春便り


母から二通目の手紙が届いたのは、水竜の月に入ってすぐのことだった。
薄桃色の封筒に、見覚えのある力強い筆跡。その宛名が連名になっていることに気付いたルイが、同居人の暗竜の名前を呼ぶ。

「おーい、ナータ・・・。」

目当ての相手は、子竜たちの寝室から出てきたところだった。

「静かにしろ。今、ようやく寝たところだ。」
「ああ、悪い。・・・これが、届いてさ。」
「・・・珍しいな。」

手にしていた封筒を振ってみせるルイ。その差出人名に目を留めたナータが、懐かしそうな顔をした。
そのまま自室に移動し、手紙の封を切る。覗き込むナータの前で、ルイは封筒から引っ張り出した便箋を広げてみせた。

『親愛なるルイ、そしてナータへ

 大変長らくご無沙汰しております。
 今年の冬も大変厳しい寒さでしたが、ここにきて漸く春の訪れを
 感じられるような気候になってきました。その後、そちらは
 いかがお過ごしでしょうか。』


「前に手紙が来たのは・・・いつだったっけ?」
「あれは、アグリナがここを出てすぐだったからな。・・・確か、一昨年の秋の初めだったか。」
「もう、そんなになるのか。・・・しかし、この文面を見てくれよ。とてもじゃねえが、母さんの書いたものとは思えないぜ。」
「そうだな。・・・おまえの書く、竜の里への手紙とは雲泥の差だ。」
「こいつ・・・。」

珍しくにやにや笑いを浮かべたナータにやり込められ、ルイは口を尖らせた。もちろん、その目は笑っている。
母は豪快な性格だったが、細やかな心遣いのできる人間だった。それが周囲を惹き付け、そしてまた、心の傷を負った多くの人々を救ってきたのは事実だった。

『こちらは、島花でもあるライラックが満開になったところです。
 オノトア島は鍛冶で有名な島で、傍目には殺風景に映りますが、
 この時期だけ島全体が薄紫色に染まり、まるで別世界のようです。
 この見事なライラックを見るために、わざわざ北大陸から観光に
 訪れる人も多いと聞きました。』


術士を引退したアグリナが最初に訪れたのが、ナーガ諸島の北部に位置するオノトア島だった。そこに定住し、鍛冶屋を営むことに決めたと、前回の手紙には書かれていた。

「ライラック・・・か。ナータは、見たことあるのか?」
「いや。ただ、その花の色合いと、良い香りで有名な木だと聞いたことはある。」
「ふーん。・・・コーセルテルにもあるのか、今度アリアに訊いてみっかな。」

小さく頷いたルイが、手元の便箋に視線を戻した。

『こちらでは二度の冬を過ごしたわけですが、その寒さは想像以上の
 ものでした。特にヴァータにはこちらの寒さが堪えたらしく、冬は
 寝床から引っ張り出すのに散々苦労をさせられました。
 その昔、コーセルテルは精霊の加護を受けた地であると習った覚えが
 ありますが、今になってそれを体感している次第です。』


「って言われてもなぁ・・・。オレは生まれてからずっとここにいるからな。実感は湧かねえな。」
「まあ、そうだろうな。」

コーセルテルは中央山脈の中に存在し、標高だけ見ればかなりの高地にあった。しかしその気候は穏やかなもので、それはこの地が五千年前に造られた際の精霊たちとの“契約”に基づくものなのだと、かつてルイも本で読んだことがあった。竜たちの王国は遠い昔に滅びてしまったが、今でもコーセルテルが精霊たちにとって特別な地であることは、この地を訪れる季節の精霊たちの言動からも明らかだった。

『さて、こちらで始めた鍛冶屋ですが、二年近くを経て漸く軌道に
 乗りました。最初は冬の精霊との間の取引だけでしたが、少しずつ
 その対象が他にも広まりつつあります。この間、視察に来た冬軍の
 お偉いさんたちと撮った写真があるので、同封しておきます。』


封筒には、便箋の他に二枚の写真が入っていた。そのうちの一枚を手に取り、めつすがめつしていたルイが、ややあってそれをナータに手渡した。

「それが、冬軍の面々ってことらしいぜ。オレには、カシ以外は見覚えのねえ顔ばっかりだがな。」

写真には、大勢の人物が写っていた。中央にアグリナとヴァータ、そしてヴァータと同じような翼を具えたもう一人が、まだ成年前と思しき少女を笑顔で抱き締めている。
写真の左側の五人はナータにも見覚えがなかったが、右側にはいくつか見知った顔があった。一時期コーセルテルに居候していたカシを初め、アグリナと一騎討ちを演じたサカキ、その上官に当たるイチイなど。その一人ひとりを、ナータは指差しながらルイに説明してやった。

『そうそう、写真のもう一人の霊鳥族は、ヴァータの姉に当たる
 ヴァーユです。ヴァータのことが心配でこちらも故郷を出てきたそうで、
 昨年の夏に出会いその後は工房を一緒に手伝ってもらっています。
 また、ヴァーユの前に立っているのは、私が買った工房の持ち主だった
 レベッカ。今は、この四人で一緒に楽しく賑やかに暮らしています。』


「へえ・・・。あのヴァータに、姉さんがいたなんてなぁ。」
「そうだな。・・・アグリナ一人でも大変なのに、ヴァータもご苦労なことだ。」
「ははっ、違えねえや。あいつはとにかく真面目だからな。」

澄まし顔のナータの言葉に、いやに強調された“楽しく賑やかに”という言葉を眺めていたルイが思わず噴き出した。自分の手に負えない相手が二人に増え、困り果てたヴァータの顔を想像したのだろう。

『昨年の暮れには、冬軍から招待された慰安旅行で、旧コーバリスまで
 行ってきました。二枚目の写真はそのときに撮ったものです。冬軍が他季軍の
 面々を接待する際に使う温泉宿だそうですが、一面の銀世界に囲まれた
 露天温泉は最高でした。
 誰が宿の維持をしているのかが疑問でしたが、どうやら冬軍と深い関わりが
 ある人間が私の他にもいるようでした。冬の精霊には、私たちの想像以上の
 懐の広さがあるようです。』


コーバリスは、およそ百年前に極寒の気候の再来により、首都のあったニカイア周辺が人間の居住に適さない環境になってしまった国だった。しかし、国の南端にあった港町ロランを中心に住民が残っており、そうした中から冬の精霊との繋がりを持つ者が出てくるのは、別におかしいことではなかった。
便箋をナータに渡しながら、ルイが首を傾げた。

「温泉・・・か。本では読んだことあるんだが、本当に湯が地面から湧き出すなんてことがあるのかよ。オレにはとても想像できねえな。」
「クランガ山は、火山ではないからな。コーセルテルは水は豊富だが、残念ながら温泉を目にすることは難しいだろう。」
「ん? ってえことは何か? オレが火の力を上手く使えば、温泉ができる可能性があるってことか?」
「まあ、そうなるが・・・。・・・おいルイ、何を考えてる?」
「オレが、何術士を兼任してると思ってんだ。よーし、ガキどもが起きたら早速作戦会議だ!」
「・・・・・・。まあ、くれぐれも周囲に迷惑をかけない範囲でな。」
「わーってるよ。くーっ、実はオレ、大自然の中で入る風呂ってのに憧れてたんだよな!」

苦笑いをしたナータが、目を輝かせたルイに釘を刺す。母譲りの行動力―――――言い出したら聞かないこの若い竜術士の性癖については、先刻お見通しらしい。

『こうして生活が落ち着いてくると、自分にとっては第二の故郷とも言える
 コーセルテルのことが、懐かしく思い出されることも多くなりました。
 近いうちに墓参りを兼ねて、そちらに一度顔を出そうと思っています。
 ナーガでは、大抵のものが手に入るので、何か土産として欲しいのもが
 あれば予め知らせてください。』


「お、母さん帰ってくるってさ。」
「それは、賑やかになりそうだな。当然、ヴァータとその姉も一緒だろうし・・・」
「だよな。ま、火竜術士の家が丸々使えるから、場所の心配はしてねえけどさ。」

アグリナが去った後、空席となった火竜術士は、竜王の竜術士であるルイが兼任していた。使われなくなった火竜術士の家では、アグリナの補佐竜であったイムが一人で生活している。久しぶりの“育ての親”の帰宅に、イムもさぞかし喜ぶだろう。

『最後になりましたが、くれぐれも身体には気を付けて生活してください。
 俗に、“何とかは風邪を引かない”というのでそれほど心配はして
 いませんが、あなたは今やコーセルテルにとって重要な人間です。
 あまり自分一人で抱え込まず、適度にナータに頼ってください。

 それでは、コーセルテルの皆によろしくお伝えください。

 アグリナ』


「おっし、オレもこうしちゃいられねえ。母さんが戻ってくるまでに“温泉”を完成させて、こっちのが凄いって言わせてやるぜ!」

読み終わった便箋を封筒ごとナータに押し付けて、ルイが意気揚々と部屋を出ていく。その後姿を眺めていたナータは、ここでふっと微笑んだのだった。

(ルイも、逞しくなったな・・・。アグリナも、きっと喜ぶだろう・・・)


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