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宮殿の四隅には、主に執務が行われる大広間や、竜術士であるユーニスとその子竜たちの居室
などがある二階へと繋がる階段が設えられていた。そのうちの一つの手摺の端に、ヒューは力なく
もたれかかっていた。
あれから、もう一週間である。グレーシスに宥められて何となく納得したような気にはなったが、結局
その後もユーニスは自分に対して何も言ってくれないままだった。
それどころか、今週に入ってからはユーニスと会うことすら難しくなっていた。確実に顔を合わせる
ことのできる風竜術の授業も、終わるや否や暇を告げられてしまったし、宮殿内を探しても、どこに
行っているのかその姿を見ることはほとんどなかった。・・・こうなるともう疑心暗鬼で、実はユーニスが
自分と顔を合わせることすら避けているのではないかという気がしてくる。
(ふん・・・もう、好きにしてくれ・・・)
「ヒュー!」
「・・・?」
不意に頭上から聞こえたユーニスの声に、ヒューは僅かに顔を上げた。踊り場の方を見やったヒューの
瞳に映ったのは、珍しく満面の笑みを浮かべたユーニスの姿だった。
弾むような足取りで階段を下りながら、ユーニスは手にしたものを翳してみせた。
「見てくれ! ほら、新しい杖ができたんだ!」
「杖・・・? ・・・ああ、いつも軽過ぎるってぼやいてたあれか。」
「そうだ。ここの所、毎日午後はこれのために時間を割いていたからな! うむ・・・やはり、これくらい
重い方がしっくり来るな。」
「そうか・・・」
これで、ここのところユーニスの姿が宮殿内に見当たらなかった理由は分かった。しかし、それが
何だというのだ。どうせ、自分がユーニスに避けられていることには変わりないのだ。
小さく溜息をついたヒューは、そのまま肩を落とすと床に敷かれた絨毯に目をやった。そんなヒューに
向かって、杖を片手にしたユーニスが階段を下りてくる気配がする。
(どうせまた・・・離れて立つんだろ)
「どうした、ヒュー。・・・気分でも悪いのか?」
「いや、別に・・・」
物憂げに顔を上げたヒューは、自分の顔のすぐ横にユーニスの顔があるのに気付いて目を大きく
見開いた。そんなヒューの様子を、ユーニスは不思議そうな顔で眺めている。
(あれ・・・?)
しばらく間近で見ることがなかったせいか、こうやってすぐ傍にしたユーニスの顔は非常に新鮮で、また
魅力的だった。思わず顔を赤らめたヒューの様子に、ユーニスが眉を寄せる。
「おい、ヒュー。お前・・・やはり、この間から何か変だぞ。どうしたんだ。」
「変だって・・・そりゃ、そもそもそっちのせいじゃないか!」
「何だと? どういう意味だ。」
一体、誰のせいでこう鬱々と思い悩む日々を送る羽目になったと思っているのだ。それだけに、こう
あっけらかんと訊かれると非常に腹が立つ。・・・目を三角にしたヒューは、腰に手を当てると
ユーニスを睨み付けた。
「気付かなかったとは言わせないぞ! ・・・おまえ、いつもオレが近付くと一歩離れて立ってた
じゃないか! どうせ、オレのことを避けてたんだろ!!」
「いや、あれは・・・」
「あれは!? 何なんだよ!!」
「・・・・・・。お前に言うのは悪いと思って黙っていたのだがな。」
「?」
ユーニスは残った二段の階段を下り、首を傾げたヒューのすぐ隣に降り立った。
「ヒュー。・・・私の顔を見て、何か感じないか。」
「何って・・・別に。」
「やはりな。多分、気付いていないだろうと思っていたのだ。」
小さく溜息をついたユーニスは、改めてヒューの目を正面から見据えた。
「お前と私には、優に一リンク半は背丈に差がある。・・・こうやってすぐ隣に立つと、話をする時に私は
完全にお前の顔を見上げることになるだろう。」
「あ・・・」
「しかし、この体勢は私にとって少々難儀なものなのだ。時間が経つと、首が凝って痛くなってくる。
だから、話をする時に私はお前から少し離れた位置に立つようにしていたのだ。」
「まさか、昨日パルムと話していたことって・・・」
「そうだ。このことを相談していたのだ。・・・もっとも、パルムにも名案は出せなかったようだがな。
だが、お前に対して“背が高いのが悪い”と言っても何の解決にもならんし・・・」
「そう、だったのか・・・」
「お前を傷付けないようにこのことを伝えるには、どうしたらいいのかと色々と考えていたのだが・・・
どうやら、要らぬ心配をさせてしまったようだな。・・・済まん。」
「・・・いや。いいんだ。」
自分は、別にユーニスに避けられていたわけではなかった。そして、ユーニスは自分のために悩んで
くれていた。・・・そのことが分かっただけで、ヒューは今まで自分の心に垂れ込めていた暗雲が綺麗
さっぱり消え去っていくのを感じていた。
急に晴れ晴れとした表情になったヒューの傍らで、ユーニスは歯切れの悪い調子で言葉を継いだ。
「そ・・・それにな。・・・背丈が違うということは、話す時以外にも、色々と不便が出てくるものだし・・・
な。」
「は?」
ここで、赤くなったユーニスは珍しく口ごもった。
「その・・・。・・・く、口付けをする時にな・・・」
「口付け? ・・・ああ、キスのことか。」
「私とお前位身長に差があるとな、・・・完全に私がお前の首にぶら下がるような格好になってしまうでは
ないか!」
「はあ・・・まあ、そうなるか。でも、いいじゃないか。おまえ、腕力はあるんだし・・・」
「そういう問題ではない!! ・・・詩情がぶち壊しだと、私はそう言っているのだ!!」
そっぽを向き、赤い顔のままぼそぼそと喋っていたユーニスは、ここでヒューを大声で怒鳴りつけた。
口をぽかんと開けてそれを聞いていたヒューは、次の瞬間にやりと笑うとユーニスの顔を覗き込んだ。
「つまり、アレだ。オレとおまえの顔の高さが一緒なら、何の問題もないんだな?」
「そっ・・・そうだ! だが、こればかりはどうしようも・・・」
「簡単なことさ。こうすればいいんだ。」
「? ヒュー、何を・・・」
言いかけたユーニスの体が、次の瞬間ふわりと宙に浮いた。ヒューが、ユーニスの体を横抱きに抱え
上げたのだ。
一瞬呆気に取られていたユーニスは、我に返るとたちまち顔を真っ赤にした。そのまま、じたばたと
暴れ始める。
「おい、ヒュー! いきなり、何をする!!」
「何って・・・おまえがオレの首にぶら下がらなくてもいいように、顔の位置を上げたんじゃないか。」
「ぶら下がるって・・・まさか!!」
「そうだ、そのまさかだよ。ほら、いい加減観念してこっち向けよ。」
「おっ、おまっ・・・こ、こんなところでか!?」
「別にいいだろ、誰も見てないって。」
「しかしだな・・・!!」
「固いこと言うなよ。最近とんとご無沙汰だったじゃないか。ホレ、目ぇ閉じて・・・」
「・・・・・・。」
真っ赤になったまま、それでもユーニスは大人しく目を閉じた。
二人の顔が近付き、まさにその唇が触れ合わんとした時―――――
「はい、そこまで。」
『!?』
不意に声をかけられて、二人は跳び上がった。慌てて踊り場の方に目をやった二人の前に、
グレーシスがゆっくりと階段を下りてくる。
「白昼堂々とは・・・お二人とも度胸がありますね。」
「いやっ、そのっ・・・あのな、グレーシス。これは、ヒューに言われて仕方なく・・・」
「おいユーニス! おまえ、全部オレのせいにする気か!?」
「うううるさい! 強引に迫ったのは、お・・・お前の方だろうが!!」
「なんだとお!?」
しどろもどろになったユーニスが言い訳を始め、ユーニスを抱きかかえたままヒューがそれに食って
かかる。こうして始まった“痴話喧嘩”を、グレーシスはやんわりと遮った。
「お静かに。・・・デュラック様が、先程こちらの方ににいらしていたはずですよ。」
「げ。・・・あいつか。」
「この前も、あなたの格好について延々一時間やりあったそうじゃないですか。こんな所を見られたら、
それこそ一日正座で膝詰めのお説教をされることになるのではないですか?」
「・・・・・・。」
その名を聞いて、ヒューとユーニスは思わず苦い顔になった。

デュラックとは、ユーニスの地竜術の教師を務めている地竜の長老の名前だった。この宮殿内の
図書室の管理をしているのも彼であり、何かあるごとに資料を求めて図書室に足を運んでいる
ユーニスは、ついこの間も「大勢の子竜を伴っての入室は控えるように」という苦言をデュラックから
呈されたばかりだった。
また、礼節を重んじ、伝統を守ることが最も重要だと考えているデュラックは、当然のことながら全てに
おいて型破りなヒューとは犬猿の仲だった。顔を合わせるたびに何だかんだと口論が絶えず、二人が
口角泡を飛ばして罵り合う様は、子竜を抱えて歩き回るユーニスと並んで既に宮殿の日常風景に
なってしまっている。
「ですから・・・」
ここで、グレーシスはげんなりした様子の二人に向かってにっこりと微笑んだ。
「続きは外でどうぞ。私は、何も見なかったことにします。」
「お・・・珍しいじゃないか。どういう風の吹き回しだ?」
「別に、他意はありませんよ。」
「こらっ、グレーシス!! 無責任にこいつを煽るんじゃない!! ・・・ヒュー、お前もだぁっ!!
どさくさに紛れて、一体何を・・・」
「んじゃな、グレーシス。恩に着るぜ!」
「はい。ごゆっくりどうぞ。」
「離せ、こらっ、下ろせってば!! ヒュー!!!!」
階段の傍らにある扉から、ヒューはユーニスを抱きかかえたまま庭園へと飛び出していった。真っ赤に
なったユーニスの怒鳴り声が、少しずつ小さくなっていく。
(・・・・・・)
開け放たれたままになっていた扉に歩み寄ると、グレーシスはそれをゆっくりと閉じた。そして、傍らに
転がったままになっていたユーニスの新しい杖を拾い上げる。
ずっしりと重い杖を握り締め、二階への階段をゆっくりと上りながら・・・目を閉じたグレーシスは心の
中で呟いたのだった。
(ユーニス・・・。どうか、お幸せに・・・)
はしがき
グレーシスとヒューのイラストを描いていただくために、二人の設定をリンさんにお送りしたんですが、
その際「ユーニスとヒューの身長差が30cmもあると色々と大変そうですよね」という話題が出まして。
興が乗ったので、新しくできた設定を盛り込みつつ一本の話にしてみました(ちなみに、今回一番
書きたかったのはヒューとグレーシスの漫才です(大笑))。
やれやれ、この『PURE AGAIN』のシリーズも、どうやら行くところまで行くようです(邪笑)。
BGM:『DANS SA CHAMBRE』(T-SQUARE)