記念日  1   

記念日


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「それにしても・・・早いもんだなあ。」

竜王の私室で、小さなテーブルに着いていた当代の風竜王アイザックことヒューは小さな溜息を
ついた。傍らには彼の補佐を務める水竜グレーシスと、侍医長の木竜パルムの姿もある。

「今日で、あいつが死んでから七年になるのか。・・・この日をさ、人間は何とかって言うんだろ?」
「ああ・・・“七回忌”ですね。」
「おう、それそれ。まさか祝いの席ってわけにはいかないけど、あいつに一番近しかったオレたちが・・・
この日くらいは思い出話をしてやらないとな。」

遠くを見るような目になったヒューは、言いながら窓の外に目をやった。
窓の外は、晩秋の冷たい雨。それを通して、城塔に掲げられた真竜族の姿を模った国旗が見える。
普段の三分の二ほどの高さに掲げられたそれは、竜術士の始祖であるユーニスの死を悼んだ「半旗」
なのである。
毎年、ユーニスの死んだこの日には、かつて宮廷でユーニスと最も親しくしていたこの三人で集まって、
彼女の思い出話をするのが慣例になっていた。最愛の妻が死んだ日とあって、廷臣たちもこの日に
ヒューが竜王の公務を休むことは了解してくれている。
テーブルの上に置かれていた紅茶のカップを取り上げ、それを口元に運びかけたヒューは、何を
思ったのかここでくくっと笑った。

「にしても、意外だったよなあ。葬儀のとき・・・」
「はい?」
「あの頑固じいさんがなあ。人目も憚らず大泣きするなんてな・・・。本当に、素直じゃないよなあ。」
「そう言えば、そうだったわね。」

その時のことを思い出したのだろう。ヒューの言葉に、残りの二人も笑顔を浮かべた。
“頑固じいさん”とは、もちろん地竜のデュラックのことだ。
元来保守的で、最後まで人間族を“竜術士”としてこの地に迎えることに反対した地竜族。その長老の
一人であるデュラックは、ユーニスが正式に“竜王の竜術士”となってからも自身の持つ不信感を
隠そうとはしなかった。
そんなデュラックだから、ユーニスの死を知らされた時に号泣したと聞いて誰もが驚いた。ユーニスを
庭園の片隅・・・彼女お気に入りだった大樹の根元に埋葬すると決まった時も、デュラックはその一切を
取り仕切ると言って譲らず、結果として柩を納める穴に至るまで全て彼の手によって準備されたの
だった。・・・葬儀が終わった途端すっかり老け込んでしまったデュラックは、現在は里へと隠居して
しまっている。

「しかし、ヒュー。いいんですか?」
「は? 何がだよ。」
「何って・・・。今日はユーニス様の命日なんですから、ユーニス様の育てた子竜たちや息子さんを
呼んでも、良かったのではないかと・・・。」

グレーシスの言葉に、ヒューは肩を竦めると小さく溜息をついた。

「仕方ないだろ。みんな国中に散らばっちまってるし・・・それに、今日は別に国の休日ってわけじゃない
からな。あいつらのことだから、声をかけたら仕事なんて放り出してここに来ることは見えてるだろ。」

ユーニスの死後、それまで宮殿に留まっていた子竜たちは、それぞれの道を歩き始めることになった。
一番竜だった風竜エリカは、監察官として大陸南端のアミアンへと赴いた。北大陸でも特に寒さの
厳しい内陸部出身だったユーニスは、南大陸南部の熱帯の気候に強い憧れを持っていた。そのことを
知っていたヒューは、彼女の存命中にはしばしばアミアンやミガンティク地方の“視察”を命じたもの
だった。もちろん、その実は長期休暇など望むべくもない“竜王の竜術士”である彼女に、束の間の
休息を与えたかったからである。
二番竜の火竜ミリオと三番竜だった木竜アルルは里へ戻り、それぞれ今は族長と里長を務めている。
剣の修行が無二の楽しみであると公言して憚らないミリオは、今でも時々宮殿に顔を出しては、
近衛隊の隊長となった六番竜の暗竜ノクトに剣の勝負を挑んでいるらしい。一方のアルルは、その
役柄上里を離れることは滅多にないが、今でも侍医長であるパルムの元へ特製の「薬草」が送られて
くる。きっとあの“邪笑”は里でも健在なのだろう。
そして、五番竜の水竜フェルムは、里に戻った後もユーニスが育てた子竜たちの中で唯一「役付き」
ではない人生を歩んでいる。ユーニスが竜術士になった直接のきっかけは、彼女自身が名付けた
水竜ククルの死だった。ククルはグレーシスの実の弟でもあり、二人のことを慮った水竜一族は、
ユーニスに預ける子竜として、なるべく名家であるグレーシスの家系から離れた家の女の子を
くじ引きで選んだのだった。そのため、フェルムは他の六人とは違って里に対して何の義務も負って
いない立場におり、今でも気ままに宮殿に遊びにきたりする毎日を送っている。ある意味、最も
幸せなのはフェルムかも知れなかった。

「でも、それならそれで・・・宮廷に残ってる三人に声かけてあげればいいじゃない?」
「よせよ。ヴィスタなんか呼んで、またべしゃべしゃ泣かれたら場が湿っぽくなっちまうだろうが。
・・・ったくよ、地竜ってのは実はみんな泣き虫にできてんのか?」
「ヒュー。そんなことを言ったら、宮廷の地竜たちを敵に回すことになりますよ?」
「いや、冗談だよ冗談。」

グレーシスの言葉にヒューは頭を掻き、パルムはいたずらっぽい笑いを浮かべた。
四番竜の地竜ヴィスタは、里からの再三にわたる説得を突っぱねて宮廷に残る道を選んだ。新たな
国家として生まれ変わったフェスタの歴史を綴る記録官となり、またデュラックの隠居に伴って空席と
なった書庫の管理を引き受けたのである。滅多に話をすることはなかったが、今でもヒューは宮殿の
ここかしこで本を山と抱えたヴィスタの姿をよく目にしていた。
六番竜の暗竜ノクトと七番竜の光竜エクルは、それぞれ宮殿の近衛隊の隊長と副隊長に納まった。
ユーニスから剣を直伝された子竜たちの中で、最もその素質を開花させたのはノクトであり、今でも
その剣技の冴えは他の竜たちの追随を許さない。ただ、ノクトには他人との意思疎通に難がある
部分があり、結果的にこれまた宮廷内で唯一ノクトの発言を正確に理解できるエクルがその補佐に
なったのは当然の成り行きであった。
そして、ヒューとユーニスの息子であるアステル。ユーニスの死後、次の“竜王の竜術士”にという
誘いを断った彼は、今はメクタルのチェルヴィアに赴いていた。竜術士の人材獲得のために、
両大陸の間に位置するメクタルとナーガに設けられた役所の責任者となったのである。人間と竜との
架け橋になるべきこの役割には、両者の血を引くアステルが一番相応しいと言えるのかも知れない。


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