Stand by me 1   

Stand by me


 −1−

マガ森は、魔法使いたちの聖域であるマガ谷の北端に位置している。一帯には北部特有の
針葉樹林の森が広がり、降り積もる雪は一年中止むことはない。しかしそれは、「常冬」という
言葉とは裏腹に、静かで優しいものだった。
当代きっての大魔法使いの一人、カディエの住居はこのマガ森の一角にあった。辺りに張り巡らされた
結界のために、そこに彼女が住んでいることを知っている者は、親しい間柄でもごく僅かだった。

「・・・・・・。」

時刻は、そろそろ日が変わろうとする頃。当のカディエは、一階の客間・・・大きな窓の前に佇んで
いた。ゆったりしたバスローブに身を包み、ただ黙って外の風景に視線を投げかける。
長い間に異界から持ち込まれた、種々の習慣。その中でも、特に“クリスマス”はいたく魔法使いたちの
お気に召したらしい。やがてマガ森には、至る所にクリスマスの雰囲気を盛り込んだパンヤコース、
「ホワイトウィズ」が設けられることになった。
木々にかけられた飾り、そしてOBゾーンを示す杭が、闇の中魔法の力で眩く煌く。それを無心に
見つめるカディエの瞳には、深い憂いの色があった。

かつてはこの景色を、二人並んで眺めたものだった。夜ともなれば、闇に恐れ戦きながら眠るしか
なかったという故郷の話を、彼は子供のようにはしゃぎながらしてくれた。そして、それを聞いている
だけで自分は幸せだった。
あの時と、寸分違わぬはずの景色。しかしそれは、今の自分にとってはひどく色褪せたものでしか
ない。
小さく溜息をついたカディエは、窓の桟に置かれていたワイングラスを手に取った。濃い赤紫色の
液体を通して窓の外を束の間眺め、やがて徐にそれを口に運ぶ。芳醇な味わいが口の中に
広がったが、それもどこか気の抜けたもののようにカディエには感じられた。
思えば、酒の嗜み方を教えてくれたのも彼だった。「やっぱり酒は、大勢で楽しく飲まなきゃな」という
彼の言葉が、ほろ苦い後味と共に胸の中に広がっていく。
声を、聞きたかった。
たとえ、抱き締めてくれなくてもいい。あの、輝くような笑顔に、もう一度会いたかった。

「アルテア・・・」

カディエの唇から、小さな呟きが漏れる。しかし、それを聞く者は誰もいない。

かつて、悪の結界によってパンヤ島が滅亡の危機に晒されたとき。その企みを阻止するため、
カディエを筆頭とする大魔法使いたちが立ち上がった。彼らは自らの魔法の力を活かして、自然の
生命力を凝縮させた神秘のボール“アズテック”と、それを扱うことのできるクラブ“エアーナイト”を
創り出すことに成功した。久しぶりに見えた希望の光に、島内は沸きかえった。
そこへ異界から現れたのが、アルテアだった。島を覆いつつあった結界は、彼の手によって瞬く間に
浄化され、島は元の平和な佇まいを取り戻すことができた。その過程で、キャディとして彼を導く立場に
あったカディエとアルテアが結ばれたのは、当然の成り行きだった。

やがて、“英雄”となったアルテアと共に、カディエはマガ谷へと凱旋した。
島を救った英雄と、それを助けた当代一の魔法使い。二人は誰よりもお似合いのカップルだと、当時は
島じゅうで言われたものだった。
今思えば、あれは初めての恋だったのだと思う。長い長い自分の人生の中で、最初で・・・そして恐らく
最後の、掛け値なしの恋。
彼の傍に居られるだけで、自分は幸せだった。それなのに・・・

彼は、変わってしまった。

理由は、今でもはっきりしない。唯一つ確かなのは、カディエが気付いた時には既に、彼は昔の彼では
なくなってしまっていたということだった。
少しずつ、アルテアは狂っていった。日頃から付き合いのあるパンヤ仲間を、対戦で完膚なきまでに
叩きのめす日々。周囲に彼に敵う者はおらず、少しずつ溜まり続けた鬱憤が、島から一旦手を引いた
魔王への挑戦という形で爆発するのには、そう長い時間はかからなかった。
灼熱の砂漠に設置されたコース、「シャイニングサンド」。あの魔王との再戦の際、アルテアが
打ち立てた−40というスコアは、未だかつて破られたことのない前人未到の記録として残されて
いる。
何も知らない島民たちは、その結果をただ喜んだ。かつて島を救ってくれた英雄が、諸悪の根源である
魔王をも封印したのだ。戦いの後、彼が消息を絶ったことについても、「他の世界を救いに行ったの
ではないか」という楽観的な見方がほとんどだった。しかし、カディエだけは事の真相を知っていた。

彼は、逃げたのだ。このパンヤ島から・・・そして、自分から。

いくら考えてみても、分からなかった。
一体、彼は何を恐れたというのか。それは、悪との戦いの渦中で培われた、自分との絆よりも強いもの
だったというのか。何よりも、何故そのことを一言、自分に向って打ち明けてくれなかったのか。

(どうして・・・)

たとえ、それがほんのひと時であったとしても。自分に向けられた、彼の気持ちは真実だったと
信じたかった。


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