこの「ご褒美」があるのは、否定のできない事実である。何しろ美味い。御主人は菓子など作らないので(作りたくても作れない、という事に言及してはならない)、私がこの美味いものにありつくには彼女の存在が必要にして不可欠なのである。
私は翼をばたつかせて歓喜と感謝の意を示し、彼女の手ずから焼き菓子をつついた。
せっかくの機会である。なるべくゆっくり味わっていたかったのだが、早々に返書を書き終えた部下がそれを邪魔した。
「おーい、のんびり食ってんじゃねーぞ。足出せ、足」
そう言って、こともあろうに私の「ご褒美」をひょいと取り上げたのである。
私はピーッと鋭い鳴声をあげて抗議した。
「お、なんだ?おまえミズキに餌付けされちまったのか。それじゃあ今度は俺が餌付けしてやろう、ほれほれ」
無礼なことをのたまいながら私の目の前で焼き菓子をちらつかせる。私は――すでに最後通告は済ませていたので――猛然とその指先に襲いかかり、嘴による一撃をくわえた。
「痛ってぇっ!」
拍子にぽろりと落ちかけた焼き菓子を足で拾いあげ、天井まで飛び上がる。ついでに街の親戚たちの真似をして阿呆と鳴いてやった。
「このやろ……!」
「センジュ。今のは貴方が悪いわ、ラナイさんをからかったんですもの」
「そうだけどよ!……おお痛て、手の早いとこなんか団長そっくりだぜ。ペットが飼主に似るってのは本当だな」
何とでも言うがいい。所詮負け犬の遠吠えである。
「それにねえ、センジュ、その紙は何なの?」
「何って、失敗した伝票の再利用。軍資と違って、ここじゃ紙もタダじゃねえんだし」
「ダメよ、そんな失礼なこと!」
「失礼ったって。戦場じゃ洟かんだ紙だって使うんだぜ」
「ここは戦場じゃありません。お手紙って言葉を伝えるだけじゃないのよ、大切なものなんだから。ねえ、ラナイさん?」
私は同意の鳴声をあげた。まったくもってその通り。だいたい伝票の裏書を足に結わえて飛ぶなぞ、情けなくて想像もしたくない。
しかし、どうやらこの女性は私の任務の良き理解者であるようだ。私の忠誠は御主人ただ一人に捧げるものだが、彼女のことは友人と思って良さそうである。
「とにかく、新しい紙に書き直すのよ」
彼女に言われると、部下はしぶしぶながらそれに従った。
ところでこれは余談であるが、私の知る限り、人間であろうと精霊であろうと男が女に屈服しなかった例はない。おそらくどちらも女が上位に立つ種なのであろうというのが私の見解だが、如何であろうか。もちろん、私が知る女というのは御主人とこの人間の女性と、他の御主人の部下のごく一部に過ぎないわけで、観察がかたよっている可能性もあるやもしれぬが。
何はともあれ、部下が返書を書き直している間に、私は心ゆくまで「ご褒美」を味わうことができたのであった。
「――これで良し、と」
今度こそ真っ白な紙にしたためた返書を、足にしっかりと結んでもらう。再び女性が窓を開けてくれる。
窓外の空は、いつしか茜色に染まり始めていた。
「今から出たらあっという間に夜だわ。ラナイさん、今夜は泊まっていった方が良くはない?」
「あー平気平気。こいつらの棲んでるとこも、一日中太陽が沈みっぱなしの時期があるからな。そこそこ夜目が利くんだ。でなきゃ俺たちの都で伝書烏は務まらん」
「そういえばそうね」
「それにこいつは、休んでる暇があるなら一刻も早く団長の元に帰りたいと思ってるのさ。そうだろう?」
私は少々この部下を見直した。よくわかっているではないか、と翼を広げて応じてみせる。
「なら引き止める訳にはいかないわね。それじゃあラナイさん、またね」
「おう。団長には、俺は真面目に『任務』を果たしていたと伝えてくれ」
「ちょ、センジュ、それってどういう意味……」
「いいから、いいから」
私は――先程この部下を見直したことを早々に後悔しながら――薄暮の空へと飛び立った。挨拶代わりに一度、くるりと輪を描き。
いずれ天頂に輝くであろう北極星の位置を目指して、人間の街を後にしたのである。



凍土の果てに、巨大な氷塊のように美しく堅牢な城が見えたのは、まどかな月が大きく西に移動した頃合であった。
そんな夜更けであっても、御主人が城に詰めていることは珍しくない。案の定、西の丸の天守からは晧々と明かりが洩れていた。
私は滑るように夜風を切って天守に近づいた。
御主人は執務の手を休め、少し酒を嗜んでいる様子であった。視線は窓の外に向けられている。夜を背景にした私の姿は見つけ難かろうと思ったが、翼がわずかな星の光を遮ったのに気づいたらしい。
「――戻ったな」
笑って差し伸べられた手の上に、私は舞い降りた。
「ご苦労、ラナイ。二人の様子はどうだった」
あいかわらずですよ。調子もいいが仲もいい。
人であれば肩を竦めたような雰囲気が伝わったか、御主人は「そうか」と呟いて再び窓の外に目をやった。
こんな風に――御主人は時折寂しそうな顔を見せることがある。あの二人が共に暮らすようになってから、私がそれを目にする機会も少し増えた。
私には堪らないことである。
私はばさりと羽ばたいて御主人の肩に乗り、短い鳴声をあげた。
「なんだ?やけに甘えるな……まあいいか。今日はもう疲れただろう、ゆっくり休め」

そうではないのです、御主人。
私は、私がここにいることを貴女に伝えたいだけなのです。

任務は私の誇りであり、まあちょっとした楽しみでもある。腹の立つこともあるが、思いがけない友情も発見する。
そして御主人のために働くことは私の喜びであり、……御主人のおそばに仕えることが、私の生涯の使命なのである。
何処へ飛ぼうと、私は必ず御主人の元へ帰る。この名を与えられた時からそう思い定めてきたのである。
伝令である私は、私の思いを言葉にして伝える術を持たぬ。
だから私は御主人の肩に止まったまま――御主人のもっとも近くに寄ったまま――これから夜明けまでの時を過ごすことにした。

翼に頭を突っ込んで丸くなった私は、じきに、静かなまどろみの中に落ちていったのであった。




『モノは使いよう』への返礼のような形でいただいた作品。
この小説によって、ユキガラスのラナイの性格が決まりました(笑)。