事情  1   

事情


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ランバルス夫妻の家は、竜都ロアノークの中心部に近い高級住宅街にあった。ウィンシーダはこの日、
朝日が射し込む寝室で久しぶりの朝寝を愉しんでいた。
今日は土曜日。世間では休日とあって、外も静かなものだ。いつもなら寸暇を惜しんで大学や遺跡に
出かける彼女も、とある事情からこの日は一日を休養に当てることにしていたのだった。
だが、この穏やかな休日の朝は、小さな闖入者によって唐突に破られることになった。

「ママ、・・・朝だよ。」
「・・・んー・・・?」
「ママ、起きてよ!」
「・・・ヴィアンカぁ・・・? なによぅ・・・いま何時だと思って・・・」

声の主は、二人の愛娘であるヴィアンカだった。ブロンドの髪に碧の瞳は、彼女が二人の血を引いて
いることを如実に物語っている。
薄目を開けたウィンシーダは、枕元にある時計に目をやった。時刻はまだ朝の七時半で、あろうことか
平日の彼女の起床時間よりも早かった。

「せっかくの休みなんだから・・・もうちょっと寝かせてぇ・・・」
「ねえ、ママ! ママってば!」

呻くようにこう言ったウィンシーダは、頭から布団を被ってしまった。だが、自分のことを揺さぶる小さな
手は、しばらく経っても諦める様子を見せなかった。
どうやら、この“攻撃”は自分が起きるまで止みそうにない。水をかけられたりする前に、大人しく起き
出した方が無難だろう。

(あ゛ー・・・せっかくの朝寝がぁ・・・)

諦めたウィンシーダは、仕方なくベッドの上に身を起こした。・・・そして、寝惚け眼を擦りながら大欠伸を
一つ。

「ふぁあ・・・。・・・こんな朝早くから何なのよぉ・・・」
「あのね、読んでる本にわかんない言葉が出てきて・・・それで、パパやママに聞けばわかるか
なあって・・・。」
「ふーん・・・。・・・でも、何で先に私を起こしたのよ。」

せっかくの休日だというのに、早朝に叩き起こされたのだ。誰だって気分がいいはずがない。
ウィンシーダの口調に咎めるような響きが混じったのに気付き、ヴィアンカは口を尖らせた。

「パパも起こしたもん! でも、何やっても起きないから・・・。」
「あー・・・」

傍らのベッドで眠るランバルスをちらりと見やり、ウィンシーダは苦笑した。
うつ伏せになったランバルスは、枕に顔を埋めるようにして爆睡している。元々、ランバルスには一度
寝たらなかなか起きないというところがあり、今までにウィンシーダもそれに何度も苦労させられて
いた。
昨日は、二人の結婚記念日だった。ヴィアンカが寝静まった後、ランバルスとウィンシーダは二人
だけのささやかな宴を開いたのだが・・・結局それがお開きになったのは、明け方近くなってからのこと
だった。まして、二人であれだけの酒を飲んだのだ。少々のことでランバルスが目を覚まさないのは、
けだし当然と言える。

「分かったわ。それで・・・分からない言葉って?」
「あのね・・・“月曜日”って、何のこと?」
「月曜日?」

ウィンシーダは目をぱちくりさせた。それは確かに覚えのある言葉だったが、少なくとも五歳の
女の子が口にするにはそぐわないものだったからだ。

「どこにそんな言葉が出てきたの?」
「うん、この本・・・」

ヴィアンカが差し出したのは、かつてウィンシーダがその少女時代に心躍らせながら読んだ冒険物語
だった。
ヴィアンカは、ちょっと他とは変わった子だった。
普通の女の子がままごとや人形遊びに興じているはずのこの歳で、既に絵本を卒業してしまった
ヴィアンカは、今は両親の本棚から手当たり次第に読める本を取り出しては、それに没頭する毎日を
送っていた。外に遊びに出れば出たで、「探検ごっこ」と称して近所の男の子たちを従えて辺りを駆け
回り、すっかり日が暮れてから泥まみれになって帰ってくる。
「さすがは俺たちの子だ、これで跡継ぎの心配は要らないな」などとランバルスはよく笑いながら言って
いたが、母親としてウィンシーダの心中は複雑だった。ランバルスと同じく、将来が楽しみだ・・・と思う
一方で、せめてもう少し歳相応の女の子らしく育って欲しい・・・とも思ってしまうのだ。

「・・・ママ?」
「あ、うん。・・・どこから説明したものかなぁ・・・」

いつの間にか考え込んでしまっていたウィンシーダは、ヴィアンカの声に我に返った。頭を掻くと、辺りを
見回す。

「そうね・・・じゃ、あそこのカレンダーを持ってきてくれる?」
「うん。」

頷いたヴィアンカは、居間のテーブルの上に置かれていた卓上式のカレンダーを手に、寝室のウィン
シーダのところへ戻ってきた。その一番上にあるページには「五〇二三年水竜の月」とある。

「さてと。じゃあ、順番に話すからね。」
「うん!」

ウィンシーダの声に、その隣に腰掛けたヴィアンカは目を輝かせた。こうして父や母から、自分の
知らないことについての話を聞くのが大好きなのだ。


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