Stand by me    2 

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「・・・カディエさん?」

背後で、小さく自分を呼ぶ声がした。物思いに沈んでいたカディエは、顔を上げるとゆっくりと
振り向いた。
客間の入り口に立っていたのは、アリンだった。魔法学校を主席で卒業し、本来であれば今頃は
“エリート魔法使い”の一員に名を連ねていたはずの彼女が、この家の居候として生活するように
なったのには、もちろん理由があった。
卒業も間近になって、突然パンヤの道に進みたいとアリンが言い出したとき。自身も優秀な魔法使いで
ある彼女の両親は、当然のことながらいい顔をしなかった。
無論、パンヤはかつてこの島を救ったことのある、言わば伝統ある「神事」だった。そのことに一定の
理解を示しつつも、アリンの両親は愛娘が魔法使いとしての道を歩んでくれることを強く望んだ。
話し合いは物別れに終わり、勘当同然の状態で家を飛び出したアリンとカディエが、このマガ森で
出会ったのが半年前。以来、パンヤに打ち込む傍ら、カディエの下で魔法の修行に明け暮れる日々を
アリンは送っている。

「こんな時間に、どうしたの?」
「はい。明日の大会のことを考えていたら、眠れなくなってしまって。・・・カディエさんは?」
「似たような、ものかしら・・・。」
「・・・?」

普段とは違うカディエの様子に、小さく首を傾げるアリン。そんなアリンに向かって、微笑んだカディエが
グラスを向ける。

「アリン。たまには、あなたもどう?」
「え・・・?」
「“酒は百薬の長”と言うわ。きっと、よく眠れると思うわよ。」
「・・・はい。じゃあ、一杯だけ。」

こちらも微笑んだアリンが、カディエと向かい合うようにしてソファに腰を下ろした。
しばらくの間、他愛ない話をした。日々のちょっとした出来事や、最近の悩み事。・・・しかし、二人は
パンヤのプレイヤーとキャディという間柄なのである。いつしか、話題は自然とパンヤのことに移って
いた。

「私のパンヤに、今一番足りないものは何でしょうか。」

真剣な面持ちで尋ねるアリン。しばらくの間黙って考えていたカディエは、やがてゆっくりとこう言った。

「・・・“野性味”かしら。」
「野性味・・・ですか?」
「ええ。・・・確かに、あなたのパンヤの完成度が高いことは私も認めるわ。でも、ここぞという場面では、
どうしても安全策を採ってしまう癖があるわね。」
「でも、それは―――――」
「ええ。それをあなたに教えたのは私だったわね。でもね、アリン・・・」

頷いたカディエが、不服そうな面持ちのアリンをじっと見つめる。

「“攻めない勇気”なんて言葉が通用するのは、せいぜいアマチュアレベルまでよ。もしあなたが、もっと
上を目指したいと思うなら・・・自分の殻を自分で破る必要があるのよ。」
「自分の、殻を・・・」
「ええ。どんな悪条件でも、必ず活路はあるものよ。それがたとえ、針の穴ほどのものでもね。・・・その
限られた道をこじ開け、突き進むことのできるだけの技術と、心の強さ。それが、今のあなたに欠けて
いるものなのじゃないのかしら。」
「つまりそれが、先程言われた“野性味”というものなんですね・・・。」

カディエの言葉に、真面目な顔で考え込むアリン。ふと、ここで窓の方を振り向いたカディエが、何気
ない調子で言った。

「ねえ、アリン・・・。」
「はい。何でしょうか?」
「このパンヤ島には、異界からたくさんの“勇者候補”が招待されているわね。・・・彼らとあなたたち、
この島の出身者の一番の違いは何か、分かるかしら?」
「私たちとの・・・違い、ですか?」
「ええ・・・」

手にしていたワイングラスをくるくると回していたカディエは、半分ほど残っていたそれを一気に
飲み干した。グラスをテーブルに戻し、アリンの瞳をじっと見つめる。

「ずっと、疑問だったのよ。・・・異界からの招待者は、その年齢や性別にかかわらず、みんな荒々しい
部分を持っているのは、どうしてなのかって。姿形や普段の言動では分からなくても、パンヤにはその
人の性格が嫌というほど出てしまうものだから。」
「そう言えば・・・。お知り合いの中でも、異界出身の方は思い切った試合運びをされる方が多い気が
します。」
「でしょう。もちろん、あなたの憧れのマックスもその一人なわけよね。」
「カッ・・・カディエさん!」

唐突に、密かな恋心を抱いている相手の名を出され、思わず頬を染めるアリン。そんなアリンの
様子には頓着せず、カディエはゆっくりと言葉を継いだ。その瞳には、どこか意地の悪い光がある。

「・・・最近、私はこう考えるようになったの。彼らとあなたたちの差・・・それは、パンヤ島に招待される
ことになった、きっかけにあるのじゃないかってね。」
「招待のきっかけ・・・ですか?」
「彼らはみんな、癒し難い心の傷を抱えてここにやってくるの。それこそ、今まで暮らしていた世界を
捨てる、という決断をせざるを得ないほどのね。そんな修羅場をくぐってきた彼らと、人生に何の心配も
なく、のほほんとこの島で暮らしてきたあなたたち。・・・極限状態に置かれたときに真の実力を発揮
できるのは、果たしてどちらなのかしらね。」
「・・・・・・。」
「もしかしたら、彼らにとってはこの島の住民である私たちなんて・・・ぬるま湯に浸かって幸せに
暮らしている、くそ面白くもない存在なのかも知れないわね。ねえ・・・そうは思わないかしら。」
「・・・・・・。・・・もしかしたら、そう・・・なのかも知れません。」

話の途中から俯いていたアリンは、しばらくして一言、ぽつりとこう呟いた。しかし、顔を上げたアリンの
瞳は、決意にキラキラと輝いていた。

「ありがとうございます。まだまだ私も、考えが甘いってことですよね。・・・カディエさんには、教わること
ばかりです。」
「・・・・・・。」
「自分の殻・・・。それを破れるように、私も変わらなきゃ。・・・これからも遠慮せずに、どんどん厳しい
ことを言ってくださいね。期待に応えられるよう、私も頑張りますから。」

自分に言い聞かせるように、頷きながら話していたアリンは、ここでソファから立ち上がった。そして、
半ば茫然と自分を見つめているカディエに向かって、深く頭を下げる。

「では、おやすみなさい。・・・カディエさんも、あまり遅くならないうちに休んでくださいね。」
「え・・・ええ。・・・おやすみなさい。」

笑顔で会釈をし、アリンは客間を出ていった。その後ろ姿を、カディエはばつの悪い思いで見送った。

(ちょっと・・・大人気なかったかしら)

今の言葉は、別にアリンの成長を促すための“愛の鞭”のつもりで言ったのではなかった。ただ、
一途に「恋」というものを信じ、それに憧れるアリンの様子を目にしているうちに、ふと意地悪をしたく
なっただけのことだった。
そうだ。自分は、アリンに嫉妬したのだ。・・・自分の中にそんな気持ちが残っていたことに、カディエは
軽い驚きを感じていた。

(私、らしくもない・・・)

苦笑いをしたカディエは、テーブルの上に置かれていたワイングラスを手に取った。
もう少しだけ、酔おう。それで、今夜は嫌な夢を見ることもなく眠れるだろう。

(・・・・・・)

グラスを手に、再び窓の前に立つ。視線を向けた窓の外、煌く夜景には静かに雪が降り続いていた。


はしがき

パンヤ島を救ったという英雄について書いてみました。当初は、異界から招待された勇者候補たちと、
パンヤ島の住人(特に魔法使い)との寿命の差について書こうと思っていたはずが、気が付けば
カディエ姐さんの悲恋の話に(笑)。

なお、アルテアはAltairと綴り、鷲座の1等星「アルタイル」としての名前の方が有名かも知れません。
『The Time Will Come』で明良が使っていたニックネームは、偶然これと一致したものです。