しばしのなぐさめ


冬の精霊たちの都、北都。その中心に聳える城は、何重にもなった濠と城壁で守られていた。
その中の大手門で騒ぎが持ち上がっているのに気付き、当代の冬将軍であるシラカバは、眉を
寄せるとそちらへと歩を進めた。

「どうした。何を騒いでいる。」
「うっ・・・上様!?」
「シラカバ様・・・なぜこちらに!?」
「軍の視察を終えて、今から城に戻るところだ。」

思わぬ人物の出現に、直立する守兵たち。その間には、一人の青年が立っていた。何やら縁の
ありそうな一冊の本を、胸の前で大事そうに抱えている。

「・・・それは?」
「はい。こともあろうにこやつは、宿敵である春の者どもが詠った歌を集めた書物を持っておりまして。」
「ほう、春の歌とな・・・。」
「春を賛美する書物を所持するなど、れっきとした軍令違反です。それを、どうしても手放そうとしない
ものでこのような騒ぎに・・・」
「そうだったか・・・。」

青年と束の間目を合わせたシラカバは、何を思ったのか・・・次にこんなことを言い出した。

「言い忘れていたが・・・。実はな、その書物は・・・私がこの者に手に入れるよう命じたものなのだ。」
「は!? それはまた、どういった・・・」
「春軍との戦は、これからも続く。そのためには、相手のことを知る必要もあろう。この書物を読み解く
ことで、春軍のことが少しでも分かるのではないかと思ってな。」
「・・・左様でございましたか。」
「うむ。世話をかけたな。」
「いえ・・・滅相もございません。」
「では、私は城に戻ることにする。役目大儀! ・・・その方もついて参れ。」

戸惑った表情を浮かべた青年は少し迷う様子だったが、やがてシラカバの後を小走りで追っていった。


  *


城に戻ったシラカバは、自らの居室に青年を呼び入れた。
こうした場所に足を踏み入れるのは初めてだったのだろう。おどおどと畳に額を擦り付けた相手に
向かって、シラカバが声をかける。

「まず、名を聞こうか。ああ、固くならずともよい。」
「は・・・はい! ・・・ハシバミと申します。」
「ハシバミ・・・。その服装は、軍のものだな。所属は、どの寒気団だ?」
「ほっ・・・北海寒気団に・・・」
「ほう、北海か・・・。」

懐かしい名前だった。
ほんの昨年まで、シラカバは北海寒気団の団長を務めていた。その数十年に亘る活躍で、今や北海
寒気団は冬軍一の精鋭と謳われるまでになっていた。
遠くを見るような目になって黙り込んだシラカバに向かって、ハシバミが恐る恐る声をかけた。

「あの・・・シラカバ様?」
「何だ。」
「・・・なぜ、この書物について何も仰らないのですか?」
「罰するつもりならば、何も居室へ呼んで二人きりで話をしたりはせぬよ。」
「・・・では、なぜ・・・?」

脇息にもたれ、じっとハシバミのことを見つめていたシラカバは、ここで立ち上がった。部屋に設え
られていた窓の前に立ち、後ろで手を組むとそこから外を眺める。

「ある日、ふと・・・分からなくなったのだ。」
「・・・?」
「私は、北海寒気団の団長だった。そう、昨年・・・前将軍が亡くなられるまではな。」

前将軍が没したのは、昨年の暮れも押し迫った頃だった。後任として皆から異口同音に挙げられた
のが、冬の精霊たちの間では既に押しも押されぬ英雄になっていたシラカバだった。

「北海寒気団は、知っての通り冬軍の中でも再精鋭と謳われている。無論、私自身も数限りない戦場に
赴き、その名を辱めぬだけの勝利を収めてきた。・・・前将軍からその武功を称えられ、直々にこれを
賜ったこともある。」

腰に差していた七星刀「廉貞」の柄に手をやると、シラカバは言葉を続ける。

「だが、その結果はどうだ? 私が団長になってからの数十年で、新たに得られた土地が少しでも
あったか?」
「それは・・・」
「そうだ。答えは否だ。気付いてしまったのだ・・・数限りない同胞が犠牲になっただけで、その実は何も
変わっていないのだとな。・・・そして、これは春軍でも同じだろう。」

組んでいた手を解き、拳を握り締めるシラカバ。話の意外な雲行きに、ハシバミは驚いた表情を
浮かべている。

「しかし、何故なのだ? 私には分からぬ! 老中どもを初め、冬軍・・・いや、冬の精霊たちの誰
からも、この戦への疑問の声を聞いたことはない。少し考えれば、誰にでも分かりそうなことなのにも
拘わらずだ!」
「シラカバ様・・・。」
「冬の精霊たちは、このような現状に本当に満足しているのか。そして、春軍の中にも私と同じような
考え方をしている者がいるものかどうか・・・それも分からぬ。結局私は、このことを未だに・・・誰にも
言い出せずにいるのだ・・・。」

溜息をついたシラカバは、その頬を微かに歪めた。

「もうじき、今年も戦が始まる。結局のところ、何も得るところない戦がな。否応なく、私は皆を率いて
それに臨まねばならぬ。・・・それが無駄だと分かっているのに、皆に死ねと言わねばならんのだ。」

ここでシラカバは振り向くと、自分のことを不思議そうに見つめていたハシバミと目を合わせた。慌てて
目を伏せるハシバミ。

「そんな時、お前に出会った。・・・宿敵であるはずの、春の者たちの詠んだ歌の書物を後生大事に
抱えているお前にな。」
「・・・・・・。」
「・・・もしかしたら、と思っただけだ。今話したことは、単なる戯言。・・・聞き流してくれてよい・・・」
「わっ・・・私は!」
「?」

思わず、ハシバミは大きな声を出していた。

「私も、シラカバ様の考えは正しいと思います!」
「ほう・・・?」
「この歌集には、花を詠んだ歌が数多く収められています! 花とは、命そのもの・・・それに感動
できる心を持った春軍の人たちに、この戦いの無意味さが分からないはずはありません! きっと、
シラカバ様と同じように・・・思い悩んでいる人がいるのだと思います!」

頭を下げたまま、懸命になって喋るハシバミ。驚いた様子でそれを眺めていたシラカバは、やがて
微笑むと頷いた。

「そうか・・・。いや、そうかも知れぬな。お前の言ったことは、心に留めておくことにしよう。」
「たっ・・・大変失礼を申し上げました!!」
「よい。手間を取らせたな。・・・もう、帰ってよいぞ。」
「は・・・はい。では、失礼します・・・」
「ああ・・・暫し待て。」
「?」

立ち上がったハシバミを呼び止めると、シラカバは傍らの文机に向かい、一通の書状を書き上げた。
最後に花押を記し、それをハシバミに手渡す。

「これを、持って行くがよい。」
「これは・・・?」
「お前に、春軍についての調査を私直々に命じた辞令だ。その歌集は、そのための資料というわけだ。
・・・これを持っていれば、よもやお前が不審な目で見られることもあるまい。」
「しっ・・・しかし! このようなことをしていただいては・・・」

慌てるハシバミに向かって、シラカバは微笑んだ。

「お前との会話は、私にとって暫しの慰めとなった。その礼とでも受け取っておいてくれ。」


はしがき

冬将軍であるシラカバとハシバミの出会いについて書いてみました。「最高司令官」とは、かくも孤独な
もの・・・ということですね。