クチビルノスルコトハ
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夜は、何事もなく更けていく。結局、夜半を過ぎてもイフロフは現れなかった。
次第に、フィナとの会話も途絶えがちになった。二人だけの居間に、置時計が時を刻む音だけが大きく
響く。
(・・・ったく、イフロフのやつ! どこで何してやがるんだよ!!)
結局、イフロフはフィナの誕生日に間に合わなかったのだ。ああは言っていたものの、やはりフィナの
横顔は寂しそうだった。
そんなフィナの様子を見ていられない気分になったウルは、手元のグラスの中身を呷るとフィナに
向き直り、やおら口を開いた。
「なあ、フィナ。」
「・・・何?」
「その・・・」
「・・・?」
顔を上げたフィナと、目が合った。その瞬間、ウルは思わずこんな言葉を口にしてしまっていた。
「オレと・・・来ないか?」
「ウル! いきなり、何を言い出すかと思えば・・・」
「竜が人と一緒になっちゃいけねえってことはねえんだぜ? 昔から、よくあったことさ。・・・あんたが
その気になってくれさえすりゃいいんだ!」
オレは、一体何を言っているんだ。大体、フィナはイフロフと結婚している身の上じゃねえか。そりゃ
確かにイフロフなんかよりよっぽど火竜らしい性格してるけど・・・ってオイ! なんでオレはこんなこと
・・・そうだ、これは火酒の酔いのせいだ。そうに違いない。
自分の言葉に戸惑いを感じながらも、引っ込みのつかなくなったウルはフィナを睨み付けるようにして
捲くし立てた。口をぽかんと開けてその様子を眺めていたフィナは、やがて小さく肩を竦めると静かな
口調でウルをたしなめた。
「あなたにも、分かっているはずよ。あたしには、火竜術士の素質はないのよ?」
「んなことは関係ねえ! どこか遠くで、二人っきりでよ・・・!!」
「ねえ、ウル。今の世の中で・・・里やコーセルテルの他に、竜が暮らしていける場所がどこにあるの?
でも、術士になれない人間はコーセルテルにはいられないし・・・里なら、それは尚更でしょう。
・・・無茶を言わないの。」
「ちぇっ。そうかよ!!」
当然の反応だった。もちろん、全て分かった上で言ったのだ。
それでも、何か口惜しかった。舌打ちをしたウルは、僅かに滲んだ悔し涙を隠すためにそっぽを
向いた。
「あーあ・・・オレは結構本気だったってのによ!」
「そう? ありがとう。ふふ、モテて悪い気はしないわね。」
「あのなあ! オレは、真面目に・・・」
声を荒げたウルがフィナの方を振り向いたその刹那、不意にその唇に柔らかいものが触れた。
(な・・・!?)
ウルが事態を把握するのには、しばらくの時間が必要だった。自分でも、たちまち顔が真っ赤になって
いくのが分かる。
「え・・・っと、あ・・・おい! フィナ!!」
「今のは、あたしの誕生日に遅刻したイフロフへの罰!」
フィナがいたずらっぽく笑ったとき、家の扉がノックされるのが聞こえた。ぱたぱたとフィナは玄関へと
駆けていき、やがてその嬉しそうな声が居間にも響いてきた。
「イフロフ! 待ちくたびれたわよ!!」
「すまん・・・遅くなった。」
「もう、日が変わっちゃったじゃないの!」
頭を掻きながら居間に入ってきたイフロフは、そこで意外な人物を目にして驚いた表情を浮かべた。
「ウル。来てたのか・・・。」
「ああ。誰かさんより半日も前にな! どーすんだよ・・・これじゃせっかくの誕生日が台無しだろう!!」
「ああ、それについては本当にすまないと思っている。」
ウルにも律儀に頭を下げたイフロフが、おやという顔をした。まじまじと顔を見られ、ウルは慌てて
そっぽを向いた。
「・・・どうした? 顔が赤いようだが。・・・熱でもあるのか?」
「うっ・・・うるせーな! あんたがあんまり遅えもんだから、飲み過ぎちまったんだよ!!」
「さあ、遅くなったけど・・・みんな揃ったんだし、食事にしましょうか! ウル、料理を温めるのを
手伝ってね!」
後から居間に入ってきたフィナが、明るい声でこう言いながら片目をつぶった。フィナの前に立っていた
イフロフは、それには気付かない。
「おう、任せとけ!!」
フィナの後に続いて台所へと向かいながら、ウルは口を乱暴に拭った。しかしその顔には、抑え
切れない笑みが浮かんでいたのだった。
はしがき
このお題を目にした瞬間思い浮かんだのがこれ。問題は「誰と誰にどんな状況でしてもらうか」という
ことだったのでした。ま、浮気はいけませんよね(邪笑)。