小さな訪問者    2 

 −2−

「こちらが、魔王城にてリベラの姫君にご滞在頂く部屋にございます。様々なご不便もあろうかとは存じますが、どうぞご容赦の程を。」

魔王城に薄暮が訪れようとする頃。一通り城内の案内を済ませたクーデリカは、パロマをその貴賓室へと請じ入れたところだった。

「城内の魔導士に命じ、この部屋は魔素が薄くなるような仕掛けを施してございます。短時間であれば、そのマスクを外して過ごされても差支えは無いものと心得ます。」
「ありがとうございます。地上人である私のために、わざわざ気を遣っていただいたのですね。」

ガスマスク、そして強烈な日光を遮るためのサングラスを相次いで外した相手が、ここでクーデリカの方を振り向いた。ほっとしたような笑みを浮かべ、優美に頭を下げる。



「ふう・・・。やはり、一日中このマスクをつけて過ごすのは、少々疲れますね。父や兄の忠告を、もう少し真剣に聞いておけばよかった。」

鈴を振るような声に、深い翠の瞳。短く切り揃えられたベージュの髪には、頭頂部の左右に当たる部分に、リベラ族の最大の特徴である“冠羽”があった。自らの意思で動かすことができるというこの冠羽が、リベラ族の意思疎通には大きな意味を持つのだという。

(・・・・・・)

薄々感付いてはいたが、こうして改めて相対してみると、確かに相手には人の上に立つ者ならではの気品があった。同性であるクーデリカから見ても、充分魅力的な容姿の持ち主であり、先程の部下たちの言葉ではないが、異性であればこの愛らしさに多くの者が惹かれることにもなるだろう。それは、一族をまとめていく立場の者としては、大きな“武器”になるに違いない。
しばらくの間、黙って相手の姿を見つめていたクーデリカが、やおらその場に跪くと深く頭を下げる。

「先程は、大変ご気分を害されたことと存じます。魔族を代表し、このクーデリカ・・・深くお詫び申し上げます。」
「はい? あの・・・クーデリカさん?」
「我が部下が、姫君のことを揶揄するような言葉を口に致しました。彼の者共には後程、改めて厳しい罰を与えます故、どうぞこの場は私めに免じてご寛恕の程を―――――」
「ああ、あのことですか。・・・いえ、私は特に気にしてはおりません。どうか、部下の皆さんには寛大な処置をお願いできませんか。」
「ですが・・・。それでは、彼の者共に対する示しがつきません。」
「私の村でも、あのような言葉遣いや態度の若者は珍しくありません。ふふ・・・地上も魔界も、こうした部分ではあまり違いはないのだと、むしろ親しみを覚えました。」
「・・・・・・。」

にっこりと微笑むパロマ。跪いたままだったクーデリカは、ここで再び一礼すると立ち上がった。

「寛大なお言葉、感謝致します。・・・それでは、私はこれで。晩餐の用意が整いましたら、また迎えに参ります。」
「あ、あの・・・」

多少の紆余曲折はあったものの、これで「地上界からの来客の案内をする」という魔王からの命の一つは果たしたことになる。一旦カザルスの許に戻り、次の指示を仰いだ方がいいだろう。
そう考え、その場から踵を返しかけたクーデリカを、パロマが呼び止める。

「もし、ご迷惑でなければ・・・もう少し、お話をしませんか?」
「私と・・・でございますか?」
「はい。いかがでしょうか。」
「・・・・・・。」

突然の申し出に、クーデリカは心の中で首を傾げた。
一体、どんな魂胆があってのことなのだろう。どう考えても、共通の話題などありそうにもない二人なのだ。それを敢えて引き留めるからには、余程重要な内容なのか。
しかし、自分は魔界軍の近衛隊長である。弁えなければならない分というものがあるのだ。
地上界とこの魔界の間に存在する、様々な問題。リベラ族の代表として、その解決のために意見の交換をしたいというのであれば、それは晩餐の際にでも魔王であるカザルスと直接すべきことのはずだ。

(・・・・・・)

無表情でパロマを見つめるクーデリカ。しばらくして、寂し気に微笑んだパロマが、すっと目を伏せた。

「やはり・・・ご迷惑だったようですね。ごめんなさい。」
「いッ・・・いえ! そのようなことは―――――」
「気を遣われることは、ありません。・・・思えば、この城を案内していただく間も、どこかお腹立ちのご様子でしたね。はっきり言っていただいて、構わないのですよ?」
「違うのです。」

思わず、大きな声になっていた。少し驚いた様子のパロマに向かって、クーデリカが言いにくそうに続ける。

「確かに、私は今・・・少々苛立っております。しかしそれは、貴方ご自身とは何の関係もないことなのです。」
「?」
「私は、魔界軍の近衛隊長です。その任務は、常に魔王様のお傍に控え、魔王様に仇為す者から魔王様をお護りすることにあります。・・・いかに魔王様ご自身の命とは言え、これほどに魔王様と長く離れているという経験が、私にはないのです。」
「そうだったのですね。私などのために、辛い思いをさせてしまったようですね。」

微笑んだパロマが、二度三度と頷いた。

「ご無理を申しました。今の言葉は、どうぞ忘れてください。・・・さあ、どうかカザルスさんの許へ。私はこの部屋で、大人しくあなたが迎えに来てくださるのをお待ちすることにします。」
「いえ、あの・・・。リベラの姫君―――――」
「パロマです。私の、名前。・・・よろしければ、そう呼んでいただけませんか。」
「・・・・・・。では、パロマ殿。」

再びその場に膝をついたクーデリカが、真紅の瞳でじっとパロマを見つめた。

「それでは、お言葉に甘えさせて頂きます。・・・実を申しますと、パロマ殿に一つ、伺いたき儀がございました。」
「はい。何でしょうか?」
「パロマ殿は、何故・・・魔界に来られたのですか。」
「!」

全ての発端は、そもそもこの姫が単身この魔界に足を踏み入れたことだった。しかし、事情を把握しているはずのカザルスは、結局詳しいことは教えてくれないままだった。

「有体に申し上げて、地上の方々にとってこの魔界は、決して安全とは言えぬ場所です。魔素が地上の方々にとっては毒であることは言うに及ばず、高温で乾燥した気候、噴火する火山やそれに伴う地震など、一歩間違えば命に係わる危険には枚挙に暇がありません。」
「・・・・・・。」
「我ら魔族ならではの強靭な肉体と、強大な魔力による環境への干渉。それによって初めて生存が可能となる世界、それが魔界です。このような危険な場所に、何故貴方のような地上世界では大事な立場にある方が、お一人で来られたのか。それが、私の中ではずっと疑問だったのです。」
「・・・・・・。・・・だからこそ、です。」
「だから・・・こそ?」
「はい。」

頷いたパロマが、じっとクーデリカを見つめる。その瞳に込められた意志の輝きは、思わずクーデリカが居住まいを正すほどのものだった。

「おっしゃる通り、私はリベラ族族長の娘です。族長は兄が継ぐことになるでしょうが、将来私もその補佐として、重要な立場に就くことになるはずです。」
「・・・・・・。」
「魔族の皆さんが地上に移り住まれるようになって、もう随分になりますね。もちろん、私の住むリベラ村にも、また近隣の村々にも、何人かの魔族の方がお住まいです。・・・しかし、残念なことに住民のほとんどは、魔族の皆さんに対して心を開き、打ち解けようとはしてきませんでした。私はそのことに、ずっと心を痛めてきたのです。」

ありがちな話だった。
その見慣れぬ異形の姿に桁違いの力、地上人からすると破天荒に映る行動の数々。個人レベルでの親交の存在はともかく、種族として見た場合、魔族はどこへ行っても嫌われ者だった。

「なぜ、住民たちは魔族の皆さんのことを無闇に怖がり、その存在を否定しようとするのか。・・・ある日、私はふと気付いたのです。それは、私たち地上人が、魔界や魔族の皆さんのことをほとんど知らないからではないのかと。・・・しかし、お互いを知るというのは口で言うほど簡単なことではありません。特に、住民の多くが魔族の皆さんに対して良い感情を持っていない今、一歩その方法を誤れば、私たちの関係を更に悪化させることにもなりかねません。」
「・・・・・・。」
「私は悩みました。この問題を解決するには、一体どうしたらよいでしょうか。・・・そして、思い切って魔族の皆さんの故郷である魔界を訪れ、魔王であるカザルスさんと直接お話をさせていただこうと決めたのです。」
「そう・・・だったのですか。」
「ええ。」

頷いたパロマが、何を思ったのかここでくすりと笑った。

「父や兄には、無論のこと猛反発されました。嫁入り前の娘が、得体の知れない魔族たちの本拠地である魔王城へ行くなどもっての外だと。・・・私は申しました。魔族の皆さんが“得体が知れない”かどうかは、直接話をしてみるまで分からない。むしろそのような偏見に満ちた言葉を安易に口にするなど、一族をまとめる立場の者としてあるまじき行為ではないのかと。ふふ・・・あの時の父や兄の顔、お見せしたかったですわ。」
「・・・・・・。」
「もちろん、住民の皆が口さがなく噂するように・・・魔族の皆さんがいずれパンヤ島を征服し、私たちを支配するという野望をお持ちだというのであれば、私たちは一致団結協力して、あなた方と戦うでしょう。・・・しかし、それが事実かどうか、誰に分かるというのでしょうか? 実際にこうして魔界を訪れ、魔王であるカザルスさんと直接お話をさせていただければ、それははっきりします。そうではありませんか?」
「はい。・・・ごもっともな仰せにございます。」

(これは・・・見上げたものだ)

パロマに向かって言葉を返しながら、クーデリカは心の中で密かに相手のことを見直していた。
魔族と地上人との共存。薄っぺらな理想論を唱えることは、誰にだってできる。しかし、その実現のために、か弱い地上人の少女がたった一人で供も付けずに魔界を訪れるなど、それこそ並大抵の決心では為し得ないことだ。 どうやらこのリベラの姫君は、線の細い見かけとは裏腹に、筋金入りの意志力の持ち主らしい。

「ですから、私はあなたにも尋ねてみたい。クーデリカさん・・・あなたは、魔族がいずれ地上をも支配すべきだと、そうお考えなのですか?」
「・・・・・・。私は、魔王様の忠実な家臣です。魔王様のご意志が、即ち私の意志。ですから、魔王様が―――――」
「それは、よく分かっています。しかし私は、あなたご自身のお考えに触れたいのです。・・・どうか、率直におっしゃってくださいませんか。」
「・・・・・・。・・・いえ。左様なことは、私は望みません。」

しばらく考える風だったクーデリカが、やがて小さく首を振った。

「私の知り人にも、地上へと移り住んだ者が何人もおります。私自身はこの魔界を出たことはありませんが、その者たちからの便りによれば・・・地上界は実に美しく住みよい地であると。そのような場所で、我が同胞が心安く暮らせるのであれば、それに越したことはありません。」
「・・・・・・。」
「魔族は元来、争いを厭わぬ種族です。もしや、我らの日頃の習慣のいくつかは、地上の方々から見れば、野蛮で血に飢えた行為に映るやも知れません。しかしそれは、他に娯楽らしい娯楽のない魔界・・・そして、肉体的に強靭な魔族ならではの風習であることを、ご理解頂きたい。決して無闇に他者を殺め、また傷付けることが愉しみという訳ではないのです。」
「・・・・・・。」
「魔界にも為政者がおり、そこで用いられる法もございます。確かに魔族一般の言動は、粗暴かつ無作法な部分があることを否定は致しません。しかし、決して無秩序な混沌の世界ではなく、きちんと話せばそれを理解できる者が大半であると、私は信じております。・・・パロマ殿のように、我らをきちんと見てくださる方が増えていけば、魔界と地上界はきっと分かり合える。私は今、そう考えています。」

熱っぽくここまで語ったクーデリカが、顔を上げるとパロマの翠の瞳をじっと見つめた。
実際のところ、魔界と地上界の間の摩擦の解消については、クーデリカ自身は半ば諦めかけていたのが実情だった。地上人が魔族に対して謂れのない偏見を持ち、交流を拒む以上、こちらからできることは何もないと思っていたからだ。しかし、このパロマのような相手がいてくれれば。魔族と地上人との共存は、夢物語ではなくなるかも知れない。
しばらくの間、無言で見つめ合う二人。
やがて、パロマが小さく溜息をついた。その顔には、満足そうな笑みが浮かべられている。

「ありがとうございます、クーデリカさん。あなたの本心を語っていただいて。」
「これは、思わず我を忘れてご無礼を申し上げました。お気に障る部分がございましたら、平にご容赦を。」
「いいえ、そのようなことはありません。今日ここに来て・・・あなたとお話ができて、よかった。」
「はい。・・・私もです。」

この日、出会って初めてとなる微笑みを浮かべるクーデリカ。立ち上がったところへ、すっとパロマの手が差し出される。

「クーデリカさん。よろしければ、私と友達になってくださいませんか。」
「友達・・・。あの、私とでございますか?」
「ええ。私にできた、初めての魔族のお知り合いはクーデリカさん、あなたなのですから。いかがでしょう?」
「・・・・・・。・・・はい。喜んで。」
「うれしい! ありがとうございます。」

少しはにかんだ顔で、クーデリカがパロマの手を握り返す。それは、初めて地上界と魔界の間で“絆”が結ばれた瞬間だった。


はしがき

退院してからは時間こそ減りましたが、パンヤのプレイの合間を縫って小説は書き続けています。この話を書こうと思ったきっかけは、エリカにロロの髪型になるアイテムを装備させてみたら、それがとても気に入ったことでした(笑)。
なお、パロマはロロの先祖に当たり、過去話の中ではかなりの重要人物です。一連のパンヤ島と魔界の間の争いにも深い係わりがあるんですが、そのエピソードを紹介できることのできる日は来るでしょうか。

ちなみに、「ロロ」はスペイン語で“鸚鵡”のことだそうです。そこで、今回の新キャラであるパロマもスペイン語から名前をとりました(パロマは“鳩”です)。「リベラ」は南米ウルグアイに実在する地名で、使われている言語はスペイン語なんだとか。何となく関係がありそうで面白いですね(笑)。

BGM:『MAYBE TOMORROW』(T-SQUARE)