雨の日


雨の日は、嫌いだった。
幸せだった故郷のことを思い出してしまうから。


  *


「へ? 雨が嫌いだって?」

いつものように、学校帰りに湖畔を訪れていた水竜のトレントは、アルファライラの水精らしからぬ
告白に面食らった顔をした。
折りしもコーセルテルは雨季の真っ只中。この日も雨で、本来湖畔から望めるはずの風景は一面
雨に煙っている。

「そりゃまた、どうしてさ・・・」
「・・・・・・。」

両手を広げて問いかけるトレント。アルファライラは、複雑な顔をすると黙って俯いた。
コーセルテルの雨は、アルファライラの故郷のそれとは違う。故郷の雨は熱帯の・・・激しく降り
出したと思ったらからっと上がる雨。それに対し、ここの雨は細かく上品だ。そう、まるで彼女の
故郷とコーセルテルの精霊たちの性質の差を象徴するかのように・・・。

(こりゃ、何とかしないとな・・・)

その場の重苦しい雰囲気に、トレントはある決心をしたのだった。


  *


「じゃーん!」

翌日。この日も雨だった。
いつものように湖畔に現れたトレントは、見慣れない黄色いものをその手に持っていた。

「これは・・・一体なんだべか。」
「これはね、“傘”って言うんだ。」
「かさ?」
「うん。人間は、雨に濡れると大変なことになるからねー・・・これはレナの故郷の特産品らしいん
だけどさ、無理言って一本もらって来たんだ。」

これで一月は料理当番さ、と小さく肩を竦めたトレントは・・・それでも笑顔で「はい」とその“傘”を
アルファライラに手渡した。

「さあ、差してみて。」
「えーと・・・?」

どうやら使い方が分からなかったらしい。困った顔をして傘をひねくり回していたアルファライラは、
とうとうそれをそのまま頭の上に乗せてしまった。それを見て、思わず吹き出すトレント。

「ははっ、違うよライラ。これはね・・・ここを外して。」

ぱんっ。
留め金を外して、傘を開いてみせるトレント。

「・・・ぅわっ!」

棒だと思っていたものが急に大きく広がったので、驚いたアルファライラはその場に尻餅をついた。
トレントはその様子をにやにやした顔で眺めている。

「あー・・・びっくり・・・」
「さ、ここ持って。」
「こ・・・こうだべか?」

言われるままに傘を差してみるアルファライラ。碧の髪、青い湖面と黄色い傘が絶妙のバランスで
ある。
ふいに風が吹き、近くの木々の葉に溜まっていた水滴が傘へと落ちかかる。
ぱらん。

「ひゃっ!」

その音に、思わず首を竦めるアルファライラ。

(かっ・・・かわいいなあ)

音の正体が分からずに、驚いたり飛び跳ねたりしている水の精霊をトレントは微笑ましげに見守った。

「少しは、心が晴れたかい・・・?」
「あ・・・うん。」

雨の日、初めて見たアルファライラの笑顔。相手が微笑んだのを見て、トレントはよし、といった風に
頷いた。

「んじゃ、今日はもう帰るよ。」
「え、もう・・・」
「うん。雨の日はレナがさ、心配するんだ・・・きっと、僕が水竜だってことすっかり忘れてるのさ。」

自らの竜術士の名前を口にし、肩を竦めてみせるトレント。

「あ、その傘は君にあげる。水の精霊が傘・・・ってのも何だか変だけど、気に入ってくれたらうれしい
な。」
「うん・・・。ありがとう。」
「何たって、僕の一月分の料理当番と引き換えなんだからね!」
「・・・・・・。」

こうして、苦笑いしたアルファライラに向かって手を振ったトレントは、土手を登りかけ・・・その半ばで
立ち止まると振り返った。

「ああ、雨のことだけどさ―――――」
「え?」

傘を差したまま首を小さく傾げたアルファライラに向かって、トレントはにっこりと微笑んだ。

「僕は好きだな。なんたって・・・」

その笑顔は、すぐそこまで迫った夏の象徴・・・向日葵の花のようだった。

「邪魔者が減るんだからね! ・・・ライラ、君と会うのに、さ。」


  *


雨の日は、嫌いだった。
そう、“傘”をもらったこの日までは。


はしがき

トレントが、アルファライラと出会ってしばらくしての一コマです。「傘に落ちかかる水滴」は、『となりの
トトロ』を想像していただければ近いかと(笑)。