勿忘草    2 

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「オレたちパンヤ島の住民には、異界からの強い呼びかけに対して、その相手をこの島に招待する力がある。そして、確かにお前を異界からここに連れてきたのはオレだ。・・・けどな。オレを呼んだのは、実はお前じゃないんだ。」
「え・・・?」
「オレを呼んだのは、お前の母だった。」
「私の・・・お母さんが?」
「そうだな。あの日も、こんな雨の日だった。」

ふと気付くと、キューマは小さなアパートの一室にいた。部屋の片隅にあった、美しく煌く小さな木の飾り。後に、ホワイトウィズのコースを訪れた際に、キューマはそれが“クリスマスツリー”であったことを知ることになる。
降りしきる雨音の中、部屋の中に折り重なるように倒れる人影は三つ。その誰もが何故か血塗れだった。慌てて膝をつき、呻き声を上げた手前の一人を抱き起こしたが、その深い傷は普段から刃物を日常的に扱っているキューマにとって、容易に致命傷と見て取れるものだった。・・・それが、エリカの母だった。

「お前の母は、何故か大怪我をして倒れていた。抱き起こしたオレに、一言だけ・・・“娘を・・・エリカを、頼みます”と言い遺して、息絶えたんだ。・・・事情は、今でもオレには分からない。」
「・・・・・・。」
「オレは、迷った。そもそも、オレが招待すべきなのはお前の母であって、お前じゃない。・・・だが、このままお前を放置して戻れば、確実にお前まで命を落とすことは確かだった。それで結局、オレはお前の母の願いを聞くことにしたんだ。」
「・・・それで、キューマは私を招待してくれたのね。」

頷き、テーブルの上で手を組むキューマ。その視線は、自らの拳に向けられていた。
いくら着飾っても、普段から刃物を扱う武骨な拳は隠しようがない。やはり自分は、この向日葵のような少女・・・エリカのパートナーとして、相応しい人間ではないのではないか。胸中に広がる苦い自嘲に耐えながら、キューマは静かに言葉を継いだ。

「連れ帰ったお前の傷は、魔法による手当の甲斐もあってすっかり良くなった。しかし、その心の中までは誰にも分からなかった。・・・あの惨状は、正直そういうものに慣れているオレにとってもひどいものだった。」
「・・・・・・。」
「お前が、心に深い傷を負っているんじゃないか。そのせいで、生きる希望を失くしてしまっているんじゃないか。怖くなったオレは、悩んだ末・・・お前に“忘却の花”を使った。そう、異界の全てを忘れさせるために。」

忘却の花。それは、服用者の任意の記憶を消去することのできるマジックアイテムの名前だった。以前より、種々の魔法薬の製造がその主な業務であったデュアル社等によって提供されるそれは、その強力な効能から医師の処方箋の下で極めて厳格に使用される。

「そう・・・だったんだ。・・・だから、私には昔の記憶がないのね・・・。」
「そうだ。全ては、オレが一人で決めたことだ。・・・済まない。この通りだ。」
「ちょ・・・ちょっとキューマ。私は別に、そんなつもりで―――――」
「だが、一つだけ・・・。お前が過去の記憶を取り戻す手段がある。」
「え・・・?」

不意に立ち上がり、机に手をついたキューマが再びエリカに向かって頭を下げる。思わずこちらも立ち上がりかけたエリカに向かって、キューマはその上着のポケットから、袋に入った小さな花を取り出した。仄かな桃色を帯びた、ホタルブクロを彷彿とさせる外見である。

「これ、は・・・?」
「これは、“回想の花”と呼ばれるものだ。“忘却の花”と対になるマジックアイテムの一種で・・・これを使うことで失われた記憶を取り戻すことができる。ただし、一度蘇らせた記憶は、二度と消すことはできない。」
「・・・・・・。」
「お前の記憶を消すと決めたとき。・・・いつか、必要になるかも知れないと思って、手に入れておいたんだ。」

テーブルの上に置いた“回想の花”を、キューマはそっとエリカの方へと押しやった。

「もう、お前がパンヤ島に来て一年以上が経った。・・・充分とは言えないかも知れないが、今のお前なら、過去の辛い記憶を受け入れて生きていくことができるはずだ。そして・・・」
「そして・・・?」
「・・・その結果、お前がこのパンヤ島から立ち去るというなら、オレはそれを受け入れる。」

口にした瞬間、キューマはハッとした。色々と勿体を付けながら、自分が長い間この話をエリカにしなかった本当の理由。・・・それに、不意に思い当たったからだ。
もちろん、過去の残酷な現実を突き付けられ、苦しむエリカの姿を目にしたくなかった、ということは確かだ。しかしそれ以上に、真実を知ったエリカが、パンヤ島から・・・自分の前から去っていくことを、自分は心のどこかで恐れていたのではないのか。
思いつめた表情で、じっとテーブルの上に目を落とすキューマ。そこへ、“回想の花”がそっと置かれる。

「・・・エリカ?」
「私、嬉しかった。キューマが、私のことを考えて、記憶を消してくれたんだって分かって。・・・それは、昔のことが気にならないって言えば嘘になるけど・・・ううん。やっぱり、私にはそれを受け止める強さはないと思う。キューマの思った通りよ。・・・これは、今の私にはまだ・・・必要ないと思うんだ。」
「エリカ・・・。・・・本当に、いいのか?」
「うん。・・・私、キューマを信じてるから。これからも、ずっとキャディとして・・・。ううん、私の“パートナー”として、一緒にいてくれる? キューマ。」
「エリカ・・・。」
「いつか、私が本当の“大人”になれる日まで。それまで、これはあなたに預けておきたいの。・・・どうかな?」

縋るような視線を向けたキューマに向かって、エリカがにっこりと微笑んだ。それは、初めて言葉を交わしたあの日と、寸分変わらない眩しさだった。

(エリカ・・・。・・・ありがとう・・・)

しばらくの間、半ば茫然と相手の顔を眺めていたキューマが、やがて滅多に見せない心からの笑みを浮かべた。力強く頷き、エリカに向かってすっと手を差し出す。

「これからも、よろしくね。」
「ああ。もちろんだ。」

しっかりと手を握り合い、今一度微笑み合う二人。それだけで、窓の外で降り続く冷たい雨が気にならなくなる気がした。


はしがき

『青月夜』でちらりと書いた、エリカの過去に関するキューマの悩みについて書いてみました。
記憶とはときに人を生かす原動力になりますが、同時に人を殺す凶器ともなり得るものでもあります。それに対面したキューマの採った手段は是か非か。それは、作中の言葉通りエリカが「大人になった」ときに判明するのでしょう。

なお、この話にはゲーム内にも登場するアイテム「忘却の花」が登場しますが、あの効力はちょっと強力過ぎると思いませんか(笑)。ということで、物語中では単なるマジックアイテムではなく、魔法医薬品(麻薬や向精神薬等に近いと考えてください)の一種としての扱いをさせてもらっています。

なお、BGMはよろしければ拙作『bunny picnic 〜Date in the Rain〜』をどうぞ。特に前半部分、二人の道中の様子をイメージする足しくらいにはなるかも知れません(笑)。