小さな訪問者 1   

小さな訪問者


 −1−

「お呼びでございますか、魔王様。クーデリカ、参りました。」
「うむ・・・入れ。」

魔王カザルスの執務室は、魔王城の奥まった場所にあった。質素を旨とし、「玉座の間」における仰々しい遣り取りを嫌うカザルスの性格を反映して、その内装は極めて簡素かつ実用的なものだった。
魔王の声に、一礼して部屋に入ってきたクーデリカが、部屋の中央に置かれた机の前に跪く。

「早速だが、一つお前に頼みたいことがある。」
「はい。何なりと仰せを。」
「・・・明日、地上からこの魔王城を訪ねて来る者がいる。その者の身辺警護と、城内の案内を頼みたい。」
「は・・・」

手元の書類に目をやっていたカザルスが、ここで顔を上げた。不審そうな表情で小さく首を傾げたクーデリカの様子に、僅かに眉を上げる。

「どうした。不満か?」
「い・・・いえ。そのようなことは―――――」
「では、何だ。」
「・・・・・・。私は、魔王様をお護りすることが務めの、近衛隊の隊長です。長い間、魔王様のお傍を離れる訳には参りません。・・・そもそも、どこの物好きかは存じませんが、城の案内など他に出来る者がいくらでも―――――」
「言うな、クー。これには、色々と事情があってだな・・・」

かけていた眼鏡を外し、カザルスが眉間に手をやった。その仕草には、どこか困惑したような印象がある。

「今回、この城に来るのはただの地上人ではない。地上世界・・・パンヤ島の南部一帯を治める、リベラ族の姫なのだ。」
「姫とは・・・。そのように重要な立場の者が、何故魔界に・・・?」
「さあな。そこまで、我らに伺い知れようはずもない。・・・大事なことはだ、クー。そのような相手を、果たしてこの城の者共に安易に任せて良いものか、ということだ。餓狼の群れに羊を投げ込むの譬え、お前ならば知っていよう。」
「・・・・・・。」
「姫はまだ十五の若さと聞いた。人間としても、まだほんの子供であろう。・・・多くの魔族は、地上人からすれば見慣れぬ異形の姿ということになる。無用に怯えさせるよりも、同じ女であり・・・また背格好が近いお前が接する方が、相手も安心できると思うのだがな。」

事情はよく分からないが、どうやらカザルスがこの訪問を拒むことは、何らかの理由で不可能であるらしい。そうとなれば、話は簡単だった。自分が為すべきことは、魔王であるカザルスの苦悩を出来る限り取り除くことだ。
ここで再び跪いたクーデリカが、カザルスの顔をじっと見つめながら言った。

「私は、魔王様の忠実なる家臣。魔王様がそこまで仰せになるのならば、私に否やはありません。」
「うむ・・・助かった。くれぐれも、頼んだぞ。」
「はい。お任せください。」

一礼し、執務室を出るクーデリカ。しかし、その眉間には深い縦皺が刻まれていたのだった。


  *


かくして翌日、クーデリカは地上世界からの“闖入者”を、つきっきりで案内する羽目になったのである。

「・・・こちらが“玉座の間”と呼ばれる大広間でございます。普段は使われておりませんが、我ら魔族の公式の行事がある場合は、この場所で執り行われることになります。」

供も連れず、ただ一人で魔王城の城門前に現れた相手は、カザルスの言葉通りまだほんの少女だった。パロマと名乗ったリベラ族の姫は、背丈こそクーデリカより頭半分大きかったが、無論のことその実年齢は魔族であるクーデリカの方が何倍も上ということになる。
驚かされたのは、その普段着もかくやという軽装の出で立ちだった。首から上こそ魔素対策のガスマスクで物々しいが、薄茶色のワンピースには袖がなく、海老茶の靴はほんの踝までのもので肌の露出が著しい。魔界の強烈な自然環境から身を守るため、魔族の服装は一般的に重厚かつ派手であり、その中にあってこの薄着は間違いなく場違いだった。・・・ここは、リベラ族の民族衣装にサンダルを履いてこなかっただけ、分別があると褒めるべきなのだろうか。

(何故、私が・・・このような―――――)

如才なく城内を案内しながらも、朝からクーデリカの思考の半分以上は、終わりのない自問自答によって占められていた。
確かに、魔王の言葉には一理あった。地上界における有力者への野蛮で粗暴な振る舞いはその心証を悪化させ、折角築かれ始めた地上界における魔族と地上人の共存関係を損なうことにもなりかねない。万が一傷を負わせるような事態にでもなれば、それがきっかけで地上界との全面戦争に発展する可能性だってあるのだ。

「次に、階下の中庭に参りましょう。こちらです・・・足元にお気を付け下さい。」

(全く・・・私は一体、何をしているのだ・・・?)

しかし、これはやはり自らの本分を逸脱している気がしてならない。姫を従えて階段をゆっくりと降りながら、クーデリカは心の中で溜息をついたのだった。

「よう、隊長。今日はサボリか・・・ひょっとしてデートか? どっちだい。」
「ん・・・? なんだそいつ。そんなヤツ、この城にいたっけか?」

城の中庭は、普段から近衛隊の練兵場として使用されていた。この日も剣や槍、斧といった思い思いの武器を手にした近衛兵たちが、その武技に磨きをかけているところだった。
通りがかったクーデリカの姿を認めた部下たちが、にやにやしながら声をかけてくる。

「控えよ。見ての通り、私は魔王様の命により、地上からの賓客を案内している最中なのだ。邪魔立てすると容赦はせぬぞ。」
「地上からの客? んなの聞いてねーぜ。」
「当たり前だ。下っ端の貴様らに、一々説明して歩く義務などないわ。」

精一杯不機嫌そうな顔で、寄ってきた部下たちを睨み付けるクーデリカ。しかし、そんな隊長の態度には慣れっこなのか、隊員たちは涼しい顔だ。そこへ、これまで無言だったパロマが一歩前へと進み出ると、ぺこりと頭を下げる。

「初めまして。地上より参りました、リベラ族族長の娘、パロマと申します。」
「ひゅー! こりゃご丁寧に。・・・俺たちゃ魔王城の近衛隊さ。そこの鬼隊長に、毎日こき使われてる、哀れな奴隷ってとこかな。」
「そそ。・・・いや、よく見りゃ彼女、えらいかわいーな。俺も、こんな彼女がほしいもんだよ。」
「ありがとうございます。もしよろしければ、皆さんのお名前も・・・」
「お止め下さい、リベラの姫君。このような者共と交わるなど、以ての外にございます。」

パロマの礼儀正しい挨拶に、相好を崩す隊員たち。そこへ、素早くクーデリカが割って入る。

「おいおい、相変わらずお堅いなぁ隊長は。いいだろ、減るもんじゃなし。」
「そうだそうだ。ちっとはサービスしてくれよ。」
「おのれ、貴様ら・・・黙って聞いておれば―――――」

言いたい放題の部下たちの言葉に、クーデリカの顔色が変わった。ゆらり、と立ち昇った紛うことなき怒りのオーラに、事態を悟った隊員たちがじりじりと後退りをしていく。

「地上からの賓客に対し、その無礼な態度。・・・どうやら、自分たちが何をしでかしたのか、分かっておらぬようだな。」
「あん? ど、どーゆー意味だよそりゃ。」
「私は先刻、“魔王様の命により”と言ったはずだ。・・・それをこうして妨げたということは、魔王様への反逆の意志ありと見做す。魔王様に与えられた全権を以て、今すぐここで貴様らを処断するが・・・先刻からの私を舐め切ったその態度、異論はなかろうな?」
「あ、あ、隊長! ちょ、ちょっとそりゃ待った!」
「やべー、隊長キレちまったよ・・・」

クーデリカが愛用の大鎌をゆっくりと構える。その瞳に浮かべられた純粋な“殺意”に、真っ青になった部下たちが、慌ててその場に平らになった。

「わ、悪かったよ隊長。もう、ちょっかい出したりしねえから・・・。」
「・・・・・・。その言葉、しかと偽りはないな?」
「も、もちろんだぜ。な、なあ、みんな。」
「お、おう。」
「そうか。その言葉を聞くことができて、私も嬉しい。分かったら・・・さっさと、調練に、戻らんかあぁーッ!!」
『どっわああああ!!』

ここでにっこりと微笑んだクーデリカが、次の瞬間がらりと表情を変えた。
憤怒の表情で、容赦なく一閃される大鎌。発生した衝撃波によって中庭の地面が削り取られ、それに巻き込まれる形でその場にいた部下たちの大半が城壁まで吹き飛ばされる。

「ふん。・・・良い薬だ。」

方々に転がり、呻き声を上げる部下たちの様子に、クーデリカが小さく鼻を鳴らした。その場に立ち竦んでいたパロマの方を振り向くと、深く頭を下げる。

「これは、大変お見苦しいものをお目に掛けました。誠に申し訳ございません。」
「あ、あの・・・。皆さんは、大丈夫なのでしょうか?」
「魔族の肉体は頑丈です。あの程度、ご心配には及びません。・・・さあ、次へ参りましょう。」
「・・・・・・。」

何事もなかったかのように、大鎌を担いですたすたと歩き出すクーデリカ。目をぱちくりさせたパロマは、ややあって慌ててその後を追ったのだった。


小さな訪問者(2)へ