そばにいて
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最初に気付いたのは、仄かな香りだった。
甘く優しい、花の香り。懐かしい、水と土の香り。・・・少しずつ、意識が戻ってくる。
(ここ、は・・・)
「気が付いたのか。」
「!」
薄目を開けたエレに、枕元から声が掛けられた。
視線だけを向ける。ベッドの傍らの椅子に腰掛けていたのは、当代の木竜術士だった。
「カ・・・ディオ・・・?」
「ああ、無理に喋らん方がいい。なんたって、相手の剣が胸を貫通したんだからな。もう少し剣先が右に寄っていたら、あんたは死んでたぞ。」
「・・・・・・。」
「まったく、悪運だけは強いんだなあんたは・・・。」
いつもの皮肉な笑いを浮かべ、憎まれ口を叩くカディオ。だが、その瞳に宿る光はあくまで優しい。
微笑み返そうとして、エレは顔をしかめた。体中が強張ったようになってしまって、思うように動かない。
「何か、欲しいものはあるか?」
「・・・・・・。水、を・・・」
「よし、分かった。ほら・・・ゆっくりと飲むんだぞ。」
「ありが、とう・・・」
震える手で、受け取ったコップ。しばらくの間、その中身を飲むでもなくぼんやりと眺めるだけだったエレの様子に、カディオが首を傾げた。
「どうした。飲まないのか?」
「リリックは・・・どうしてるの?」
「!」
本当は、尋ねるのが怖かった。
最後に言葉を交わしたとき、リリックは瀕死の重傷だった。戦いの際に自分を庇い、右腕と右目を失ったのだ。生きているのが不思議―――――そんな状態のリリックに別れを告げ、自分は敵の許に向かったのだ。
自分がこうして目覚めるまでにも、恐らく長い時間が経っているはずだ。その間に訪れたかも知れない、最悪の結末。・・・内心恐れ戦きながら相手の言葉を待っていたエレの耳に届いたものは、意外にも小さな笑い声だった。
「・・・?」
「どうやら、ランバルスの勝ちみたいだな。」
「それは・・・どういう意味?」
「ああ、悪い。実は、ランバルスと賭けをしてたんだ。」
小さく肩を竦めたカディオが、首を傾げたエレに向かって笑いかけた。
「てっきり、戦いのことを真っ先に訊くだろうと思ってたんだがな・・・。くそ、これも“年の功”ってやつなのか。」
「じゃあ―――――」
「ああ。リリックは、元気にしてるよ。あんたが目を覚ましたら、好物を食べさせるんだって・・・毎日左手でオムレツを焼く練習をしてるんだそうだ。いい加減飽きたって、クララがぶつぶつ言ってたぞ。」
「そう・・・。」
「その水も、奴さんのお手製だ。安心して飲んでやれ。」
「・・・・・・。」
口に含んだ水は、懐かしい味がした。少しずつ飲み込むと、体に滲み込んでいくような気がする。知らないうちに涙が滲んだが、それを拭おうとは思わなかった。
「戦いは・・・どうなったの?」
「俺とあんたが、こうしてのんびり話をしてられることからも分かるだろ? “本気”を出した竜術士たちの力で、奴らは瞬く間に撃退されたのさ。」
「撃退・・・。全員、とどめを・・・?」
「あんたが、護衛の実戦部隊をなで斬りにしただろ。指揮をしていた精霊術士は、責任をとって俺が始末をした。・・・結局、生き残ったのは一人だけだった。」
「その、一人は―――――」
「心配するな、コーセルテルのどこかをうろついてる、なんてことはないさ。今、奴さんは地竜術士の家にいる。・・・ランバルスの体を張った説得で、剣を捨てることにしたそうだ。」
「片付いたのね。何も、かも・・・」
「そうさ。これでまた、平穏な日々が戻ってくる。」
その言葉とは裏腹に、カディオの表情は曇ったままだった。もしかしたら、竜術士の中で最も大きな“傷”を負った自分のことを思いやってくれたのかも知れない。
(ありがとう、カディオ・・・)
心の中で呟き、先を促す。
「他に、怪我を・・・した人は?」
「ランバルスが、古傷をやられてな。ほら、昔遺跡が崩れて、両足が岩の下敷きになったことがあったろ? 今回も足を斬られてな、幸いにもまだ繋がってはいるが・・・もう杖なしじゃ歩けないだろうな。」
「いいじゃない。・・・ランバルスには、立派な“杖”があるんだし・・・」
「まあな。当の本人は、複雑な顔をしてたがな。」
苦笑いするカディオ。つられてエレも、くすっと笑った。
ランバルスの補佐竜であるユイシィが、ランバルスの放浪癖に辟易しているというのは、周知の事実だった。これで名実共にランバルスは地竜術士家に“隠居”することになるわけだ。
「他には・・・怪我ってわけじゃないんだが、マシェルが寝込んでる。同化術を三日間遣い続けたせいなんだが・・・ほら、マシェルはあんな性格だからな。一度決めたら、他人の言うことなんて聞きやしない。」
「大丈夫なの?」
「命に別条はないさ。ただ、極度に消耗しているから・・・普段通りの生活ができるようになるまでは、しばらくかかるだろうな。」
「そう・・・。」
「今回のことでは、随分と思うところがあったらしい。リリックの見舞いに来たときもな、自分のせいでこんな目に遭ったって、えらい落ち込んでたな。」
「・・・・・・。」
マシェル・ミリュウの兄弟は、コーセルテル育ちで外界のことをほとんど知らない。こうして外界からの害意ある侵入者が現れても、善意の対話路線を最後まで強硬に主張し続けたのはマシェルだった。これは、本人なりの“けじめ”のつもりなのかも知れない。
頷きながら話を聞いていたエレが、ここでふとカディオに目をやった。
「カディオ・・・あなたは?」
「俺? 俺は別に―――――」
「怪我のことじゃ、ないわ。」
「ああ・・・」
頷いたカディオが、少し遠い眼をした。
「これで、すっきりしたよ。・・・奴とは術士になったころからの腐れ縁だったんだが、考えはことごとく正反対だったからな。」
「・・・・・・。本当に、良かったの?」
「実を言うとな、一度じっくりと話をしてみたかった気もしているんだがな。・・・もしかしたら、新しい世界が―――――」
カディオがここまで言いかけたときだ。部屋の入口の方から、遠慮がちなノックの音がした。
「どうやら、地竜術士家の居候君が来たようだ。」
「居候? さっきの・・・一人生き残ったっていう?」
「そうだ。目を覚ましたら詫びたいって、こうして毎日この時間に訪ねてくるのさ。」
「・・・・・・。」
「どうする。会うか?」
話の途中から考える様子だったエレが、カディオに向かって手を差し伸べる。
「カディオ、起こしてくれる?」
「ああ・・・大丈夫か。」
「ええ。」
「そうか。・・・いいぞ、入れよ。」
カディオの声に、部屋のドアが開く。入ってきたのは、金髪碧眼の青年だった。
まだ若い。マシェルと同じか、一つ二つ上くらいだろう。
その相手が、ベッドの上に身を起こしていたエレを前に、安堵の表情を浮かべた。
「目覚められましたか。・・・良かった。」
「あなたは?」
「はい。私はキール、此度の調査隊に護衛として加わっていた者です。」
ここまで言った青年・・・キールが、その場に膝をついた。
「此度は、誠に申し訳ないことを致しました。いかに戦の中とは言え、貴方の大事な補佐竜を、私は斬ってしまいました。」
「・・・・・・。」
「無論、何らかの罰を受けるつもりでおります。貴方の気の済むよう、この身をいかようにして下さっても結構です。その覚悟は、して参りました。」
「そうやって、お詫び行脚をすれば、あなたは満足・・・?」
「は・・・?」
「顔を上げなさいッ!!」
裂帛の気合を込めた言葉に、部屋のガラス窓がビリビリと震える。驚いて顔を上げたキールを、エレが正面から睨み付ける。
「あなたが本当に贖罪を考えているのなら、他にすることがあるはずでしょう! いくらあなたに詫びてもらったところで、失われた命は戻ってこない。死んだ幻獣人の家族も、ランバルスも・・・そして私も、あなたの謝罪なんて望んではいません!」
「ですが・・・」
「本当は、あなたを八つ裂きにしても飽き足らない。しかし、あなたは生かされた。ならば、一日も早く立派な竜術士になって、その生を竜たちのために奉げなさい!!」
「は・・・はいッ!」
「これ以上、言うことはありません! 一人前の竜術士になるまで、私の前に顔を見せないで!!」
「はッ! 今のお言葉、肝に銘じます!」
蒼白な顔で深く頭を下げたキールが、部屋を出ていく。ドアが閉まり、家からその気配が消えた瞬間、エレは大きくむせ返った。口を押さえた掌には、赤い血の色がある。
「まったく、無茶をするなあんたも。・・・今ので、傷が開いたかも知れないぞ。」
「・・・・・・。」
「まあでも、あんたにあそこまで言われれば、他の奴らももう何も言えないだろうがな。これは、あんたなりの優しさってやつなのかな。」
再びベッドに倒れ込み、ぜいぜいと荒い息をつく。その様子を眺めていたカディオが、改まった様子で口を開いた。
「そうだな。折角だから、あんたにだけは俺の“本音”を言っておこうか。」
「・・・?」
「くれぐれも、怒らないで聞いてくれよ。」
枕元の椅子に腰を下ろし、カディオはエレに向き直った。
「俺は、今回・・・こうしてコーセルテルが危機に瀕して、実は良かったと思ってる。もちろん、怪我人や死人が出たことは残念だし、それが良かったとは、口が裂けても言う気はない。しかしな・・・平和にどっぷり浸かって、危機感まで失うのはいただけないからな。」
「・・・・・・。」
「他人を無条件で信じるってのは、素晴らしいことだ。だがな、竜や俺たち竜術士が置かれている状況は、それを許さないということも知ってもらいたかった。これで、興味本位で外の世界に出ていこうって奴はいなくなるだろうし、子竜を連れ出そうって話もなくなるだろうさ。」
「・・・・・・。」
「人間ってのは、本当に怖いもんだ。それが本当の意味で分かっているのは、実際に戦場に立ったことのある俺とあんた、そしてメリアくらいなんだろうな。・・・これで、全員が思い知っただろうよ。」
「カディオ・・・。あなた、怖い人ね・・・。」
「まあな。今のは、二人だけの秘密だぜ?」
にっと笑ったカディオが、ここで座っていた椅子から立ち上がると、エレと部屋のドアを等分に見ながら言った。
「悪いな、目を覚ましたばかりのところに長居して。俺は、居間に行ってるからな。何かあったら呼んでくれ。」
「あ・・・」
「ん?」
「ねえ、カディオ。できれば、もう少しだけ・・・傍にいてくれる?」
「ほう、どういう風の吹きまわしだ?」
「別に・・・」
微笑んだエレが、目を閉じる。その手をそっと握ると、カディオは再び椅子に腰を下ろした。それは、二人の間の蟠りが消えた瞬間だった。
「分かった。俺はもうしばらく、ここにいることにするよ。だから、安心して休んでくれ。」
「ええ・・・。ありがとう・・・」
瞼の裏に浮かぶのは、自分を待つ子竜たちの笑顔。
クララ、ラティ、ティルク・・・そして、リリック。・・・これで、彼らを泣かせないで済むだろう。
(私も、生かされた―――――)
やらなければならないことは、まだまだたくさんある。そして自分には、その機会が再び与えられた。もう、焦ることはない。
(・・・・・・)
少しずつ、意識が遠くなる。
こうしてエレは、心地よいまどろみに身を任せたのだった。
はしがき
合同誌『コーセルテルの音楽会7』に寄稿した短編の一つです。『HAZY MOON』で語られた竜狩り集団「コーセルテル調査隊」の撃退直後を描いた話で、ここから「戦後」のコーセルテルの物語がスタートすることになります。
「あのころ」では意味深なエレとカディオの“その後”が描かれていますが、そのきっかけはこの会話だったんですね(笑)。