不死  1   

不死


 −1−

「父上。本日は、折り入って伺いたき儀がございます。」
「・・・・・・。」

コーセルテル中央湖。夕刻、いつものようにその畔を訪れていた地竜のガウスは、相手の言葉に目を
細めた。

「他でもありません。我が母上は、何処におられるのですか。」
「・・・誰に、そのようなことを?」
「湖畔に住まう、木の精霊たちに聞きました。全ての生きとし生けるものには、必ず父や母がいるの
だと。そしてそれは、我ら精霊も例外ではないのだと。」
「・・・・・・。残念だが、そなたの母はもうここには居らぬ。」
「では、何処に。何処に行けば、会えるのですか。」

ガウスの視線の先・・・茜色に染まった湖面の上には、きちんと正座をした小さな人影があった。
水精ライナリュート。先代の中央湖の守護精霊であるアルファライラから、ガウスが託された二代目の
守護精霊である。
そのライナリュートが、真剣そのものの表情で言葉を継ぐ。

「誤解しないでいただきたい。・・・我は何も、父上に何か不満があってこのようなことを申し上げて
いるのではありません。」
「・・・・・・。」
「父上と我に血の繋がりが無いことは、誰にでも一目で知れること。・・・無論、我はそのことを気に
病んでいるわけではありません。諺にも“生みの親より育ての親”とある通り、我をここまで育てて
くださった父上には感謝しておりますし、心からの尊敬を抱いております。」
「・・・・・・。」
「しかし、そのことと母上のことはまた別なのです。子が、本当の親と会いたいと思うのは、自然なこと
ではないのですか?」
「・・・・・・。」
「父上! どうか、お答えください!」

途中から、相手の言葉を聞くとはなしに夕日に煌く湖面に目をやっていたガウスは、やがてゆっくりと
その視線をライナリュートへと戻した。

「そうだな。良い機会かも知れぬ。・・・そなたに、母のことを話す時が来たようだ。」
「では・・・。」

ガウスの言葉に、居住まいを正すライナリュート。僅かに視線を下げたガウスが、ぽつりぽつりと話し
始める。

「そなたの母と初めて会ったのは・・・この場所だった。私は、イリュアス様の使いとしてここを訪れた
のだ。」
「イリュアス? ・・・初めて聞く名ですが。」
「当時は、トレント様と名乗られていたな。トレント様とそなたの母上は長年の友人で、よくお二人で
この湖畔で過ごされていたものだった。」
「・・・・・・。では、そのトレントという方が、我の本当の父上だと?」
「そうではない。」

ライナリュートの言葉に、ガウスは小さく首を振った。

「今から、三月ほど前のことになるか。当代の竜王陛下が倒れられ、トレント様は急ぎ竜都ロアノークに
戻られることになった。・・・新たな竜王、水竜王イリュアスとして即位するためにな。」
「しかし・・・それでは!」
「そうだ。そなたの母は、この地を離れることはできぬ。・・・恐らく、トレント様も悩まれたに違いない。
そして私が、代わりにそなたの母に会うことになったのだ。」
「・・・・・・。」
「そなたの母は、果断であったな。トレント様が遠くロアノークに去られたと知るや、全てを擲って自らも
その後を追った。そう・・・そなたをここに残してな。」
「そのような、ことが・・・」
「司る地を離れた精霊の末路は、そなたも存じておろう。・・・そなたの母は、もうどこにも居らぬのだ。」
「・・・・・・。」

唇を噛み締め、項垂れるライナリュート。
辺りに重苦しい沈黙が立ち込める。しばらくして、再び口を開いたのはガウスの方だった。

「これも良い機会だ。そなたにここで、もう一つ申し渡しておこう。」
「父上・・・?」
「私は、直にここを去ることになる。竜都ロアノークに、戻るためにだ。」
「そんな! 父上は、我を捨てると・・・こう申されるのですか!?」
「勘違いをして貰っては困る。」

思わず立ち上がりかけた相手を、ガウスは冷たく見下ろした。

「そもそも私は、トレント様に従ってロアノークに戻る予定であった。それが、トレント様の後見として
この地に派遣された私の務めだからだ。それを今まで延ばしてきたのは、そなたの母との約束が
あったればこそ。」
「その・・・約束とは!?」
「そなたが一人前の精霊として、独り立ち出来るまで見守るということだ。そしてそれは今、恙無く
果たされたと私は思っている。」
「・・・・・・。」
「ここからは、父の最後の言葉として聞いて貰いたい。」
「・・・はい。何なりと、お申し付けください。」
「命あるものに、近付いてはならぬ。」
「は・・・?」

父の意外な言葉に、ライナリュートは小さく首を傾げる仕草をした。
既に日は沈み、その残照のみが湖面を赤く染めている。彼方のクランガ山に目をやりながら、ガウスは
ゆっくりと言葉を継いだ。

「そなたは、悠久の時を過ごすことのできる守護精霊だ。そなたから見れば、長寿を誇る私たち竜も、
また木々の精霊の一生でさえも・・・水面に浮かぶ泡沫に等しく映るであろう。未だ生まれて間もない
そなたには実感が湧かぬかも知れぬが、いずれ身に沁みる時が来よう。」
「・・・はい。」
「命とは、即ち死である。生きるということは、いずれ死ぬということに他ならぬ。どのように深く理解
し合えたとしても、どのように深く愛し合えたとしても・・・その相手は、間違いなくそなたを遺して
この世を去ることになる。それは私も、決して例外ではない。」
「父上・・・。」
「良いか。友は、慎重に選ぶのだ。決して、安易に命ある者たちに近付いてはならぬ。・・・私は、
そなたの為を思って言っている。」
「しかし・・・。それは、あまりに―――――」

確かに、父の言葉には一理あるものだった。しかしそれは同時に、生まれて間もないライナリュートに
とって、これから始まる長い長い一生において、恒久の孤独を強いるものでもあった。
拳を握り締め、その半ばで言葉を詰まらせた愛娘に向かって、ガウスは小さく頷いてみせた。厳しい
表情は相変わらずだったが、その瞳にはどこかいたずらっぽい光がある。

「そうだな。こうは申しても、そなたにとっては難しい話かも知れぬな。まあ、致し方ない。どうしても、
抑えられぬと思ったときは―――――」

次の瞬間、ガウスはライナリュートが生まれてからこの方ついぞ見せたことのない、爽やかな笑みを
浮かべた。

「そなたの全てを、傾けるが良い。そなたの、母のようにな・・・。」

いつしか、宵闇に包み込まれた岸辺。菫色に染まった夜空を背景に、親娘は長い間黙って向かい
合っていた。

「言うべきことは、言った。」
「はい。我も、しかと胸に刻み込みました。」
「そうか、それで良い。・・・さらばだ、我が娘よ。」
「父上も、ご健勝であられますよう。常にこの地より、お祈り申し上げております。」
「うむ。私がこの地を訪れることは、恐らくもうあるまい。・・・コーセルテルを頼んだぞ。」
「ははっ。」

去っていくガウスの後姿に向かって、ライナリュートが深々と頭を下げた。
ガウスが竜王の補佐官として、ロアノークの宮廷に復帰したのは翌年の春のこと。そして自身の言葉
通り、彼がコーセルテルに足を踏み入れることは、その人生を通じて二度となかったのだった。


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