悪夢


気が付くと、自分は一人戦場に立っている。
妙に、視界が赤い。もう夕刻なのかと、ぼんやりと思う。
辺りは一面、敵兵の死骸で埋め尽くされている。
その数は百か千か。どちらにせよ、数え切れないことは確かだ。

国境近くの村が、侵入してきた敵国の軍に襲われる。
兵糧の確保のため、戦では当たり前のことだった。
単身で駆け付け、遭遇した敵兵を片っ端から斬った。
それが、「剣聖」としての自分の役割だと思ったからだ。

「もう、大丈夫だよ・・・」

微笑を浮かべ、地面に座り込んだままの少女に手を差し出す。
腰を抜かしたまま後退った相手が、次の瞬間悲鳴を上げた。

「い・・・いやああああああ!」
「え・・・?」
「やめて! 来ないで!!」

差し伸べた手は、真っ赤に染まっていた。
手だけではない。握り締めたままの剣も、ずたずたになった服も・・・
全身が返り血で真っ赤に染まっていることに、ここで気付く。
顔を上げると、一散に駆け出した少女の後姿が目に映った。

「化け物―――――!!」

化け物・・・?
人々を守るために、一人命を投げ出した自分が・・・化け物?
のろのろと、自分を遠巻きにしている村人たちに目を向ける。
自らに向けられる視線は、激しい恐怖と嫌悪を含んだものだった。

(僕は―――――)

血でぬるついた剣が、手から滑り落ちる。
それを待っていたかのように、投げられた石が肩に当たった。
血に塗れた両手で頭を抱え、その場に膝をつく。
浴びせられる罵声と投石が、徐々にその激しさを増していく。

(もう、やめてくれ―――――)



  *


「うわああああああ!!」

大声で悲鳴を上げ、ノエルは自分のベッドの上に飛び起きた。

「はあっ、はあっ・・・」

肩で大きく息をつく。心臓の鼓動は早鐘を打つようで、しんと静まり返った家の中に響き渡るような
錯覚を覚えてしまう。髪を掻きむしったノエルは、その両手で顔を覆った。
一体、こんなことがいつまで続くのか。あの地獄から逃れたくて、自分は地位や名誉、家族や友人・・・
全てを捨ててこの地へとやって来たのではなかったか。

(名誉・・・か)

部屋の隅には、かつて自分が愛用した剣が放り出してある。
刀身に国の守護獣を刻んだその剣は、国で最高の剣士の証。しかし、それと引き換えに自分が
得たものは、一体何だったのか。

「ノエル?」

ぱたぱたと軽い足音が聞こえ、続いて部屋の外から幼い声がした。

「あ・・・ああ。」

慌てて涙を拭い、笑顔を浮かべる。ドアを開けて部屋に入ってきたのは、ノエルが預かる地竜の
アトレーシアだった。まだ卵から孵って一年にもならないとあって、尻尾も消えない子竜の姿である。
寝巻姿のアトレーシアが、つぶらな瞳でノエルのことをじっと見上げる。

「・・・ねむれないの?」
「いや。・・・なんでもないよ。」
「また、こわいゆめを見たんでしょ?」
「・・・・・・。」

視線を逸らし、ノエルは俯いた。
こうして悪夢にうなされて夜中に飛び起きるのは、いつものことだった。そのことは、親しい相手なら
誰でも知っている。

「それじゃ、今日はアトリがいっしょにねてあげるね。」
「え・・・?」
「ちょっとまっててね。」

お気に入りの枕を手に戻ってきたアトレーシアが、有無を言わせずノエルのベッドに潜り込む。
その様子を眺めていたノエルが、小声でアトレーシアに呼びかけた。

「・・・アトレーシアさん。」
「なに?」

ノエルの声に、布団を手にしていたアトレーシアが顔を上げた。一瞬躊躇った後、そっぽを向いた
ノエルが震える声で言う。

「・・・ずっと、僕と・・・。一緒に、いてくれるかい?」
「え?」
「何があっても、僕を・・・見捨てないで。僕を、怖がらないでいてくれるかい?」

首を傾げていたアトレーシアは、にっこりと笑った。

「もう、へんなノエル! そんなの、あたりまえでしょ。」
「当たり・・・前?」
「うん。このまえ、お兄ちゃんが言ってたもん。竜術士とその子竜は、家族なんだって。」
「家族・・・。」
「そ。だから、ノエルはアトリのお父さん。アトリはノエルの味方だし、ずっといっしょだよ!」
「ずっと―――――」
「うん!」

呆然とアトレーシアの言葉を聞いていたノエルは、両手で顔を覆った。その指の間から、涙が一筋
流れ落ちる。

「アトリ、なにかへんなこと言った?」
「いや・・・。・・・違うよ。」
「?」

聞きたかったのは、この一言。
たった一言でいい。誰かに、自分の存在を肯定して欲しかった。
そして、これ以上は望むべくもない形で、それは叶えられた。

「さあ、もう寝よう。夜中に起こしちゃって、悪かったね。」
「・・・・・・。」
「アトレーシアさん?」

早くも軽い寝息を立て始めたアトレーシアを眺め、ノエルはくすりと笑った。布団をかけなおすと、自らも
横になり目を閉じる。
過去は、消すことはできない。どれほどあの日々を悔い、たとえそこから逃げ出したとしても・・・自分が
数限りない人々を殺してきたことは、厳然たる事実なのだ。
しかし、こんな自分でもやり直すことができるのだ。それを教えてくれたのは、自分の傍らで静かな
寝息を立てている、幼い地竜の女の子なのだった。

(ありがとう・・・アトレーシアさん)

もう、あの夢を見ることはない。何となく、そんな気がした。


はしがき

ノエルがアトレーシアの術士となって、しばらく経った頃の話です。
人を超越した力は、時として人々から拒絶されるもの。この経験が、ノエルを南大陸へと向かわせる
ことになりました。