クチビルノスルコトハ  1   

クチビルノスルコトハ


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ロトルアの首都、エアリス。晴れて火竜術士イフロフの妻となったフィナの家はその郊外にあった。

「はーい!」

玄関の扉をノックする音に、台所に立っていたフィナはエプロンで手を拭くとそちらへ向かった。
今日は彼女の誕生日。普段はコーセルテルで多忙な毎日を送っている夫も、この日ばかりは欠かさず
彼女の許を訪れてくれるとあって、フィナは毎年この日を待ち侘びているのだった。

「遅かったわね・・・あら?」

弾んだ声を上げ、玄関の扉を開ける。茜色に染まった空をバックに佇んでいたのは、夫である
イフロフではなく、赤い髪をした青年だった。青年はフィナの顔を見ると白い歯を見せて笑い、手に
していた真紅のバラの花束を差し出した。

「おう、久しぶり! 誕生日おめっとさん!」
「まあ、ウルじゃないの!」

火竜のウルは、イフロフの師匠に当たる先代の火竜術士の補佐竜だった。今は里に戻っているはず
だったが、何かある度にこうしてフィナの許を訪れてくる。フィナも、このさっぱりした性格の火竜の
ことが決して嫌いではなかった。
玄関の扉を閉め、ウルを居間へと招き入れる。手渡された花束を眺めていたフィナが、改めて感嘆の
声を上げた。

「それにしても・・・すごい花束ね。どうしたのこれ?」
「いや、コーセルテル時代の知り合いにちょっと、な。どうせ、イフロフにゃこんな気の利いたことは
できねえだろうと思ってよ。・・・差し出がましいマネをしちまって、悪かったか?」
「いいえ、確かにそれはあなたの言う通り! 結婚してからこの方、まともに花を贈ってもらったこと
なんてなかった気がするもの。」
「そうか。ならよかったぜ。」
「ええ、ありがとう! じゃあ、早速花瓶に・・・」
「おっと待った。それも持ってきたぜ。」

にやりと笑ったウルは、部屋に持ち込んだ荷物の一つを開いた。中から出てきたのは、見事な彫刻が
施された大きなガラスの花瓶。至るところにふんだんに色ガラスが使われたそれは、人間の手では
とても作り出せないものであるのは一目瞭然だった。市場に出せば、どれだけの値がつくだろうか。

「こいつは、オレが作ったんだ。これが、まあオレからのプレゼントってワケさ。」
「まあ、ウルったら。嬉しいわ!」
「それと、ほい。これもオマケだ。」

フィナに抱き付かれたウルは、照れながらももう一つの包みを開けてみせた。

「これは・・・お酒?」
「おう。イフロフから、あんたが結構いける口だって聞いてよ。火竜の里特産の火酒なんだ。」
「まあ、夕食が楽しみね。」

手渡された酒瓶を手に、フィナは台所へと戻っていく。その後から台所へと足を踏み入れたウルは、
テーブルの上に所狭しと並べられた料理の数々に目を丸くした。

「ひょー! こいつはすげえ。よし、一つ味見を・・・」
「あ、ダメよ! 食事は、イフロフが来てからって決めてあるんだから!」

フィナの制止も何のその、近くの皿に盛られていた唐揚げを摘み上げたウルは、瞬く間にそれを口に
入れてしまった。腰に手を当てているフィナに向かって、親指を立ててみせる。

「うめえ! うん、やっぱりフィナの料理は最高だぜ!」
「もう・・・しょうがないんだから!」

溜息をついたフィナは、仕方なさそうに笑うと料理を再開した。背後で摘み食いに余念のないウルに
向かって言う。

「それより、ウル・・・」
「ん? どした?」
「あなたも、里では大事な地位にいるんでしょう? 先代の補佐だったってイフロフに聞いたけど・・・
こんなにしょっちゅう外へ出て大丈夫なの?」
「ああ、そのことか。なあに、心配はいらねえさ・・・オレにだって、ちゃんと“休み”はあるんだからな。」
「そう。ならいいけど・・・」
「・・・・・・。」

火の通ったエビの炒め物を、手早く皿に盛り付ける。ふと、フィナは背後からの視線を感じて
振り向いた。

「なあに? あたしの背中に、何かついてるの?」
「いや、別に・・・」
「・・・?」

ウルの視線は、主にフィナの腰から下に向けられていた。相手の意図するものに気付いたフィナは、
いたずらっぽく笑った。

(・・・ああ、そっか)

「・・・残念だけど、それはまだ先よ。」
「あ・・・なんだ、わかっちまったか。」
「ええ、そんなにじろじろ見られてたら、誰でもわかるわよ! あ・・・ひょっとして、あなたがこっちへよく
顔を出してる理由って・・・!」
「まあな。里じゃ、みんな期待してるしよ・・・ああ、もちろんオレが来たいから来てるんだぜ、勘違い
しねえでくれよな。」

少し慌てた素振りで手を振ったウルは、改めて料理の置かれた台所のテーブルにもたれかかった。

「・・・で? 理由とか・・・なにかあんのか? もしかして、イフロフとあんまりうまくいってねえとか・・・」
「違うわよ! もう、変な勘ぐりはしないで。」
「おう、悪い悪い。」

持っていたお玉でウルを叩く素振りをするフィナ。その表情が、不意にしんみりしたものに変わる。

「実はね、・・・なかなか踏ん切りがつかなくて・・・。」
「踏ん切り?」
「ええ。もし、子供ができたら・・・しばらくはこの家を離れられなくなるでしょう。行商にも当分は出られ
なくなるし・・・」
「まあ、そりゃな。」
「何より・・・イフロフに会えなくなる。それが、怖いのよ。」

僅かに俯いていたフィナは、ここで目を上げた。

「あなただって知ってるでしょう? 竜術士が自らのことを明かせる相手は一人だけ。イフロフに
とってのその一人はあたしだから・・・子供ができたら、おいそれとここに来ることもできなくなるで
しょう?」
「あー・・・そういや、そうだったな。」
「いずれ、子供は欲しいと思ってる。でも、今は・・・もう少し、好きにさせてもらえないかしら?」
「・・・わーったよ。別に、オレたちがどうこう言えることじゃねえし。」

フィナに正面から見つめられ、ウルは頭を掻くと困ったように横を向いた。そんなウルに向かって、
今度はフィナがにやにや笑いを浮かべた。

「ところで・・・」
「ん? なんだよ、そんな顔して。」
「人のことを言う前に、あなたはどうなの、ウル。結婚だってまだなんでしょう?」
「んなっ・・・! かっ・・・関係ねえだろ!」
「あなたなら、相手はいくらでも探せるでしょうに。そっちこそ、里の人たちを早く安心させてあげたら
どうなの。」
「う・・・うるっせーな! いいだろ、人の勝手だろ!!」
「ふふ、照れちゃって・・・かわいいんだ。」
「!!!!」

エプロンを外して壁にかけると、フィナは顔を真っ赤にしたウルを置き去りにして台所を出ていった。
慌ててその後を追うウル。
既に、外はとっぷりと暮れている。窓から外を眺めていたウルが、誰にともなく呟いた。

「にしてもよ、イフロフのやつ・・・遅えなあ。」
「そうね。・・・ふふ、どうせまたどこかで迷ってるのよ。」
「だろうなあ。・・・でもよ、あんたの誕生日は今日なんだろ? 今日中にここに来れなきゃ、祝いの
意味がねえじゃねえか。」
「まあ、それもそうだけど。いいのよ、あたしはイフロフがここに来てくれるだけで幸せなんだから。」
「けっ。見せ付けてくれるじゃねえか・・・ごちそーさん。」
「そう拗ねないの! せっかくだし、持ってきてくれたお酒でも飲んで待ってましょう? 何かつまみも
出すから。」
「お、それもそうだな! おし、そうするか。」

フィナの言葉に機嫌を直したウルは、いそいそとグラスを取りに台所に向かったのだった。


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