残った物


「よう、調子はどうだいニーダ。」

ここは、里長であるクラリスの家の一室。半ばブラインドを下ろした窓からは、木竜の里特有の
木漏れ日が射し込んでいる。

「悪いな、なかなか来てやれなくて。あんたもわかってるだろ・・・竜医の相方って忙しくてさ。」

ベッドの中の人物に声をかけながら、その傍らの椅子に腰を下ろしたのは、大柄な風竜だった。
小さく肩を竦めた拍子に、腰まであるポニーテールが揺れる。

「とにかく人手不足でさ。あんたが元気になって、また昔みたいに活躍してくれるのを・・・みんな
心待ちにしてるんだぜ?」
「・・・・・・。」
「そうだ。今日はあんたに、土産があるんだ。」

そう言いながら、風竜がポケットを探る。やがてニーディアの掌の上に載せられたのは、小さな
緑の葉だった。

「ほら。四葉のクローバーさ。この前コーセルテルに行った時に見つけたんだ。」
「・・・まあ。」

それまで相手の言葉にもまるで反応せず、その視線を宙に彷徨わせていたニーディアは、ここで
初めて嬉しそうに微笑んだ。

「・・・これを、私に? ・・・嬉しい・・・。」
「ああ。よければ、お守りにでも―――――」
「でも、セーファス様には大切な研究がおありなのでしょう? 私などのために・・・その、よろしかったの
ですか・・・?」
「ニーダ・・・。」

風竜の言葉を遮り、ニーディアが言う。受け取った四葉のクローバーを胸の前でそっと握り締める
様子には、抑え切れない喜びが溢れていた。そのため、無邪気な笑顔と相まってますます痛々しく
見える。
しばらくの間、沈痛な表情を浮かべて相手のことを見つめていた風竜は、やがて小さく溜息をつくと
椅子から腰を上げた。

「また、来るよ・・・。」


  *


「いつも、ニーダのお見舞いをありがとう。」
「ああ、どうってことないさ。あいつとは、長い間一緒に戦った・・・言わば“戦友”なんだからさ。」

部屋の外で待っていたクラリスに頭を下げられて、風竜のセシリアは小さく手を振った。
廊下を並んで歩きながら、クラリスが尋ねる。

「それで、新しい竜医はどう?」
「メルか? そうさな・・・やっと固さも取れてきたし、数年も経験を積めばいい医者になるさ。」
「そう。良かった。」

セシリアは、クラリスやニーディアとは同じ時期にコーセルテルで育った仲だった。やがて成竜となった
後は、竜医となったニーディアの“助手”として世界を巡る毎日を送るようになった。
竜たちの里は世界中に散らばっている。その間を安全かつ効率よく移動するため・・・そして、緊急の
場合に素早く目的地に駆け付けることのできるよう、竜医となった木竜にはその移動を担う風竜の
助手がつけられるのが普通だった。そして、通常は禁じられている異種族の里への出入りも、この
竜医とその助手に関しては例外的に認められる決まりになっていた。

「まあ、ニーダほどの腕の竜医は・・・後にも先にもお目にかかれないだろうけど、さ。」
「・・・・・・。」

客間に招き入れられ、ソファーに腰を下ろす。しばらくの間、出された紅茶を黙って啜っていた
セシリアは、やがてぽつりと呟いた。

「なあ・・・。ニーダのやつ、ずっとあんな調子なのか?」
「ええ、残念ながらね。・・・何か、きっかけがあればいいんだけど。」
「あんたは里長なんだろ。いや、族長でも誰でもいいけど・・・なんとかできないのか。」
「無茶を言わないで、セス。・・・いくら私たち木竜だって、心の問題だけはどうにもできないのよ。」

セーファスの館で発見されたニーディアは、半狂乱の状態だった。そこで何があったのかは、誰にも
分からなかったが・・・それ以来、ニーディアの心は壊れてしまったままだった。未だに、最愛の存在
だったセーファスの死を受け入れることができず、その幻影を探し求めているのだ。

「何か、あたしにもできることはないのかな・・・。あいつのあんな様子を見るたびに、やりきれない
気持ちになるんだよ。」
「そうね・・・。」

黙り込む二人。しばらくして、口を開いたのはクラリスの方だった。

「ねえ、セス。ニーダとセーファスの“研究”のことだけど・・・。・・・あなたはどれくらい知ってるの?」
「セーファスの術士を、生き返らせる研究だってことくらいさ。けど、あんなことになっちまったし・・・
どう見たって失敗じゃないのか?」
「もちろん、結果だけ見ればね。でも、研究自体は順調に進んでて・・・あと一息のところまで行って
いたのよ。」
「・・・じゃあ何か? 運が悪かっただけ、ってことか?」

頬を歪めるセシリア。そんな相手に向かって、クラリスが諭すような調子で言葉を継いだ。

「竜術士の問題は、どちらにしても私たち竜にとって死活問題よ。このまま術士のなり手が
減り続けると、いずれ“竜術士”自体が幻の存在になってしまいかねないわ。」
「まあ、そりゃな。けど、あの“研究”は宙に浮いたままなんだろ。後継者を探して、完成に
こぎつけようってのか?」
「それは難しいわね。セーファスが死んで・・・ニーダはあんな様子でしょう? 研究の詳細を知っている
人は、誰もいないのよ。もちろん、研究結果を記した資料は残っているけど・・・日頃から進捗状況の
報告を受けてた私だって、その十分の一も理解できないもの。」
「昔から、秀才で鳴らしてたあんたでもそうなのか・・・。」

呆れたように、セシリアはソファーの背もたれに寄りかかった。

「それでね・・・。セス、あなたに折り入って頼みがあるんだけど。」
「あたしに? まさか、研究の続きをやれっていうんじゃないだろうな。自分で言うのもなんだけど、
そういうのは苦手なんだって・・・あんたもよく知ってるだろ?」
「そうだったわね。」

小さく肩を竦めたセシリアの様子に、クラリスはくすっと笑った。
もともと「勉強」と名のつくものは苦手な者の多い風竜族。その中でも、セシリアは特にその傾向が
顕著だった。何と言っても、コーセルテル時代には本を読むのが嫌という理由だけで、何度も家出を
繰り返したほどの前歴の持ち主なのである。

「それでね。この件について、長老様たちは今・・・次の“計画”を考えているの。」
「ふーん。一体、何をするつもりなんだ?」
「それはまだ・・・言えないわ。」
「・・・・・・。」
「でも、それには風竜の協力が欠かせないの。コーセルテルの外へ出る必要があるから・・・。」

俯いていたクラリスは、ここで顔を上げた。

「内容も話さずに、ただ協力しろなんて・・・虫のいい話だってことは、分かっているの。でも、この
“計画”はまだ極秘の扱いだし・・・。私としては、昔からの知り合いのあなたに頼むしかないの。」
「・・・・・・。」
「お願い・・・。ニーダの百年を無駄にしないために、引き受けてくれないかしら。」

しばらくの間、頭を下げたクラリスをじっと見つめていたセシリアは、ゆっくりと頷いた。

「いいさ。ニーダのために、って言われたらな・・・。引き受けるしかないだろう?」


はしがき

単発のエピソードで終わる予定だった『Day by day』でしたが、その続編を思いついてしまったので、
その「予告編」としてこの話を書きました。前作もとにかく暗い話でしたが、続編はそれに加えて「竜」に
対するかなり穿った見方をしたものになりそうです(『萩野原』のスタンスと近いでしょうか)。