のんびり  1   

のんびり


 −1−

土竜の月も半ばを過ぎ、竜都ロアノークは本格的な春を迎えようとしていた。
朝からぽかぽか陽気に恵まれたこの日、竜王の竜術士ユーニスは宮殿の庭園の片隅にいた。小さな
せせらぎの畔、程よい大きさの木の下に陣取ってのんびりと本を読む。これが、ここ最近のユーニス
お気に入りの休日の過ごし方なのである。

「ふぁ・・・」

小さく欠伸を漏らしたユーニスは、目を瞬くと再び本に目をやった。快晴の青空から降り注ぐ陽の光が、
木漏れ日となってユーニスの全身に落ちかかる。

木陰のユーニス(リンさん作画)

竜術の教育係として知り合った風竜のヒューとユーニスが、周囲の反対を押し切って結婚したのは
今から四年前。そのヒューが初代の風竜王アイザックとして即位したのは三年前の、やはり春のこと
だった。
今まで種族間の持ち回りで務められていた竜たちの「まとめ役」を、正式に“王”という形で認めることに
なったのだ。そして、これを機に、どちらかと言うと今までは単なる「寄り合い所帯」に近かった真竜族の
国フェスタを、きちんとした「国家」としてまとめ上げるための法整備が同時に進められることになった。
絶大な力を持ち、さしたる外敵も存在しないために、有史以来存亡の危機とは無縁だった真竜族たち。
そのためか彼らの「国家」というものに対する意識は薄く、設けられていた各種の行政機関は意外にも
名誉職に近いお粗末なものだった。このような背景から、ともすれば今までの慣例や個人の裁量に
委ねられがちだった行政や司法の各部門の体制を改めるに当たっては、ユーニスの北大陸における
知識や経験が役立つことになった。

そして、何より“竜術士”の問題があった。
ユーニスを竜術士として受け入れたことで、真竜族は人間族に自らの子孫を委ねる道を選んだことに
なる。これからは、国から正式に認められた竜術士たちが各種族の子竜たちの教育に当たることに
なるわけだが、真竜族の正確な姿が人間族に伝わっていない現在・・・南大陸を訪れる人間族はごく
僅かだった。ユーニスのように北大陸に身の置き所を失くした者、あるいは船の難破によって南大陸に
流れ着いた者。これだけではあまりにも数が少な過ぎるため、効率のいい人材獲得のための手段を
考える必要があったのである。
また、いざその候補が見付かった場合、相手が悪意を持って送り込まれた諜者や刺客でないことを
確かめる必要もあった。候補者が多人数に上った場合に、竜術士になるための教育をどう施すか。
竜術士たちの身分や生活はどこまで保障するべきなのか、罪を犯した場合の対処は、真竜族との
婚姻は。・・・全ては前例のないこと尽くしであり、毎晩のようにユーニスは各種族の長たちの
話し合いに引っ張り出されることになった。その甲斐あってか、新たに定められた「竜術士法」の下で
竜術士は順調にその数を増やしつつあり、それに伴って国内に根強く残っていた人間族に対する
反発の声も小さくなっている。

もちろん、ユーニスにはこうした国家建設と並ぶ大切な仕事があった。言うまでもなく、初の竜術士
―――――ヒューが竜王となってからは、その呼称は“竜王の竜術士”へと改められた―――――
として預かった七人の子竜たちを育てることである。
自らも共に竜術を学びながら、機会を見付けては子竜たちに復習を兼ねて術の手解きをする。同時に
人生の先輩として、今までに得た様々な知識や経験・・・そこから導き出された教訓を折に触れて
子竜たちに話して聞かせ、後は子竜たち自身に物事を考えさせ、行動させる。これが、ユーニス流の
「子育て」の方針だった。
しかし、竜王の補佐役としての公務とこうした子育てを両立するのはただでも難しく、ましてや種族も
性格も様々な子竜たちを御していくのは大変な苦労だった。特に最年長の風竜エリカはやんちゃ
盛りで、連日二番竜の火竜ミリオと三番竜の木竜アルルを従えてのいたずらに余念がない。なまじ
術力が身に付いてきただけに、これが宮廷に騒ぎを引き起こすこともしばしばで、ユーニスは四番竜の
地竜ヴィスタと共にその対処に苦心する毎日だった。

そんな目の回るような日々も、竜王の即位と新法の施行から三年が過ぎた最近になって、ようやく
落ち着いたものになりつつあった。
ユーニスの夫となったヒューは、結婚後からできる範囲で“子守り”を引き受けてくれるようになった。
その習慣は、初代の風竜王として即位し、公務に追われるようになった今になっても変わらない。
お蔭でユーニスは、週に一度はこうしてゆっくりと本を読む時間を手に入れることができるように
なったのだった。
宮殿には、膨大な蔵書を収めた書庫があった。代々地竜族が管理してきたというこの書庫には、有史
以前からの真竜族の歴史、宮廷における各種の記録に混じって詩集や画集、辞典や図鑑・・・そして
あらゆる分野に及ぶ物語を記した書物が収められており、本と言えば軍学に関するものくらいしか
読んだことのなかったユーニスにとって宝の山だった。
週末になると朝からいそいそと書庫に向かい、気になった本を何冊か借りて天気が良い日はそのまま
庭園に向かう。雨や雪の日、自室で紅茶を片手に読む本もなかなか乙なものだが、人生の多くの
時間を屋外の戦陣で過ごしてきたユーニスとしては、やはり自然に抱かれている方が落ち着いた。
この日、ユーニスが膝の上に広げていたのは一冊の旅行記だった。今から凡そ二百年前に書かれ、
著者である風竜の名前を取ってシルクス旅行記と題されたそのシリーズは計四十冊を数える大作で
あり、南大陸各地の風物を軽妙な文章と豊富な挿絵で紹介したものである。
竜術士になってからこの方、ユーニスは多忙のために未だ南方の各地域に足を延ばすことが
できないでいた。その代わりにユーニスは、勉強を兼ねてこの旅行記を読みながら、まだ見ぬ
南の地に思いを馳せるのであった。

(熱帯魚・・・か。一度、自分の目で見てみたいものだ・・・)

夫や子竜たちの声に耳を傾けながら、ゆったりとした普段着で木陰に座り、のんびりと時を過ごす。
零れる木漏れ日に、暖かな春の風。どこからか、微かな花の香りが運ばれてくる。
南大陸・・・真竜族の国であるフェスタを訪れてから、息つく暇もない日々を過ごしてきたユーニスに
とって、この読書のひとときは心から幸せだと感じられる時間なのだった。

(・・・・・・)

日頃の疲れもあったのだろう。柔らかな春の微風に眠りを誘われたユーニスは、いつしか本を膝に
置いたまま眠り込んでいた。


のんびり(2)へ