夜明け  1   

夜明け


 −1−

外は、まだ暗かった。

「ふあー・・・。」

ベッドの上に身を起こした火竜のカランは、そのまま大欠伸をした。
ボリボリと頭を掻きながら、隣を見る。寝惚けてぼんやりした目に映ったのは、きれいに片付けられた
ベッドの様子だった。どうやら、その主はとっくの昔に起き出した後のようだ。

(どうする、かなー・・・)

できれば、もう一眠りしたい。
うとうとしかけたカランの耳に、盛んに鳴き交わすカラスの声が届く。これは、間もなく夜が明けることの
証だった。
残された時間は、それほど多くない。熟睡できるかどうか、微妙なところだ。

(また・・・ダイナに叩き起こされるのもゴメンだからな)

そうと決めれば、カランの行動は早かった。ぱっと布団を跳ね除けると、寝室を出て階下へと続く
階段を下りていく。目指す場所は、自らの術士がいるはずの台所だった。
火竜術士の家の台所は広く、二間続きの構造になっている。流しのある普通の厨房の隣に、大きな
窯の置かれたスペースがあるのだ。いつ据え付けられたものかは定かではなかったが、ここで歴代の
火竜術士たちはその火竜術を活かして、様々なものを作ってきたのだろう。
一階へと下りたカランは、台所へと回った。その隅に置かれている甕からコップに水を汲むと、それを
一気に呷る。

「ふー・・・」

台所は、香ばしい匂いで満ちていた。まだカランがほんの子供の頃から、火竜術士の家の朝は、常に
この香りと共にあった。

(毎日、精が出るよなあ・・・)

コップを元の場所に戻し、隣の部屋を覗き込む。果たして、お目当ての人影を見付けたカランは、その
背中に声をかけた。

「よう。」
「ああ・・・あんたかい。」

火竜術士ダイナの朝は早い。冬はもとより、夏でさえこうしてまだ暗いうちから起き出している。
・・・それは、こうしてパンを焼くためだった。
竜術士は、各種族の子竜を育てるという本業の他にも、このコーセルテルにおいて様々な役割を
担っている。それは、木竜術士による薬の調合といった具合に、預かる竜の種族毎の能力を活かした
ものが多かった。無論、幻獣人たちの諍いの調停のように、竜術とは直接は関係のない仕事もある。
そして、ダイナが担当するようになったのが、この“パン”だった。毎朝焼き上がったパンは、竜術士
たちの家や近くの幻獣人の村へと運ばれ、朝食として彼らの一日の活力の源になっているのだ。

「・・・・・・。」

ダイナは、黙ってパン焼き窯を見つめている。その様子を眺めながら、カランは静かに傍らの椅子に
腰を下ろした。
朝のダイナは、日中とは全くの別人だった。普段の快活な様子は影を潜め、黙って窯を見つめる
その瞳には、深い憂いの色がある。

「今日も、あんた一人でやってるのか。」
「・・・・・・。」
「・・・たまにはオレたちにも、手伝わせてくれよ。」

カランのこの言葉にも、ダイナは振り向こうともしなかった。
ダイナが初めて預かった子竜は四人。その末っ子・・・四番竜はジェナという女の子だった。
女っ気が皆無のカランとは違い、ジェナは人並みの女らしさを具えた子だった。特に長じてからは、
ダイナに向かってよくパンの焼き方を教えてくれとせがんでいたものだ。
しかし、日頃は火竜たちの「頼み」に対して寛容なはずのダイナは、この件についてだけは頑として
首を縦に振ろうとはしなかった。その理由については、術士になって三十年以上が過ぎた今と
なっても、一言も口にしないままだ。

(また・・・だんまりかよ)

ダイナが術士となった直後に行われるようになった、この毎朝の行事に火竜術が遣われたことはない。
それこそ、火竜術が大いに役立つ分野の作業なのにもかかわらずだ。
それは、ダイナのパンに対する“こだわり”のためなのか。それとも、何か他の理由があるのか。

(・・・・・・)

元々、黙って座っているのは苦手な性分である。小さく溜息をついたカランが、再びダイナの背中に
声をかけた。

「・・・に、してもよ。ダイナ・・・あんた、よっぽどパンを焼くのが好きなんだな。」
「・・・・・・。」
「ま・・・そうでもなきゃ、毎日こんなに早起きしたりしねえよな。」
「・・・・・・。」

話の接ぎ穂を探して、何気なく口にした一言のはずだった。しかし、ここで振り向いたダイナの瞳には、
明らかに苛立ちの色があった。

(・・・お?)

目を瞬くカラン。しばらくしてカランから目を背けたダイナは、吐き捨てるようにこう言った。

「・・・馬鹿馬鹿しい。」
「はあ?」
「そんなことが・・・あるもんかね。」
「おい・・・ダイナ?」

術士の意外な言葉に、カランは小さく首を傾げた。しかし、再び窯の方を向いたダイナからは、
それ以上の返事は返ってこないままだ。


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