ごちそう


「うわああああああん!」

その日、火竜術士の家の平穏な午後は、けたたましい泣き声で破られた。

「いらい・・・いらいよおおお!」
「オイ、スウ・・・そんなに泣くなよ。大したことねえだろう?」
「らっれえええ・・・!」
「ちょっと、どうしたのよ。ケンカ?」

工房から顔を出したアグリナに、泣きじゃくるスウを宥めていたメオが苦笑いした。

「ああ、アグリナ。スウが、蜂に刺されてよ。」
「蜂?」
「それ、見てくれよ。」

メオが指差したのは、クレヨンの散らばったテーブルだった。近くに置かれた陶器のコップのうちの一つが地面に落ち、周囲に甘い果物の香りが漂っている。

「ジュースを入れておいたコップに、蜂が入ってたみたいで、飲もうとしたスウが口のところを刺されたんだ。・・・リタ、悪いけど虫刺され用の薬を取ってきてくれ。確か、物置の上の方にあったろ。」
「うん、わかった。」

頷いたリタが、家の中へと駆け込んでいった。

「しっかし、蜂に唇を刺されるなんてね。飲むときに気付きそうなもんだけど。」
「それだけ、絵に夢中だったってことだろ。ありゃあ、ミツバチじゃねえなあ・・・黒い、あんま大きくない蜂だった。・・・あーあ、こいつも汚れちまって―――――」
「黒い蜂?」

地面から、スウの書いていた絵を拾い上げながら、メオが小さく溜息をつく。その何気ない言葉に反応したのが、この日も火竜術士の家を訪れ、アグリナたちと工房に籠もっていた霊鳥族のヴァータだった。

「ああ。白い線が入ってるヤツだったな。大きさは・・・これくらいだったかな。」
「どっちへ飛んでいったか見たかい?」
「さあな。向こうの方だと思うけど・・・なんせ、スウの方が大事だったからな。・・・ヴァータ、何か気になることでもあるのか?」
「あっちだね。・・・ごめんアグリナ、おいらちょっと行ってくるから。作り途中のガラス玉は、そのままにしといてね!」
「あっ・・・ちょっと、ヴァータ! どこ行くのよ!」

二人の質問には答えず、ヴァータはその背の紅の翼を大きく広げると、先程メオの指差した方へと一散に飛び去っていった。その後姿を見送ったメオとアグリナは、どちらからともなく顔を見合わせたのだった。

「あいつ、急にどうしたんだ・・・?」
「さあ・・・。」


  *


「ただいまぁー!」

ヴァータが戻ってきたのは、優に二時間以上が経った後だった。

「ちょっとヴァータ、一体どこ行ってたのよ! 急にいなくなるから、心配しちゃったじゃないの!」
「えへへ、ごめんアグリナ。久々にごちそうにありつけるかなと思ったら、いてもたってもいられなくてさ。」
「ごちそう?」
「うん! ほら、ちゃんと手に入れてきたよ!」

得意満面のヴァータが、抱えていた淡褐色の塊をテーブルの上に乗せる。鱗状の外見を持つそれは、直径が二リンク近くはあるだろうか。下の方には土がついており、どうやら地中から掘り出してきたもののようだ。
しかし、一体これが何なのか見当も付かない。しばらくの間、眉を寄せて考え込んでいたアグリナが、やがて気を取り直したように尋ねた。

「・・・・・・。何、これ。」
「何って・・・。蜂の巣に決まってるじゃないか。」
「蜂の巣ぅ!? ねえヴァータ、さっきスウが刺されたばっかりだってのに、何考えて・・・わ、ちょ、ちょっと! やめなさいよっ!!」
「大丈夫だよ、おいらが長いこといぶしたから、生きてる蜂はもういないよ。」

いきなり巣を崩し始めるヴァータに、アグリナが血相を変える。しかし、その言葉通り、割れた巣の中から飛び出してくる蜂はいなかった。
危険がないと分かると、アグリナは急に蜂の巣に関心を持ち出したらしい。興味津々といった様子で巣の中を覗き込むアグリナを、ヴァータがにこにこしながら見守る。

「へえ・・・蜂の巣の中って、こんな風になってるのね。・・・ねえ、これは何?」
「これはね、蜂の幼虫だね。大きな巣だとね、何千匹も幼虫が入ってることがあるんだよ。おいらたちは、幼虫のことを“はちのこ”って呼んでるよ。」
「ふーん、詳しいのね。ひょっとして、あんたたちって蜂の巣の収集が趣味だったりするの?」
「まさか。もちろん、食べるためだよ。」

(“食べる”?)

ヴァータの何気ない言葉に、アグリナは心の中で首を傾げた。どう考えても、目の前の蜂の巣と、“食べる”という行為は結び付かない。
しかし、アグリナの実に真っ当な疑問は、最悪の形で解決されることになった。目をキラキラさせたヴァータが、アグリナの目の前で蜂の幼虫を摘み上げると、あろうことかそれをそのまま口に運んだのだ。アグリナの顔から、文字通りザーッと音を立てて血の気が引いた。

「うん! とりたてがやっぱり一番だね。」

ひとしきり味わった後、にっこりと微笑むヴァータ。そのあどけない笑顔は、今日に限ってはひどく凶悪に見えた。

「ちょっ・・・ヴァータッ!! い、い、今・・・何したのッ!?」
「アグリナ、何をそんなに驚いてるのさ。もちろん、はちのこを食べたんだよ。」
「おっ・・・驚くわよッ!! そんなものを食べるなんて、聞いたことないわよッ!!」
「えーッ!? おいらたち霊鳥族の間では、何かめでたいことがあると、こうやって蜂の巣を掘り出してきてみんなで食べるんだよ。・・・こんなごちそうを食べないなんて、人間って変わってるんだね。」
「変わってるのはあんたよッ!! 大体ね―――――」
「何だアグリナ、騒々しい。・・・ほう、スガレだな。」
「オヤジ!?」
「あ、オヤジさん。おジャマしてます。」

そのとき、部屋に入ってきたのは火竜術士のイフロフだった。そのイフロフが、二人の目の前にある蜂の巣を目にして、一つ頷いた。

「・・・オヤジさんは、驚かないんですか?」
「うむ。この蜂は、わしの故郷ではスガレと呼ばれておったな。・・・この巣を掘り出してきたのは、お前かね?」
「うん、おいらだよ。」
「なるほど。空を飛ぶことができ、尚且つ火と風の力があるとなれば、スガレ追いには持って来いというわけか。」
「オヤジ? その・・・スガレ追いって何?」
「巣へと戻る蜂を追い、その巣を煙で燻してから掘り出す。それが、スガレ追いだ。トラガでは、子供たちの遊びとして・・・そして、あまり豊かとは言えない食生活を補うため、スガレ追いは盛んに行われておった。・・・ときにヴァータ。一つ、もらっても良いかな?」
「うん! さ、どうぞ!」
「あ、オヤジ―――――」

アグリナが止める間もなく、イフロフが手にしたはちのこを口に放り込んだ。しばらくして、小さく頷く。

「懐かしい味だ。昔を思い出すな・・・。」
「そうですね。おいらも、里を出てからはちのこを食べるのは初めてで! ・・・やっぱり、ふるさとの味っていいなあ。」
「しかし、単に生や焼いただけでは少々味気なかろう。どうかなヴァータ、トラガに伝わる秘伝の料理法があるのだが・・・試してみる気はないかな。」
「へえ・・・食べてみたいな。どんな風にするんですか?」
「うむ。まず、ミョウガの葉を用意して、そこに酒をだな・・・」

唖然とするアグリナを尻目に、二人の会話は益々盛り上がっていった。口を押さえたアグリナがその部屋から逃げ出すまでには、そう長い時間はかからなかった。

(二人とも・・・変よ! 絶対変よッ!!)

この日以来、アグリナの父とヴァータを見る目が変わったのは、言うまでもない。


はしがき

霊鳥族であるヴァータの食生活には、やはり人間とはかけ離れた部分があるんじゃないだろうか、と考えて出来上がったのがこの話です。カルチャーギャップをネタにしたという意味では、124番の『バスタイム』と同じ系統の話、ということになりますね。
構想自体は合同誌8号で『風天の歌』を書いた直後にはありましたが、その後長らく記憶の片隅に埋もれていたものです。2011年10月に京都で崎沢さんとお会いして、今後の「絵巻物」について色々と話をしているうちに思い出し、書き出したら僅か2時間程度でモノになってしまいました(笑)。

文中に出てくる「スガレ」とはクロスズメバチのことです。長野県を中心に、今でも蜂の幼虫を「はちのこ」として食べる風習が日本にも残っています。科学的な話をすれば、昆虫類は食べたエサに対する育ち方の効率が良いので、将来人口の増加などで今以上の食料生産が必要になった場合、牛などの家畜に代わって昆虫を養殖・食用とするようになる可能性もあるそうですが・・・個人的にはあまり食べたいと思うものではありませんね(苦笑)。まあ、これも生まれてからの“習慣”かどうかで決まるんでしょうね。