夜明け
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優に十分はそのままだったろうか。痺れを切らしたカランが、椅子から立ち上がろうとしたそのとき・・・
ダイナが一言、ぽつりと呟いた。
「このパンはね・・・弔いなのさ。」
「と・・・弔いだって?」
「あたしの家は、パン屋だった。」
カランの方も振り向かず、ダイナは誰にともなく喋っている。
「・・・じゃあ、あんたがその店を?」
「女手一つで、パン屋ができるもんかね。もちろん、結婚して・・・夫が店を継ぐことになったさ。」
「じゃあ、そいつか。そいつが、嫌なやつだったとか。」
「・・・いい人だったよ。あたしには、もったいないくらいに・・・。」
言葉を切ったダイナが、半開きにされていた窓から外を眺める。そこから覗く夜空は、徐々に菫色に
染まりつつあった。程なく、夜明けを迎えるのだろう。
「ある日、ふと嫌になっちまってね。」
「嫌になった?」
「パン屋ってのは、気の休まることのない仕事さ。毎朝早くから起きてパンを焼いて、毎日毎日その
繰り返し。・・・他の仕事に休日があっても、人間は食べるのを休むことはできないからね。」
「そりゃま、そうだろうけどさ。」
頷いたカランが、話の続きを促す。
「それで・・・どうしたんだ?」
「そう思ったら、いてもたってもいられなくなってね。あたしも若かった・・・そのまま、家を飛び出し
ちまったんだよ。」
「へえ・・・。」
「すぐに、家には戻るつもりだった。せめて二三日・・・パンとは縁のない日が過ごせれば、それで
よかったんだ。」
ここまで話したダイナは、しばらくの間黙り込んだ。その背中を見ながら、カランはじっと待った。
きっと今、ダイナは大切な告白をしようとしている。そのために心の整理をしているのだ。・・・そして、
ダイナの補佐竜として一生を共に生きると決めた自分には、それを聞く義務がある。
「あたしが戻った時、そこに家はなかったよ。」
「・・・え?」
「あんたが生まれる前の話だからね。あんたは知らないだろうけど・・・大きな地震があってね。あたしの
住んでいた村は、丸ごと地面に飲み込まれちまったのさ。」
「・・・・・・。」
「家族だけじゃない・・・。親戚も、知り合いも・・・みんないなくなっちまった。皮肉なもんだよねェ・・・
こんなあたしだけが、自分のわがままのせいで生き残っちまった、なんてさ・・・。」
寂しそうに笑うダイナ。その横顔を目にした瞬間、カランにはダイナが朝のこのひととき・・・まるで
別人のように塞ぎこんでいる理由がはっきりと分かったのだった。
(ダイナ・・・)
初めて、自分の術士が見せる無防備な素顔。しかし、この三十年・・・これだけの辛い思いを心の内に
抱えながら、こうして日々明るく生きてこられるものなのか。
「その後は、お決まりのコースさ。」
「お決まり・・・?」
「野暮なこと、言わせるんじゃないよ。・・・か弱い女が一人で生きていこうってんだ。その手段なんて、
限られているだろう。」
「・・・・・・。」
「一年と、持たなかったよ。それで、また・・・逃げ出したのさ。・・・やれやれ、こうしてみると逃げ続けの
人生だねェ。」
「じゃあ、そのパンってのは・・・」
「・・・・・・。死んでしまった夫や両親の代わりに、と思ってね・・・。」
「ダイナ・・・。」
「今のあたしにできることなんて、これくらいしか・・・ないからね。」
小さく肩を竦めたダイナが、座っていた椅子から立ち上がった。そのまま窯の前に立ち、中を覗く。
俯いたまま、しばらくの間黙り込んでいたカランは、やがて顔を上げると自らの術士の背中に向かって
声をかけた。
「なあ、ダイナ。さっきの話だけど・・・」
「・・・・・・。」
「弔いのために、パンを焼いてるって言ったろ。あれはさ、やっぱり・・・違うんじゃねえかと思う。」
「・・・なんだって?」
「なんかこう、うまく言えねえんだけどさ・・・」
頭を掻いたカランは、振り向いたダイナに向かって真剣な表情で言葉を継いだ。
「あんたが村を離れたことと、その地震とは何の関係もねえだろ。・・・だから、それで自分を責めるのは
間違ってると思うんだ。」
「・・・・・・。」
「そりゃ、たくさんの人が亡くなったんだから・・・それは悲しいことだと思うぜ? でもさ、オレたちから
すれば・・・そのせいで今ダイナがここにいてくれて、オレたちがいるわけだからさ。なんか、そんなに
自分を責められるとさ・・・オレたちが悪いことをしたみたいな気持ちになっちまうぜ。」
「カラン、あんた・・・。」
「多分・・・みんな同じことを言うんじゃねえかな。そうさ、クレイもユークも・・・そしてジェナもさ。」
カランの弟や妹として育った火竜たちは、今は皆里に戻っていた。それぞれがコーセルテルで・・・
ダイナの許で身に付けた能力を活かして、一族のために働いているのだ。
「それにさ・・・。パンってのはみんなの力になるもんだろ? つまり、言いかえればみんなの笑顔の
元さ。・・・それを焼くあんたが、そんな悲しい顔をしてちゃ、まずいんじゃねえか。」
「・・・・・・。」
「あんたのパンに、コーセルテルのみんなが喜んでくれてる。今はそれでいいじゃねえか。・・・亡く
なったっていう、あんたの家族を忘れろとは言わねえ。けどさ、いつまでもそんな顔でパンを焼いて
たらさ・・・あんたの家族も、逆に辛い思いをするんじゃねえかな。」
カランは必死だった。“口より先に手が出る”を絵に描いたような人生を歩んできたカランにとって、
ここまで色々とものを考えながら喋るのは初めての経験である。下手をすれば、拙い言い回しや
ふとした言葉によってダイナに追い討ちをかけてしまう可能性もあるのだから、無理もなかった。
それでも、ダイナの“告白”に対して、何も言わずにこのまま済ませることはできなかった。
「頼むから、一人で背負いこまねえでくれよ。あんたにとっては、まだまだ頼りねえのかもしれねえけど
・・・オレだって、ライノたちだっているんだし、さ。」
「・・・・・・。」
「まあ、何を言いたいかっていうとさ。・・・あまり、自分一人を責めねえでくれって・・・こういうことかな。」
ここまで言ったカランは、頬を染めるとそっぽを向いた。
(けっ・・・ガラにもねえこと言っちまったかな)
しばらくの間、カランをじっと見つめていたダイナが、やがて口を開いた。その瞳には、大きな驚きと・・・
そしてそこはかとない安堵の色があった。
「あんたも、言うようになったもんだねェ。」
「そ・・・そうか?」
「ああ。驚いたよ。」
二度、三度と頷いたダイナが、笑顔になるとカランを手招きした。
「そろそろ、焼けたようだね。・・・さ、手伝っとくれ。」
「え? その・・・いいのか?」
「当たり前だろう。さっきの話は嘘なのかい?」
「まさか!」
こちらも笑顔になったカランが、ダイナに並んで窯の前に立つ。玄関のドアがノックされたのは、
そのときだった。
「おはようございますー!」
続いて聞こえた声は、小さな女の子のもの。恐らく、風竜術士家の二番竜フランカのものだろう。
毎朝この時間になると、風竜術士モニカと風竜のうちの一人が連れ立ってダイナの家を訪れてくる。
そして、受け取ったパンをコーセルテルの各竜術士の家に届けて回るのだ。
「はいよ! ちょいとお待ちよ。」
窯から取り出したパンを、手早く籠に入れる。テーブルの上に置かれていたそれを、カランはダイナに
押し付けた。
「・・・焼きたてを手渡すのは、あんたの役目だぜ?」
「そうだね。じゃ、ちょいと行ってくるとしようかね。」
籠を手に台所を出ていきかけたダイナは、その入り口で束の間立ち止まった。
いつの間にか夜が明けたのか。窓から射し込んだ一条の光によって、その足元が眩く照らし出されて
いる。
「カラン・・・ありがとうよ。」
「な・・・なに言ってやがる。オレはあんたの補佐竜だぜ?」
「おや。その台詞、初めて聞いた気がするけどねェ。」
「うるせえな。そ・・・そんなことより、早く行ってやれよ。長い間待たせたら悪いだろ。」
「ああ・・・そうだね。」
くすりと笑ったダイナは、小さく手を挙げるとそのまま台所から出ていった。その後姿を、カランは
赤い顔で見送ったのだった。
はしがき
火竜術士ダイナの若かりし頃の話です。
『ROUND TRIP』のサイドストーリーでは、今までトレベス・ヴィーカ・カレルといった各竜術士の過去に
ついて少しずつ書いてきました。ここまで来たら全員制覇を目指そうかな(笑)、ということで四人目の
ダイナの話を書いてみました。
残るは地竜術士アリシアと光竜術士スプラですね(トレベスについてもまだ断片的ではありますが)。
話としてはどちらも完成しているので、また機会をみて執筆に取り組もうと思います。
BGM:『幸せの花』(松浦桜子)