コンプレックス～秋の歌会Ⅱ～

コンプレックス
～秋の歌会Ⅱ～

春夏秋冬の精霊たちの都は、それぞれその佇まいに応じた別名を持っている。南大陸の南端近く、
クラウト山脈のほぼ中央に位置する春の都のそれは、“水の都”だった。
春帝のおわす宮殿は、都の南端に近い場所にあった。周囲には都の行政の中枢をなす役所や、
政府高官や春軍幹部のための邸宅が軒を連ね、それらを囲むようにして小規模な城壁と、
幅百リンクほどの内濠がある。
内濠の外側は、下級の役人と春軍兵士たち、及びその家族のための住居区域だった。一帯を囲む
外濠の幅は広いところでは二百リンクにも達し、東西南北に向かって架けられた橋の袂には春軍
各方面軍の駐屯地があって、橋の通行に目を光らせている。
外濠の外側には一般の春の精霊たちが住んでおり、それを囲むようにして周囲一帯は広大な
湿地帯になっていた。辺りにはクラウト山脈南側に雨をもたらした雲の名残が霧として常時立ち込め、
空を飛ぶことのできない者にとってはこの地を訪れることはおろか、それを発見すること自体が
極めて難しい。こうして、南大陸に人間族の侵入を許した三千年戦争以後も、春の都は「他種族
不入の地」という地位を守り続けることができていた。
山脈の北斜面に位置するという地勢上、春の都は宮殿を頂点とした緩やかな勾配の中にある。二つの
大きな濠は、山頂よりミガンティク中央部に向けて流れ下る川をそのまま利用したもので、濠を巡った
水はやがて、都の中を網の目のように走る水路に流れ込む。それは街路の脇や住居の庭先、時には
住居の内部にまで引き込まれ、一年中涼しげな水音を愉しませてくれるのだ。
このように春の都では、その存在から精霊たちの身近な生活に至るまで“水”が深い関わりを持って
いるのだった。・・・これが、春の都が“水の都”と称される所以である。

この日・・・この年の秋の歌会が開催され、招待された冬軍たちが都に到着した日。迎賓館から少し
離れたせせらぎの畔に、一人の冬軍の姿があった。
日差しを避けてか、程良い大きさの木陰に座り込んだその冬軍は、その幹に上半身を預けるような
格好だった。閉じられたままの両眼・・・その眉間には深い縦皺が寄せられている。

（・・・―――――）

やがて、その木の傍らに音もなく舞い降りた影があった。
春の都では珍しい褐色の肌に、左頬に描かれた赤い紋様。大判の丸眼鏡をかけたその春軍は、
相手の様子をそっと窺いながら、ゆっくりと木蔭へと歩を進めた。
その気配を感じ取ったのだろうか。目を閉じたまま、冬軍が言う。

「・・・誰だ。」
「あ・・・。すまねえ、起こしちまっただか。」
「別に、最初から眠ってなどいない。」

寄りかかっていた木の幹から身を起こした冬軍が、冷たい目で相手を睨み付けた。その言葉にも、
どことなく棘がある。
癖のある短髪。冬軍の正装である紺の鉢巻きは、跳ね上がった前髪に隠れてしまっている。かなりの
垂れ目なのだが、それがかえって相手を睨んだときの迫力を増している。

「それで、私に何の用だ？」
「いや、その・・・特に、用ってわけじゃねえんだけども。」
「ふん。正直に言ったらどうだ。監視か、警告か・・・まさか暗殺か？　刃を交えるつもりなら、受けて
立つぞ。」
「ち・・・違うだよ。上を通りがかったら、偶然あんたを見付けて、それで―――――」
「どうかな。どこの馬の骨とも知れない冬軍に、都を好き放題にうろつかれては春軍の名折れ
だろうが。」
「本当だっぺよ。こんな所に、ポツンと一人で・・・しかも倒れてるべ？　具合でも悪くなったんじゃ
ねえかと、心配になるべさ。」
「・・・・・・。」

慌てた様子で弁解を始めた春軍は、ここで自分のことを不思議そうに眺めている相手の様子に
気付いた。

「やっぱり・・・おらのしゃべり方、おかしいだか？」
「ああ、いや・・・。そういうつもりでは―――――」
「気にしねえでけろ。笑われるのには慣れてるから、いいんだっぺよ。」

苦笑いした春軍が、頭を掻いたときだ。相手の唇から、小さな笑いが漏れる。たちまち破顔した
冬軍が、腹を抱えて笑い始めた。

「ははっ、あーはっはっは！　こ、こりゃあ傑作や！」
「あ・・・、あのー・・・？」
「ああ、悪い悪い。あんたのことを笑うたわけやないんや。いや、世界は狭いっちゅうのは本当やな。
うちと同じ悩みの持ち主が、まっさか春軍におるとはな！」
「じゃあ、あんたも・・・？」

大きく頷いた冬軍が、涙を拭いながら頷いた。勢いよく手を差し出しながら言う。

「挨拶がまだやったな。うちは、冬軍凩隊隊長のトチ。以後よろしゅうにな。」
「あ、こりゃご丁寧に。おらは、春軍鎮南将軍のザザってもんだ。」
「鎮南将軍？　ってことは、南軍の指揮官やん。こないなとこで油を売っててええのんか？」
「トチ殿こそ、冬軍北都の特殊部隊として名高い、凩隊の隊長さんなんだべさ。歓迎会をすっぽかし
ちまって、大丈夫だか？」
「“殿”はやめてえな、うっといわ。うちはええんよ。もともと、この歌会には呼ばれておらん身ィやったん
やし・・・」
「？」

小さく首を傾げたザザに向かって、にんまりと笑ったトチが片目を瞑ってみせる。

「招待された、冬軍の代表にはもう会うたんか？　ほれ、あのカタブツや。」
「もしかして、ヒノキ殿のことだべか？　んだ、挨拶だけは済ませたけんど・・・」
「あんな、ヒノキはうちの彼氏なんよ。」
「えと、彼氏ってえと・・・えーっ！？」
「うちとヒノキ、それからリュネルの団長のアズサは同期でな。最初は北海寒気団に揃って配属されて、
そこでうちは一目惚れ。ところが、どないなわけか異動でうちは凩隊に飛ばされて、おいそれと会えなく
なってもうてん。あっちは順調に出世して、今じゃ北海の団長やん。ますます縁が遠なってもて、寂しい
限りやわ・・・。」
「はぁー・・・。あ、あの・・・気を確かに・・・」

おろおろするザザ。よよと泣き崩れる仕草をしてみせていたトチが、ここでけろりとした顔で笑った。

「で、そないなときにこの歌会の話を聞いてな。これや！　って思うてん。しっかしなぁ・・・ひどい話やと
思わへん？　せっかく会えると思うてさ、“冬将軍からの伝令や”いう話をでっち上げて、無理やりここ
まで来たったのに。肝心の彼氏は、春帝のお召しだかでおらんいう話やん？　ほならと探した無二の
親友は、これまた何や知らんけど大都督サマといちゃついとるらしいし。」
「ははあ・・・なるほど。」
「ほんま、アホくさいやんか。すっかり暇を持て余してもうてな・・・おもろないんもあって、ここで
不貞腐れてたんよ。」
「じゃあ、具合が悪いとかってわけじゃねえんだな？　はー、安心したべさ・・・」

トチの言葉に、ザザはホッとした表情になると、胸を撫で下ろす仕草をした。その様子に、トチが
苦笑いを浮かべる。

「あんたな・・・。言っちゃなんやけど、そないでよう将軍が務まっとるな。」
「んだな、その通りだっぺ。“春五軍”なんて言うけど、南軍が他の軍と交戦したことなんて、有史以来
ねえんだな。おらたちの仕事は、春の都を守り、周りの精霊たちと仲良くするってことだでなぁ・・・。
一年のほとんどは都にいねえから、すっかり言葉もなまっちまってこの通りだっぺ。」
「うちも似たようなもんや。伝令で北大陸の隅から隅までを飛び回るやん？　東の方は、訛りがきっつい
からなぁ。」
「んだなぁ。・・・今日みたいに、宮廷に詰めなきゃいけねえ日は、いつも憂鬱なんだべ。歌詠みも
苦手だし、宴席でもこの癖が出て、どうせ笑われちまうから・・・」
「せやな。せっかくの宴会も、全然楽しめへんもんなぁ。よう分かるわ。」
「口の悪い同僚には、“お前は黙って笑っとれ”なんて言われて・・・ああもう、はんかくせえ。」
「お互い、苦労が絶えんちゅうわけやな。」

がっくりと項垂れるザザ。頷きながら聞いていたトチが、その肩を労わるようにぽんぽんと叩いた。
公式の場所では、身形や所作などにある程度の格式が要求される。無論言葉遣いもそれに含まれ、
それが至らない者はどうしても“田舎者”の烙印を捺されてしまいがちなのだ。普段から注意しては
いるものの、興奮したり酒が入ったりすると素が出てしまうトチ自身、嘲りの目を向けられて悔しい
思いをしたことが何度もあった。軍人の集団である冬軍でさえそうなのだ。春軍の“宮廷”では、
さぞかし窮屈に違いない。

「ところでな。さっきから、気になってたんやけど。」
「なんだべか？」
「あんたの腰に付けてるそれ。何や？」
「ああ、これか？」

ザザが目を向けた先、その腰回りには妙なものがぶら下げられていた。直径一リンク、高さ一リンク半
程の円筒形をしたそれが、二本セットになっている。その見かけから、どうやら革製らしい。

「これは、伝令用の太鼓なんだ。南大陸は水や緑が多いべさ。上から見ても分からねえことが結構
あるから、南軍じゃ合図はこいつを叩いて伝えるんだ。」
「そいつは初耳やな。まあ確かに、雪と氷だらけの北大陸は、隠れる場所もあらへんしな。」
「実際、おらは戦いで使ったことはねえんだけども。いつ、必要になるか分からねえからな・・・」

言いながら、何気なく太鼓を叩いてみせるザザ。革特有の乾いた音が辺りに響き渡る。その洗練
されたリズムに、トチが目を丸くした。

「へえ・・・上手いやん。」
「へへ。暇があると、いつも叩いてるんだ。地元の精霊たちとの酒盛りでも、唄が出たときなんかにな。
・・・部下もみんな、上手いもんだっぺよ。」
「いや、大したもんや。才能もあるんやないかな？」
「えへへ・・・。照れるべさ・・・」

恐らく、他人から褒められることなど滅多にないのだろう。トチの手放しの称賛に、ザザは真っ赤な顔で
頭を掻いた。

「こんな合図もあるんやな。・・・うちらは、ユキガラスっていう鳥を使うとる。団長クラスには皆おってな、
指示書の類はこいつに運ばせるんよ。」
「はあ・・・賢い鳥なんだべな。」
「まあな。うちのはてんで可愛気があらへんけどな。何かあるといっつも喧嘩や。」
「あはは・・・。」
「まあ、うちらはこれで話ができるから、大事なことは伝わるんやけど・・・」

言いながらトチが取り出したのは、腰の後ろに差していた一本の横笛だった。長さ二リンク足らずの
それは、構えられたトチの手の中で、明るい日差しに眩い銀の煌きを放った。
トチの唇が、歌口に触れる。次の瞬間紡ぎ出されたのは、口笛を思わせる高く繊細な旋律だった。

「はぁー・・・。これまた、すげえもんだべな。」
「冬軍に代々伝わるもんでな、“烏笛”言うんよ。凩隊は伝令の任務が多いから、隊員になるには
この笛を吹けることが条件なんやけど・・・そうや！　ええことを思い付いてん！」

元通りを腰に差したトチが、ここでポンと手を叩いた。傍らのザザに向き直ると、目をキラキラさせて
言う。

「今度、うちらの部下とあんたらとで、合奏せえへん？　脂汗流しながら出来損ないの歌を詠むより、
よっぽどマシやん！　それに、こいつには“言葉”も要らへんしな。」
「ああ・・・そりゃええ考えだ！」
「よーし決まり！　来年向こうに来る時には、選りすぐりの部下と楽器を持って来てんか。うちらも腕に
よりをかけておくさかいな！」
「心得たっぺ！　うーん、次の夏が待ち遠しいなぁ。・・・ほんじゃ、おらはそろそろ宮廷に戻ることに
すべえ。あんま待たせると、同僚が癇癪を起こしちまう。」
「せやな。じゃ、また後でな！」

笑顔で握手を交わす。飛び去るザザの後ろ姿を見送りながら、トチは誰にともなく呟いたのだった。

「ふふ・・・歌会も、満更でもないもんやな！」

はしがき

両軍の「色モノコンビ」の登場です（笑）。トチは「栃の木」、ザザはサボテンの一種の名前です（花に
惹かれてこの名前を選びました）。
この話を書くに当たって何が大変だったかって、そりゃ勿論方言です。トチは関西系、ザザは東日本系
ということでそれぞれの訛りを考えた（あ、行動範囲の関係から二人の訛りはいくつかの方言が入り
混じっています）わけですが、交互に喋られると書いているこっちが混乱してしまうんです（笑）。以後
二人は親友となりますが、二人合わせての登場は控えた方がいいのかしらと悩み中です（大笑）。

文中に登場した二つの楽器。トチの持つ「烏笛（からすぶえ）」は、現代楽器ではピッコロが近いです。
ピッコロとは違い全てが金属製であり、この旋律によってユキガラスに指示を伝えます（楽譜は凩隊の
秘伝とされています）。対してザザの持っていた太鼓には特に名前はありませんが、これはボンゴに
近いです。
なお、この話の登場人物二人のうち、トチのみにアイコンが存在します。ザザについても実は「下書き」
はしてみたので、いつか形にしてみたいと思っています。