誰にも言えない  1   

誰にも言えない


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「あれ・・・」

学院の食堂を入ったところで、光竜のフィリックは立ち止まった。
時刻は午後の四時を少し回ったところ。毎日授業が引けたこの時間に、食堂で豪勢な「おやつ」を
楽しむのが、フィリックの毎日の楽しみの一つなのだった。

(珍しいなあ・・・)

フィリックの視線の先には、クラスメートの水竜ルクレティアがいた。
普段からあまり食堂に足を運ばない彼女が、こんな中途半端な時間にここにいること自体おかしなこと
だった。あまつさえ、壁にかけられたメニューの一覧を睨み付け、何かをぶつぶつと呟いているので
ある。どう考えても、普通の様子ではない。

(なんだろ・・・新メニューでも導入されたのかな?)

食堂の中へと歩を進めたフィリックは、ルクレティアと並び立つようにして壁に掲げられたメニューを
眺めた。当のルクレティアは、そんなフィリックに気付く様子もない。
世界中から術士が集まるフェスタ。その中のコーセルテルで竜たちの教育に当たっている術士たちの
出身もまた、世界各地に及ぶ。そうした術士たちの食生活に対応するため、ここ王立竜術学院食堂の
メニューは膨大な種類があった。しかし、既にここの常連になっていたフィリックには、メニューに
目新しい部分がないことは一目瞭然だった。
だが、それならばルクレティアはなぜ、何かに憑かれたような様子でこうしてメニューを眺めているの
だろうか。
考えていても分からないものは分からない。やはり直接訊いてみるのが一番の早道だろう。

「ティア。何してるの?」
「わきゃあああっ!」

突然背後からフィリックに声をかけられたルクレティアは、奇声を上げると文字通りその場で優に
一リンクは飛び跳ねた。

「な、なんだフィリック! おっ、おど・・・驚かさないでよっ!」
「別に、そんなつもりはなかったんだけど。」

振り向いたルクレティアの顔は、狼狽で真っ赤だった。それを目にしたフィリックは、不思議そうに首を
傾げたのだった。


  *


「いくらなんでも、それは・・・かけ過ぎだと思うけど。」
「ん?」

紅茶のカップを手にしたルクレティアが、呆れたように言う。顔を上げたフィリックは、相手の視線の先
・・・目の前に置かれた皿を眺めた。
皿の上には、フィリックが注文した三枚重ねのパンケーキがあった。その上には大きなバターの塊が
乗せられており、皿から溢れんばかりにシロップがかけられている。これではパンケーキを食べて
いるんだか、バターとシロップを食べているんだか分からない。

「いいじゃないか。人の勝手だろ。」

眉を寄せたフィリックは、食事を再開した。
家での食生活の影響なのか、フィリックはナイフとフォークが苦手だった。この日も苦手なナイフには
手を出さず、フォーク一本でパンケーキを切り分けているフィリックに向かって、ルクレティアがからかう
ような調子で声をかける。

「いいの? 太るわよ〜?」
「大丈夫、運動もそれなりにしてるしさ・・・それに、もともと僕は太る体質じゃないからね。」
「・・・・・・。」

付け合せのコンソメスープを口にしたフィリックは、ここでルクレティアが肩を震わせたのをうっかり
見逃した。
引きつりかけた口元を慌てて元に戻すと、ルクレティアはテーブルに頬杖をついた。

「でもさ、何もここで食べなくたっていいんじゃないの?」
「なに・・・どういう意味?」
「家に帰れば、パンケーキくらいジラルドさんが焼いてくれるんじゃないかって言ってるの。」
「父さんが? うーん、それは・・・」
「なあに、ダメなの? ・・・もしかして、パンケーキはイゼルニア料理じゃないからとか?」
「いや、そんなことはないよ。父さんがやると決めたら、できないものはないんだ。」

フィリックは、ルクレティアに向かって胸を張った。だが、その割にはどこか元気がない。

「実はさ、前に頼んだことがあったんだよ、一度。パンケーキ。」
「あら。じゃあ、すごくまずかったとか。」
「いや、そんなことはなかったけど・・・」

サラダのレタスをフォークでつつきながら、フィリックは遠い目をした。

「父さんさ、まず材料を秤で正確に量り始めてさ。まあ、小麦粉や砂糖はいいさ、粉だから。・・・でも、
重さの揃った卵を探し始めるってのはちょっと・・・」
「へえ。随分こだわってるのね。」
「あれが“こだわってる”で表現できるものなのかとても疑問だけどね。・・・で、焼き始めたら、今度は
胸元から懐中時計を取り出して。」
「でも、こういうものって・・・時間を計るのは基本だと思うけど。」
「秒単位でかい?」

肩を竦めたフィリックは、残っていたスープを飲み干した。

「できあがったパンケーキがさ、これまたすごいんだ。何枚あっても、見かけは完璧に一緒。思わず
定規を当てたくなるくらいさ。」
「・・・・・・。」
「秤にかけたって、多分量ったように同じ重さだったと思うよ。・・・そんなパンケーキ、なんだか芸術作品
みたいでさ、食べる気になれないよ。」
「そういうワケだったの・・・」

ルクレティアも、フィリックの術士であり、この学院の理事の一人でもあるジラルドの完璧主義ぶりに
ついて噂には聞いていた。だが、具体的な話を聞いたのはこれが初めてだった・・・これだけでも、
フィリックの日常の苦労が窺い知れる。


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