兄弟


火竜術士の家には、居住部分以外にも多くのスペースがある。
大きな窯の据えられた工房から、今では物置としてしか利用されていない小部屋まで、その数はかなりに上る。恐らく、代々の火竜術士や火竜たちが、種々の作業に利用するために増築されてきたものなのだろう。
コーセルテルに囚われの身となった、冬の精霊サカキ。彼が宛がわれたのもまた、そうした小部屋の一つだった。最初は居住部分の部屋を提供すると言われたのを、サカキが頑なに拒否したからだった。
環境は劣悪だったが、騒々しい家の住人・・・何より、頻々と家に顔を見せる弟の仇と鉢合わせをしなくて済むことが、何よりサカキにとっては有難かった。
そもそも自分は、この土地の住民と馴れ合うためにここにいるのではない。懲罰のために、否応なくコーセルテルという“獄”に繋がれているだけなのだ。いずれ自分はこの地を去るべき身であり、それ以上を望むべきではなかった。



『お帰りなさいませ、兄様!』
『・・・モッコク。冬軍に入ったからには、お前と私は部下の上官の関係だ。“兄様”は止せと言ったろう。』
『は・・・はいッ! 申し訳ありません、兄上。』
『うむ。それで良い。』




(モッコク・・・)

瞼を閉じると、今でも弟の姿が目に浮かぶ。
弟は、自分とは正反対の性格の持ち主だった。
素直で明るく、大らかな気質。あのキラキラと輝く瞳・・・そして、自身に向けられた笑顔。それは今も、脳裏に鮮やかに蘇る。兄であり、寒気団の副団長である自分の引き立てに頼らずに独り立ちしようという気概も持ち合わせており、幹部の間でその話題が出る度に誇らしい思いを抱いたものだ。

(許せぬ・・・)

弟の形見である短刀を握り占める手に、力が籠もる。
面と向かって口にしたことはなかったが、サカキは弟の真っ直ぐな性格を羨ましく思っていた。いつの日か、兄弟で軍を率いる日が、必ず来る。それが何よりの楽しみだったのだ。・・・しかし、そのささやかな望みはあの日、粉々に打ち砕かれてしまった。

(・・・・・・)

もう、あれから三か月。外は春の気配に満ち、季節が明確に変わろうとする今になっても、サカキは満足に眠ることもできずにいた。
本当は、怒りに任せて弟の仇に斬り掛かりたかった。相手は四六時中火竜術士の家に入り浸っており、その機会はいくらでもあった。
しかし、周囲には火竜術士一家を初め、多くの眼があった。このことが上に知れれば、コーセルテルに軟禁される期間が延びるだけだろう。・・・何より、屈託のない相手の様子に、弟の笑顔が重なって見えるのだ。そのことが、サカキにとって一番やりきれないことなのだった。

「サカキ。・・・居るかね?」
「!」

不意に、部屋の外から声をかけられた。
ばっと振り向いたサカキの視線の先、部屋の入り口に立っていたのは、火竜術士のイフロフだった。
弟の仇である、霊鳥族のヴァータが取り憑いたアグリナは、このイフロフの実の娘なのだという。活発な娘に比べ、父はいつも茫洋とした表情で家族の遣り取りを見守っていることが多かった。一応当代の正式な火竜術士であり、この家の主ということになるのだろうが、それらしい言動をサカキは目にしたことがなかった。

「私に、何か用か。」
「どうだ。たまには、茶でも飲まんか。」
「・・・何だと?」
「見たところ、今は特に仕事があるようでもなさそうだ。こんなところで一人塞ぎ込んでいるのは、体に悪かろう。」

余計なお世話だ、と言いかけて、サカキはぐっと言葉を飲み込んだ。
団長であるイチイからは、一年間のコーセルテル滞在を申し渡されている。 来年の冬、自分がここから解放される条件は、コーセルテル全体の同意が得られること。そのためにこの一年、自分は出来る限りコーセルテルの住人達に対して従順なところを見せなければならない。例えそれが、自らの意志にそぐわなくてもだ。

「・・・いいだろう。今、行く。」
「そうか。では、家の客間に来てくれ。」

渋々といった様子で頷くサカキ。当の相手は、そんなサカキの胸の内を知ってか知らずか、軽く頷くと踵を返した。忌々しげにその背中を睨み付けたサカキが、ややあってその後を追う。

「もう、ここの暮らしには慣れたかな。」

客間の机に向かい合って座る。早速と言った様子で手元の茶碗を口に運んだイフロフが、何気ない様子で尋ねた。

「・・・別に、不自由はない。」
「それは何よりだ。しかし、季節ももうすぐ春だ。わしには精霊のことはよく分からんが、外が温かくなると、冬の精霊にとっては辛いのではないかな。」
「心配はない。暑さにやられるほど、私はやわではない。」
「そうか。・・・だがな。お前の使っている部屋は、夏になるとひどく熱が籠もるはずだ。・・・どうかな。今からでも、家の空いている部屋に移る気は―――――」
「待て。」

イフロフの言葉を遮り、サカキが言う。

「解せぬな。・・・私は、このコーセルテルで懲罰に甘んじる身。気遣いは無用にして貰おうか。」
「・・・・・・。」
「団長からは、この一年・・・コーセルテルの為に尽くすことを命じられている。貴殿の娘御・・・あるいは、貴殿や他の住人に命じられることがあれば、出来る範囲で何でもさせて貰う。しかし私には、それ以上をする気はない。」
「・・・なるほど。どうやら、要らんことを言ったようだな。今の言葉は、忘れてくれ。」

小さく頷いたイフロフが、再び茶碗に手を伸ばした。そっぽを向いたサカキにかけられたのは、意外な言葉だった。

「ところでな、サカキ。・・・死んだ、お前の弟のことだが。まだ、仇討ちを諦めておらんのか。」
「!!」

ぐさりと、心に突き刺さる一言だった。
険しい表情になったサカキが、イフロフを正面から睨み付ける。その瞳には、激しい憎悪の色があった。

「・・・・・・。それは、貴殿には関係のないことだ。」
「この家で暮らすようになってから、もう三月か。お前は時々、ひどく辛そうな顔をするな。それが、わしには見ていられなくてな。・・・家族を喪うというのは、辛いものだな。この悲しみや怒りが一生続くと、そのときは思うものだ。しかし、それは一時の錯覚に過ぎん。・・・まあ、今のお前には、気休めに過ぎんだろうが―――――」
「黙れ!」

椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がったサカキが、イフロフに指を突き付けた。

「言わせておけば、知ったような口を・・・! 私の気持ちも分からぬ癖に・・・勝手なことをほざくな!!」
「いや、わしにはその資格がある。何せわしも、若い頃に家族を亡くしているからな。それも、父と母・・・それにまだ小さかった弟の三人を、自分の手に掛けてな。」
「な・・・んだと?」
「これを、見てくれるか。」
「これは―――――」

言いながらイフロフが取り出したのは、一振りの立派な剣だった。鞘から抜かれた剣身を目にしたサカキは、思わず惹き込まれるものを感じていた。

(何と、見事な―――――)

“刀”を日頃から使用する冬軍の一員であるサカキにとって、本来“剣”の良し悪しは分からない。しかし、このときイフロフが差し出した剣の放つ“気”は、長年武器に触れてきたサカキでさえ、滅多に経験したことのないほどのものだった。恐らく、余程の刀匠の手によるものなのだろう。

「これは、わしがこの手で打ったものだ。生業は、刀鍛冶だったのだよ。若い頃は、日夜切れ味の良い刃物を作ることに没頭したものだ。しかし、ある日・・・わしは見てしまったのだ。自分の打った剣が、人の命を容赦なく奪う光景をな。これが、どれほど恐ろしいものだったかは、生粋の軍人であるお前には恐らく分かるまい。」
「・・・・・・。」
「すっかり怯えてしまったわしは、武器を作ることを拒み、家族を置き去りにして故郷を捨てて逃げ出したのだ。・・・しかし、質の良い武器を作る職人が他国に奔ることは、国にとっても脅威。里の者が後を追わんようにと、見せしめにわしの家族は一人残らず処刑された。その中には、まだ小さかった弟もいたのだ。」
「!」
「わしの罪深いところはだ、サカキ。自分が逃げ出せば、家族が殺されることを知っていた、というところにある。・・・しかしわしは逃げたのだ。家族の命より、自らの気持ちを優先したわけだ。これを手に掛けたと言わずして何と言う?」
「・・・・・・。その話、何故私に?」
「そうだな。敢えて言えば・・・わしと同じ“匂い”を感じたから、とでも言おうか。世を怨み、全てに対して投げやりになっていた頃のわしと、な。・・・そんなわしも、絶望の中で妻と出会い、そして救われた。」

微笑んだイフロフが、ここでサカキの顔を正面から見据えた。

「お前は、まだ若い。生きてきた年月は長いのかも知れんが、人生の齢というものを重ねておらん。・・・だから、まずはわしの言うことを聞いてくれんか。」
「・・・・・・。」
「悲しみや怒り・・・心の痛みというものは、長続きせん。それを支えに人生を生きていくのは、本当に辛く厳しいものだ。そして何より、得るものがない。例え望みを達したとしても、新たな憎しみが生まれるだけだからな。」

考える顔になったサカキの前で、茶碗を手にしたイフロフがふと遠い眼をした。

「弟のことを、忘れろとは言わん。しかし、本当にお前の弟が仇討ちを望んでいると思うかね? 兄が復讐の鬼と化し、その人生を喰い潰されることを望んでいると思うかね? そこのところを、遺されたお前は考えてみるべきではないか。」
「・・・・・・。」
「お前の弟は、冬軍の兵士として、立派に戦って死んだのだろう? ・・・兵になった以上、戦場での死は付き物。そのことは、お前も覚悟していたはずだ。」
「イフロフ殿・・・。」
「弟のことは、忘れないでいてやればよい。そして、弟の分まで生きることだ。・・・それが、遺された者の務めだと、わしは思う。」

イフロフの言葉を最後に、しばらくの間二人の会話は途切れた。しばらくして、口を開いたのはサカキの方だった。

「すぐには、この気持ちを忘れることなど出来ぬ。しかし、貴殿の心遣いには礼を言いたい。」
「何の。所詮は老い先短い人間の戯言、得るところがあれば重畳というものよ。」

ふっと微笑んだイフロフが、ここで椅子から立ち上がった。

「その剣は、お前にやろう。そして、仇討ちが頭を過ぎる度に、今一度その剣を眺め、考えてはみてはくれんか。・・・それでも、どうしても我慢ならんというのならば、遠慮は要らん。その剣で、ヴァータを斬るがいい。」
「・・・・・・。良いのか、そのようなことを。あ奴は、貴殿の娘御の良き友人となったのだろう?」
「これでも、人の親でな。嫁入り前の娘の体に無断で入り込んだ輩に対して、思うところがないと言えば嘘になる。」
「・・・・・・。」

澄ました顔で言うイフロフ。対するサカキの表情も、ここでふっと和らいだ。



『今日から、晴れてお前も冬軍の一員だ。私に抱負を語ってみよ。』
『はい! 兄上に鍛えていただいた武芸と術をもって、セルティーク寒気団が他の寒気団に負けぬ働きができるよう、全力を尽くす所存です!』
『なるほど。セルティークが立派に役目を果たすことが出来れば、他の寒気団や、南都の者はどうでも良いということか。・・・モッコクよ。お前は、そのような近視眼的な見方しか出来ぬのか。』
『い・・・いや、それは・・・。・・・も、申し訳ありません! 浅はかなことを口にいたしました!』
『いや。・・・兵であるうちは、それで良いのかも知れぬ。私も、要らぬことを口にしたようだ。』




弟が、望んでいたもの。それは、冬軍が季軍として、立派に務めを果たすことだった。ならば、その志は兄である自分が継ぐ必要がある。

「イフロフ殿。一つ、頼みがある。」
「何かな?」
「この剣に・・・字を刻んでくれぬか。」
「お安い御用だ。・・・して、何と?」

イフロフに向けられた、サカキの顔。そこには、穏やかな笑みが湛えられていた。

「我が弟の名を。・・・弟の遺した言葉を忘れぬために。そして、冬軍を共に支えていくためにな。」


はしがき

合同誌8号に寄稿した『風天の歌』に登場する冬軍の兄弟、サカキとモッコクの話を書いてみました。『風天の歌』では名前だけの登場のモッコクですが、刻さんに挿絵を描いていただくに当たって詳細な設定を書き起こしまして、それがもったいないなと思いまして(笑)。最初は兄弟の触れ合いのシーンを書く予定が、何故か書き上がったのはイフロフとの茶飲みシーンというこの不思議(笑)。
なお、イフロフの語ったエピソードは、彼の過去話『September』で書いたものです。興味がおありの方は、よろしければそちらもどうぞ。

BGM:『NO MORE TEARS』(T-SQUARE)