あのころ


コーセルテルは、遅い春を迎えていた。
コーセルテルの中央湖を見下ろす丘。頂上付近に立てられた墓標の前に、一人の青年の姿があった。
水色の短い髪が、湖面を吹き抜けた風に僅かになびく。

(今年も、春が来たよ・・・エレ)

この丘から見下ろす風景は、彼女の故郷のそれとよく似ているのだと・・・かつて剣術の訓練の
道すがら聞いたことがあった。
彼女の最期の願い―――――死した後は、どうか故郷へ―――――は、結局叶えることができ
なかった。そもそも、コーセルテルから外界へと竜が一人旅することは不可能な時勢である。
ましてや、かの地で動乱が続いているとあれば、尚更だった。
だから、この場所に葬った。彼女が、少しでも故郷を感じられる場所に。

(・・・?)

ふと、人の気配を感じ取った青年は、立ち上がると振り向いた。そこに立っていたのは、同年代と
思しき緑の髪の青年だった。

「やっぱり。ここじゃないかと思って、探しにきたんだけど・・・」
「そうか。手間をかけさせたね。」
「・・・髪、切ったんだね。」
「ああ。」

相手の言葉に、首の後ろに手をやった青年はふっと笑みを浮かべた。

「里に戻ることになったときにね。ここで・・・」
「・・・そうだったんだ。」

頷いた相手が、墓標に向かって黙祷を捧げた。その背中に向かって、青年が言葉を投げかける。

「それで? 準備の方は、整ったのかい?」
「そうそう、それを伝えようと思って来たんだよ。肝心の族長がいないんじゃどうにもならないって、
みんなオロオロしてたよ?」
「はは。それは、悪いことをしたね。」

小さく笑った青年が、感慨深そうな表情で墓標を眺める。

「早いものだね。あの時生まれた子が、もう二十歳を迎えるんだからね。」
「そうだなあ。・・・しっかしまあ、よりにもよってあの二人が結婚することになるとはね。」
「過去のしがらみも、時が洗い流してくれる。・・・人は、そうやって生きてきたんだろうね。」

自らの術士が結婚をしたのは、今から二十年と少し前のこと。相手は仇敵とも言える間柄の相手で
あり、一体二人の間に何があったのかと・・・周囲の者は一様に驚かされたものだった。
無論、お互いに複数の子竜を預かる術士である。結婚したとはいってもほぼ別居に近い暮らしぶりで、
光竜術士家のような“絵に描いたような結婚生活”とは程遠い毎日だった。諍いも日常茶飯事で、
何かと苦労の絶えない日々ではあったが・・・それが間違いなく幸せな日々であることは、自らの術士の
瞳の輝きを見れば分かった。そしてそれは、一昨年の暮れの術士の死まで続いたのだった。
懐かしそうな表情になった青年の隣で、後から来た相手がぼやいた。

「しかしさあ。何でまた、水竜術士なんだい? 木竜術士だって、今はいないのにさ。」
「それは、本人がそう望んだからさ。・・・やはり女性だから、“母”の影響が大きかったかな。」
「でもさ、父譲りの資質があったんだからさ。竜王の竜術士になってくれれば、僕らも子竜を預け
られるのに。」
「おいおい。マシェルさんは健在なんだから、滅多なことを言うとナータが飛んでくるぞ。・・・それに、
今は暗竜の卵もないんだし、無理に竜王の竜術士を引き受けることはないじゃないか。」
「はいはい、そうですね。・・・ったく―――――」
「今にまた、木竜術士の候補も現れるさ。そう腐るなよ。」

ジト目で自分のことを睨んでいた相手を笑顔で促し、丘を降りる。
死の間際に、自らの竜術士が遺した言葉。それは、今も胸の奥底に大事に仕舞い込んである。





“辛いことの多い人生だったけど・・・でも、私は幸せだった”





“リリック―――――あなたに出逢えたのだから”





「どうしたんだい?」
「・・・いや。何でもない。」

立ち止まり、束の間丘の頂を振り仰いでいた青年は、相手の言葉に我に返った様子だった。小さく首を
振ると、笑顔で相手に言う。

「さあ、行こうか。あの子の母親譲りの癇癪が破裂したら、ぼくらの手に負えないからね。」


はしがき

リリックのテーマ曲『君に幸あれ!』をアップした際、おまけとして掲載したSSにタイトルを付けて再録
しました。
背景は崎沢彼方さんのご提供です。いつもながら、ありがとうございます!