週末の過ごし方
〜ヴァリヤークの場合〜


アミアン地方中部には、無数の湖沼が散らばっている。世界地図に載るような大きなものから、周囲
百歩ほどの小規模なものまで、その大きさは実に様々だ。
その一角。名もない湖の岸辺に、一つの人影があった。湖を抱くように聳えるケヤキの木に寄り
かかった水精の青年は、ぼんやりと夜空に目を遊ばせていた。



『何でもこの湖沼地帯は、一帯の造山活動とやらの結果できたのだそうだな。後数万年もすれば、この地も
南北に引き裂かれてしまうと聞いたが・・・無論実感など湧かん。』




俺だってそうだよ。
直接会ったことは、何度あったか。この地には珍しい人間族は、目をきらきらさせて自分の他愛ない
話に聞き入ったものだった。

(―――――!)

不意に、厚い雲の垂れ込めていた空から水滴が落ち始めた。たちまちのうちに、広い湖面が波紋に
覆われていく。この湖ができ、自分がその主となってから・・・もう、数え切れないほど見てきた光景
だった。
判で捺したように繰り返される、退屈な毎日。そんな日々に再び変化が現れたのは、つい最近の
ことだ。毎週土曜日の夜、嵐と共にそれはやって来るのだった。

(そろそろかな・・・)

相変わらず木にもたれかかったまま、青年がにやりとしたときだ。水面を吹き抜けた一陣の風が、
辺りの森を大きくる揺るがした。
その視線の先、湖面のほぼ中央に見慣れたシルエットが浮かび上がった。お馴染みのレイン
コートが、岸辺に掲げられた灯りに七色に煌く。

(毎度毎度、派手なこって―――――)

小さく肩を竦め、青年が立ち上がる。その傍らにふわりと舞い降りた相手が、早速といった様子で
腰に手を当てると青年に食ってかかった。

「ちょっとヴァリー! どうしてあたしがここに来る時は、いつも雨なのよ! あたしが雨が
苦手だって知ってるくせに!!」

「つったって、雨は俺たち水の精霊の管轄じゃないんだぜ。大方、あんたの風が雲を呼んでるんじゃ
ないのか。」
「じゃあ何、あたしのせいだって言うの!?」
「そう言ってる。」
「ちょっと―――――」

目を剥いた相手の言葉は、次の瞬間歓声にかき消された。声の主は、湖の周辺に住まう水精や
木精の子供たちだ。

「おねえちゃーん、いらっしゃい!!」
「待ってたんだよ! 今日はボクのこと描いてよね!」
「あ、順番! あたしが先だったら!!」
「あーはいはい、わかったわかった。仲良くしないと、絵はなしよ!」
『・・・はーい。』
「よろしい!」

掴み合いを始めんばかりだった子供たちが、たちまちしゅんとなる。満面の笑みを浮かべた相手は、
宥めるように子供たちを抱き締めたのだった。

「さ、最初は誰かしら?」


  *


「しかしさ。監察官サマってのも大変なお仕事だよな。」
「え?」

夜も更けて、湖畔の残るのは二人だけになっていた。
頭の後ろで手を組んだヴァリヤークの何気ない台詞に、スケッチブックに向かっていた相手が顔を
上げる。そんな相手に向かって、ヴァリヤークはにやりと笑いかけた。

「だってそうだろ。こんな取るに足りないトコまで毎週やってきてさ。それも休日返上なんだろ? よくも
まあ続くと思ってさ。」
「まあ、呆れた。あなた、そんな風に考えてたの?」
「何だよ。違うのか?」

僅かに眉を寄せた相手が、小さく肩を竦めた。

「そりゃあね。多少はそういう要素もあるけど。・・・監察官の仕事は、現地の情勢を調べて中央に
送ることだし。」
「ほれみろ。やっぱ、そうなんじゃねえか。」
「けど、あたしがここに来るのには・・・他にちゃんとした理由があるんだから。」
「へえ・・・」

先を促すように小首を傾げるヴァリヤーク。しかし、再び湖面に目を戻した相手は、黙って鉛筆を
動かすだけだった。しばらくして、再び口を開いたのはヴァリヤークの方だった。

「何なんだよ、その理由ってのは。」
「あー、何よ。もしかして、気になるの?」
「うるせえな。そこまで気を持たせたんだ、言ってもバチは当たらねえだろうが。」
「ふふ・・・」

にやにやしていた相手の表情が、ここでふっと懐かしげなものに変わる。

「ヴァリー、覚えてない? 大昔、ここに来た人間族がいたはずよ。」
「どうしてそれを? ・・・ひょっとしてあんた、正体を知ってるのか?」
「あれはね、フェスタ黎明王アイザックの妻、竜王の竜術士ユーニスよ。」
「竜王のカミさん!? まさか、ウソだろ!?」
「そうよ。ははぁ・・・その様子だと、全然気付いてなかったみたいね。」
「あったり前だろうが! んなお偉いさんが、一人でこんなど田舎に来るなんて、誰も考えや
しねえよ!」


うろたえ気味もヴァリヤークの様子を、相手は楽しそうに眺めている。

「あたしはユーニスに育てられたから。ま、言ってみればユーニスはあたしの母さんってことになるの。
・・・あなたのことは、ユーニスからよく聞いてたのよ? アミアンで、友達ができたんだって・・・それは
嬉しそうに言ってたわ。」
「友達って・・・んなつもりはなかったんだよ。ただ、ちっと話をしただけでさ・・・。」
「ユーニスは、もう随分前に亡くなったの。人間だからしょうがないけど・・・だから、あたしはここに
来たの。ユーニスの憧れだった、この南の地に。」
「そう・・・だったのか。」
「そして、あなたと会った。ふふ、ユーニスの言ってた意味がそりゃもうよくわかったわよ。」
「・・・そいつは、褒められてると受け取っていいのか?」
「さてね。・・・よし、今日はこれでおしまい。」

にやりと笑った相手が、ぱたんとスケッチブックを閉じた。散らばっていた鉛筆を手早く袋に投げ入れて
腰に結わえ付けると、傍らに脱ぎ捨ててあったレインコートを羽織る。

「さてと、そろそろ帰るわね。明日も朝から仕事だし。」
「お、そうか。」

立ち上がり、伸びをした相手に向かって、ヴァリヤークが何気なく言った。

「また、来いよ。」
「え? ・・・うん、もちろんよ。」
「今度は、晴れるといいよな。あんたが来る時にも・・・さ。」
「え・・・?」

ここでふと顔を上げた相手が、目を丸くする。
いつの間にか霧の晴れた湖面には、眩い月の姿が映し出されていた。空気は彼方まで水晶のように
澄み渡り、夜空の星々の瞬きまではっきりと見分けることができる。一年を通じて高温多湿であり、
絶え間ない降水のあるアミアンでは滅多に見られない光景である。



『夢のような景色だな。・・・やはり、ここに来て良かった。』



しばらくの間、口をぽかんと開けてこの景色に見入っていた相手は、やがて振り返るといたずらっぽく
笑った。

「やっぱり、ウソじゃない。雨は水精の管轄じゃないだなんて。」
「いんや? こうやって、地上に降りてきた水なら操れるってだけさ。」
「そう。じゃ、そういうことにしておいてあげるわ。」

手を振った相手が、ふわりと舞い上がる。北へと消えていくその後ろ姿を見送っていたヴァリヤークの
横顔は、晴れ晴れとしたものだった。

(土曜の夜が、待ち遠しくなるな―――――)

そうだ。これでまた、当分の間は退屈しなくて済みそうだ。


はしがき

実に前作より1年以上経っての「漉嵌」新作(爆)は、『記念日』でも触れられていた、ユーニスと南の
地との関わりについての話になりました。なお、今回の執筆の強力な原動力となった元ネタ曲が
ありますので、興味のある方はそちらもどうぞ。

BGM:土曜日の恋人(山下達郎)