再会  1   

再会


 −1−

「陛下・・・そろそろ、お休みになられては。」
「いいんだ。・・・もう少ししたら、部屋に戻る。」
「御意。隣の部屋に控えておりますので、何かありましたらお呼びください。」
「分かった。・・・早く下がれ。」
「・・・・・・。」

竜都ロアノーク、宮廷にある竜王の居室に設えられたバルコニー。
頭を下げた後、じっと自分を探るような目で見ていた侍中を手を振って追い払うと、トレントは
苛立たしげに一つ溜息をついた。
そのまま、手にしていたハーモニカをじっと眺める。金属製のハーモニカは、月の光を反射して
トレントの手の中できらりと光った。幼い日、術士であるレナに贈られたこのハーモニカだけが、
トレントにとって今、コーセルテルを思い出すことのできる唯一のよすがとなっていた。
雨季にしては珍しく、昼まで降り続いていた雨は夜になって上がった。しっとりと水分を含んだ暖かな
夜風が、トレントのガウンの裾を僅かにはためかせる。
もうじき、日が変わる。明日も朝から忙しい一日になるだろう。・・・国民や廷臣に休日があっても、
立ったばかりの新たな竜王に休みなどない。
まるで、コーセルテルでの穏やかな毎日が、嘘のようだった。もしかしたら、あれは自身の見ていた
夢かと思えるほどに。
寝る前に許される、僅かな自由時間。毎日のこのひとときが、挫けそうなトレントの心を辛うじて支えて
くれていた。

「・・・・・・。」

俯いたまま夜風に身を任せていたトレントは、やがて目を閉じると、再びハーモニカを吹き始めた。
哀愁を伴った調べが、寝静まった宮廷に広がっていく。

トレントがロアノークに赴き、竜王としての執務に就くようになってから、もうじき一月が過ぎようとして
いた。
“竜王”はトレントにとって、その想像を遥かに超えた激務だった。
覚えなければならない宮廷のしきたり、そして学ばなければならない国政についてのあれこれ。
新たな竜王の即位を祝って挨拶に訪れる、支配下の各地区や民族の代表に謁見を与えること
一つをとっても、それは並大抵の煩雑さではなかった。昼夜を問わずそうしたものに取り組まざるを
得なくなった結果、一月が過ぎるのを待たずして、トレントはすっかり疲れ果ててしまったのだった。

何より、ここにはトレントの心の支えになってくれる相手が、誰もいなかった。
術士のレナ。学院の親友たち。里の、家族を初めとする水竜の一族。
もちろん、竜王になる際にこうした人々と離れ離れになることは、予め分かっていたつもりだった。
だが、トレントの竜王としての即位はあまりにも急だった。別れを惜しむ暇も、心の準備をする
余裕もないままに、トレントは大急ぎで竜都に戻らねばならなかったのだ。
本来ならば自分の後見として宮廷に入り、自分の一番の“味方”になってくれるはずだったガウス。
そのガウスも、トレントが竜都に召喚された際、なぜか休職願いを出してそのままコーセルテルに
留まっていた。
裏切られた気がした。
見知らぬ人々に囲まれ、朝から晩まで否応なく宮廷に軟禁される生活が続く。
周囲の皆はコーセルテルでのトレントの行状を知っており、トレントに向けられる視線は常に猜疑を
含んだものだった。ことある毎に浴びせられる、諫めや皮肉を含んだ言葉の数々。それは、
コーセルテルで自由に育ってきたトレントにとって、次第に耐え難いものになっていった。
・・・もう、たくさんだった。

(ライラ・・・どうしてる)

ハーモニカを吹くのをやめ、トレントは目下に広がる庭園の木々に目をやった。
本当に、あれで良かったのか。
結局、自分は彼女に想いの丈を伝えることはしなかった。危急の事態であることを理由に髪飾りだけを
ガウスに託し、逃げるようにしてこのロアノークにやってきたのだ。
アルファライラは、コーセルテルの湖を守護するという大事な役目を負っている。それを放り出して
竜都に来ることなど不可能であり、無論自分がおいそれとコーセルテルに行けるわけもない。ここ
数年は、間違いなく竜都を離れることはできないだろう。
即刻、自分は否応なくコーセルテルを立ち去らねばならない。そして、何年も・・・もしかしたら、
何十年もここに戻ることはできない。面と向かってそう彼女に告げれば、自分は彼女が苦しむ様を
見ることになっただろう。それによって、自分の決心が鈍った可能性もある。
竜も精霊も長命なのだ。いつか、必ず逢いに行ける日が来るはずだ。そうだ・・・自分の判断は、
間違っていなかった。毎日自分にそう言い聞かせながらも、トレントは自分が心のどこかでそれを
後悔していることを感じていた。


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