デジャヴ


アレクは、動物が動き始める気配で目を覚ました。
体に被せておいた木の枝を除け、眠っていた間に硬く凝り固まった体を解すように大きく伸びをする。
どこまでも続く、深い森。その中を彷徨い始めてから、今日で三日目になる。

(・・・・・・)

体の不調は、今日になっても残ったままだった。風邪の引き始めのような、微熱と不快なだるさ。
それが、絶えることなくアレクを苛んでいる。・・・ろくな装備もないのに、こうして野宿続きなのだから
無理もない。
今日こそ、この森を抜けることができるだろうか。
僅かに顔を顰めたアレクは、杖代わりの木の枝を手に歩き出した。


  *


鬱蒼とした木々のせいで太陽や星を見ることはできなかったが、倒れた木の年輪を見ることで、
方角を知ることはできた。それを頼りに、今は北へと向かっている。
幸いにも、今は暖かい季節のようだった。着の身着のままで夜を明かしても凍えるようなことは
なかったし、森の中には食べるものもふんだんに見付かった。
不思議と、食べられるものと、そうでないものを見分けることはできた。
眠る時、自分の体に被せる木の枝だってそうだ。朝方に降りる露が自分に付くことを防ぎ、同時に
動物たちが嫌う匂いのものを選ぶことで、眠っている間の身の安全を図ることもできた。
道具さえあれば、火を熾すことだって簡単だったろう。しかし、何故自分にそういった知識があるのか
・・・アレクには分からなかった。

歩きながら考えることは、いつも同じだった。
ここは、一体どこなのか。
何故自分はここにいるのか。
そして・・・自分は誰なのか。
どこの出身で、どんな仕事をしていたのか。
身に付けていた鉢巻に書かれた名前から、自分の名前がどうやら“アレク”であるということは
分かった。だが、それ以外のことはいくら考えても思い出せない。着ている服以外に持っている
ものは何もなく、そこから自分の身元を知ることも不可能だった。
考えれば考えるほど、不安が募っていく。そして、いつもアレクの思考は同じところに戻ってくるの
だった。
ここは、一体どこなのか。
何故自分はここにいるのか。
そして・・・自分は―――――





不意に、踏み出した右足が宙に浮いた。

(しまっ―――――)

ただでも薄暗い森の中なのである。ぼんやりと考え事をしながら歩いていたためか、目の前に小さな
崖があることに気付かなかったのだ。

(―――――ッ!!)

数十リンク下にあった地面が、スローモーションでアレクの目前に迫る。一瞬の後、アレクは地面に
叩き付けられた。

「・・・ぐあっ!!」

下になった右足に激痛が走る。痛みから気息奄々となったアレクは、しばらくの間身動きもできないで
いた。
何故、自分はこんな目に遭わなければならないのか。
何か、悪いことをしたのか。これほどの仕打ちを受けるような何かを。
何故。
何故。
何故―――――


やる方ない憤懣に苛まれて悔し涙を浮かべていたアレクは、不意に人の気配を感じて顔を上げた。
その瞬間、何故か脳裏には藍色の長髪の少女の姿が浮かんだ。だが、実際に目の前に立って
いたのは、小さな竹の籠を背負った赤毛の少女だった。
しばらくの間、アレクのことを不思議そうに眺めていた少女は、やがて小さく首を傾げた。

「・・・なにやってるの?」


『ね、なにしてるの?』


(あれ・・・?)

頭の中に、聞いたことのない声が響く。それに戸惑いながらも、アレクは返事をした。

「いや・・・」

もしかしたら、言葉が話せないかもしれない・・・という心配はしていたが、案外すっと言葉が口をついて
出た。

「そこから、落ちて・・・」
「へ?」

少女は、アレクの背後にある崖を見やった。

「あー。これかぁ・・・こっから落ちたんだ。」
「・・・・・・。」
「で? なんでまた、そうやってはいつくばってるワケ?」
「好きで、やってるわけじゃ、ないよ・・・。落ちたときに、足が、おかしくなって・・・ひどく挫いたか、
もしかすると、折れてるかも、しれない・・・」
「なるほどね。」

痛みから、途切れ途切れに答えるアレクに向かって、相手は頷くと白い歯を見せて笑った。

「なにはともあれ、ほっとくわけにはいかないね。よかったら、あたしの家に来ない? ケガの手当てを
しなくちゃ。」


『それなら、あたしの家においでよ。ケガしてるんなら、手当てしないといけないし・・・。』


(まただ・・・)

頭の中に、再び誰かの声が響く。先程と同じ声だったが、この少女ではない。
昔にも、こんなことがあったのだろうか。
こんなことを考えて首を傾げたアレクを他所に、少女は背負っていた竹籠を傍らに置くと、その場に
膝をついた。

「はい。とりあえず、つかまって。」
「だ・・・大丈夫かい?」
「え? あ、へーきへーき! こう見えても、いっつも鍛えてるんだからね!」

ガッツポーズを決めてみせた少女は、軽々とアレクを背負うと歩き出した。

「少し行ったところにね、あたしの家があるから。・・・少しの間、ガマンしてよね。」
「ああ・・・ありがとう。」

何故かは分からなかったが、不意に懐かしい気分に包み込まれたアレクは静かに目を閉じた。
もしかすると、何かを思い出せるかも知れない・・・そんな気がしたからだ。
しかし、瞼の裏には何も映ることはなかった。

「ほら・・・あれが、あたしの家だよ。小さいけど、宿屋なんだ。」

少女の声に、閉じていた目を開く。既に森は開け、周囲にはぽつぽつと建物が見られるようになって
いた。少女が指差した集落の中心部までは、ほんの僅かな距離だった。


はしがき

この話は、みーすけ。さんのリクエストで書きました。「アレクのその後」という注文だったのですが、
これは追放された直後のエピソードということになります。
なお、申し訳ありませんがこの話はしばらく続きます(邪笑)。詳しいことは続編をお待ちください。