週末の過ごし方〜ヴィスタの場合〜  1   

週末の過ごし方
〜ヴィスタの場合〜


 −1−

頭上で聞こえた物音に、食堂のテーブルの前に立っていた光竜のララは顔を上げた。

(やっと、お出ましですかな)

何か重い物が床に転がり落ちる音、ガラスの類が砕け散る音。ひとしきり続いた物音は、寝室の扉が
開く大きな音を最後にぴたりと止んだ。・・・あの様子だと、今週も二階の廊下には、蝶番の外れた
哀れな扉が転がっているに違いない。

(後で、修理を頼みませんとな。やれやれ、相手の呆れ顔が目に浮かびますな・・・)

小さく肩を竦めたララは、視線を手元に戻すと作業を再開した。茹でた小豆を裏漉しして、用意した
ボウルに受ける。実にこれで三回目なのだが、ここで手を抜くと餡の味はガクンと落ちることになる。
菓子作りの道は険しいのだ。

「おふぁよー・・・」

優に五分後、間延びした声と共にやっとのことで食堂の入り口に顔を覗かせたのは、彼女の実姉で
ある光竜のエクルだった。自慢の長い髪はボサボサで、どこで間違えたのか両足につっかけている
スリッパの柄も左右で異なっている。そこには、普段の「近衛隊副隊長」としての颯爽とした姿を連想
させるものは微塵もない。
食堂のテーブルにやっとのことで辿り着き、手近な椅子にぺたんと座り込んだエクルに向かって、
ララが苦笑しながら言った。

「おはようとは・・・ご挨拶ですな姉様。外を見なされ、もうとっくに昼ですぞ?」
「いーじゃないのよー・・・今日は休みでしょ。固いこと、言わないのー・・・。」
「ほれ、テーブルに突っ伏すのはおよしなされ。また寝てしまいますぞ。」
「・・・・・・。」

エクルの抗議の声は、途中から意味の分からない呟きになった。これだけの長い時間惰眠を貪って
いたというのに、まだ夢と現の境を彷徨っているらしい。
昔から、エクルは朝が大の苦手だった。他の多くの者と違って、起き抜けの機嫌が特に悪くなるという
ことはないのだが、その代わり反応が鈍いことおびただしい。
パジャマ姿でテーブルの上にだらしなく伸びてしまった姉の姿を目の当たりにして、しゃもじを手にした
妹が盛大な溜息をついた。

「全く、いつものことながら・・・。朝の姉様は、いつもとはまるで別人ですな。少しはしゃんとしませんと、
恋人ができたときに苦労するのは姉様ですぞ?」
「いいもーん、そんな人・・・別にいないからー・・・。」
「しかしですな―――――」
「それよりー・・・、さっさとお茶、淹れてよ。」

口を尖らせたエクルに睨まれて、再び苦笑いを浮かべたララは、それでも素直に席を立つと台所へと
向かった。
用意された紅茶を口に含み、ようやく人心地ついた様子のエクルが、その視線をテーブルの上へと
向ける。

「で。今日はまた、何を作ってるの?」
「ああ、これですか。これは、月餅と申しましてな。」
「げっぺい? ・・・初めて聞く名前ね。」
「つい最近知り合った術士の方から、故郷に伝わるという菓子の作り方を教わりましてな。確か、
北大陸の内陸部というから・・・そう、もしや始祖ユーニス様の故郷近くの出身かも知れませんな。」
「ふーん。それで?」
「早速レシピ通りに作ってみたのですが、どうも味の方がいまいちのように思えましてな。そこで、今は
我輩の好みに合わせた“改良版”に挑戦しているところなのですよ。」
「そういうこと。・・・うん、これは確かに、ちょっとくどいかなぁ。」
「やはり、姉様もそう思われますか。」

テーブルの上に残されていた菓子の残りを口に放り込んだエクルが、小さく首を傾げながら言った。
頷いたララが、手を組むと上目遣いでエクルの方をちらりと見る。

「それで、姉様。一つ、折り入ってお願いが―――――」
「お菓子の味見なら、あたしはパスよ。毎週付き合わされて、鎧にお腹が入らなくなったら困るもん。」
「そんな殺生な! 姉様に断られたら、我輩はどうすれば―――――」
「泣き落とそうったって、そうは行かないわよ。・・・ったく、演技は本当に上手いんだから、あなたって。」
「ちっ・・・お見通しでしたか。」

心底落胆した様子で肩を落としてみせていたララは、姉の台詞を耳にするや一転、ふてぶてしい
態度になると舌打ちをした。そこへ、ジト目のエクルが追い討ちをかける。

「大体ねえ、何なのそのフリフリのエプロンは。知ってるのよ? この前採用された新人の子に、
あなたがホの字だってのは。・・・どうせ今日だって、この後“差し入れ”にかこつけて、その格好で
営舎に行くつもりなんでしょ?」
「あ・・・姉様! 何故そのことを!?」
「あ、やっぱりそうだったの。なるほど、そのための“新作”ってわけね。・・・やれやれ、道理で朝早く
から一人で起き出してるワケだ。」
「かっ、鎌をかけるとは!! 姉様、それはあまりに―――――」
「言っておくけど。これ以上あたしに味見の話をしつこく頼んだら、このことを宮廷中に言いふらす
からね。他を当たんなさい。」
「くっ・・・! 我輩としたことが、よりによって姉様に弱みを握られてしまうとは・・・!!」

顔を赤くしたり青くしたりしていたララは、エクルの“最後通牒”に唇を噛んで項垂れた。どうやら、
今度は演技ではなくて本心からの所作のようである。
二人のいる食堂を、沈黙が支配する。そ知らぬ顔で紅茶を啜るエクルを恨みがましい目つきで睨み、
ララは渋々といった様子で途中になっていた裏漉しを再開した。しばらくして、溜息混じりに呟いたのは
ララの方だった。

「こんな時に、アステル様がいらっしゃれば・・・こんなことで悩む必要もありませんのになあ。」
「まあねえ。あの子も、甘いものには目がないから。あれでどうしてちっとも太らないのか、一度訊いて
みたいわね。」
「それは、全くの同感ですな。アステル様が宮廷で竜術士になられていれば、こんなことには・・・む?」
「どうしたの?」

自らの言葉の途中から、眉を寄せて考える様子だったララは、ややあってぱっと顔を輝かせた。

「我輩、良い事を思い出しましたぞ! ふふ・・・何もアステル様にお出で願わなくても、すぐ傍に
“最終兵器”とでも言うべき方がいらっしゃるではありませぬか!」
「最終兵器? 一体誰よ。」
「それは、すぐに分かります。姉様も、一肌脱いでもらいますぞ!」
「?」

きょとんとした表情のエクルに向かって、意味深な表情で頷くララ。その顔に浮かべられた笑みは、
木竜もかくや・・・という不穏なものだった。


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