恋心  1   

恋心


 −1−

ロアノークの宮廷には、「朝礼の儀」と呼ばれるしきたりがある。宮廷に出仕してきた百官が毎朝、
竜王の間に集合して仕事始めの挨拶を交わすのだ。
今しも、朝礼の儀を済ませて竜王の間から出てきた宮廷記録官の地竜ヴィスタは、廊下に出たところで
声をかけられて振り向いた。

「おーい、ヴィスタ!」
「・・・ミリオ。もう、子供ではないのだから、宮殿の廊下を走るなとあれほど・・・」
「あいつは? あいつはどこだ!?」
「あいつ・・・? ・・・ああ。」

立ち止まったヴィスタの許へと駆け寄ってきたのは、長兄である火竜のミリオだった。その手には
愛用の木剣がしっかりと握られている。
一瞬訝しげに眉を上げたヴィスタだったが、木剣を目にしてすぐに兄の問いの意味を察したらしい。
軽く頷き、背後の竜王の間の方を覗く。

「残念ね。一足遅かったみたい。」
「ウソだろ!? 今朝礼が終わったばっかじゃねえか!」
「さっきまでは、確かに陛下の隣にいたのだけど。まだここにはいづらいのかしらね・・・朝礼の儀が
終わると、すぐに姿を消してしまうのよ。」

“あいつ”とはもちろん、二代目の竜王の竜術士となったセリエのことである。
ただ、竜王アイザックに乞われて竜術士となったものの、当初は暗殺者としてロアノークにやってきた
彼女のことを未だに良く思っていない廷臣も多い。それに、いくら資質があるとは言え竜術もまだまだ
勉強途中。ユーニスの死後、長年に亘って竜王の竜術士が空席だったこともあり、今の宮廷には
竜王の竜術士の早期の復帰を望む切実な声は少ないのだった。

「ちっ・・・。じゃあよ、あいつの行きそうな場所に心当たりはねえか?」
「心当たりって・・・。多分、庭園のどこかにいるのは間違いないと思うけど。」
「やっぱそうか。ちくしょう、ここにアルルのヤツがいりゃなあ!」
「どこかの族長様とは違って、アルルは気軽に里を出るわけにはいかないものね。でも、あの
“森影流”には暗竜術や光竜術じゃ役に立たないし・・・。」

セリエの遣う“森影流”と呼ばれる独特の武術には、自分の気配を周囲の自然に隠してしまうという
効果があった。本人がその気になれば、暗竜・光竜両術による探索も用を成さないのだ。そんな
彼女の居所を探し当てるのに一番有効な手段は、実は木竜術なのだった。

「それじゃ、パルムにでも頼んだら? 侍医長なんだから、間違いなく宮廷には詰めてると思うけど。」
「よしてくれ。あの“交換条件”のことを考えるとぞっとする。」
「・・・・・・。」

ヴィスタの提案に、珍しくミリオはにべもなく首を振った。
宮廷の侍医長である木竜パルムは、先代の竜王の竜術士ユーニスの一番の親友だった。もちろん、
木竜に違わぬいたずら好きな性格の持ち主であり、周囲の者は油断すると彼女の開発した“新薬”の
実験台にされることがままあった。
それはユーニスの育てた子竜たちも決して例外ではなかった。きっとミリオにも、そうした苦い記憶が
あるのだろう。

「それじゃ、仕方ないわね。大人しく諦めるか・・・そうだ、居室の前で待っていればどう? 子竜たちは
部屋にいるんだし、そのうち戻ってくると思うけど。」
「それも、前にやった。」
「?」
「あいつの預かってる子竜・・・ほら、なんつったっけか・・・」
「今は三人だったわね。確か、上からグレンにソウガ、スイランと言ったかしら。」
「そうそう、そいつらがさ。」

そのときのことを思い出したのだろうか。セリエの預かる子竜たちの名前を聞いたミリオは、たちまち
苦虫を噛み潰したような顔になった。
竜王の竜術士となったセリエには、現在火竜・水竜・木竜族から計三人の子竜が預けられていた。
近々風竜・光竜族からも子竜が預けられることになっており、いずれはユーニスと同じように七種族
から子竜を預かることになるはずだった。
しかし、彼女の出自に不信感を抱いている残りの二種族・・・特に地竜族からは、決して小さくない
反発の声が上がっていた。ヴィスタ自身、里に対しては日々説得を続けていたが、円満な解決には
もうしばらくかかりそうな塩梅だった。

「オレが部屋に行ったらさ、スイランのヤツが『あね上に何かごようですか』と来たもんだ。まだ、尻尾も
残ってる子竜の言葉とは思えねえだろ?」
「まあ!」
「挙句の果てによ、正直に剣の勝負しに来たって言ったら、『かわりにわれらがお相手つかまつります』
とか抜かしやがってさ。それからはもう大変だった。」
「そうだったの。・・・それで、三人の剣の腕の方は?」
「いや、てんでなってねえ。けどさ、んなガキんちょどもに本気出してケガさせてもまずいだろ?
そのうち、適当にあしらうのも面倒になってさ、逃げ出してきちまったんだよ。」
「ふうん・・・。」
「ったくあいつもさ、子竜にどんな教育してるんだよ。」

肩を竦めたミリオは、木剣を肩に担ぐと呆れた様子でぼやいた。

(適当にあしらうのが面倒・・・ね。セリエも同じことを考えてるって、どうして気付かないのかしら)

アルバ帝国お抱えの暗殺者として数知れぬ修羅場をくぐってきたセリエと、いくらユーニスに剣を直伝
されたとは言え、所詮“趣味”の範疇でしか剣を扱ったことのないミリオとでは、その腕に天と地ほどの
差があるのは当然だった。
セリエは常に真剣を持ち歩いており、それこそ何かの拍子で相手に“ケガ”をさせては大変なことに
なる。木剣で殴られてタンコブができるのとは訳が違うのだ。
それに、いくら同意の上での勝負とは言え、やはり火竜族の族長を“返り討ち”にしてしまうのは
いかにもまずい。そのことを考え、セリエはミリオの扱いに苦労していた。そのことを知っている
ヴィスタは、心の中で苦笑いしたのだった。

「それにしても、ミリオ・・・あなたも懲りないわね。あまりにしつこいからって、この前あんな目に
遭ったのに・・・」
「ああ、上着切り刻まれた話か? ヘッ、アレくらいじゃオレはへこたれねえぜ!」
「でもね、仮にも火竜族の族長が三日と置かず宮廷に来るのはどうかと思うのよ。しょっちゅう族長が
里を空けていたら、色々と不都合も出てくると思うのだけど・・・。」
「そうかな?」
「ええ。これじゃまるで・・・あの人に恋でもしているようよ?」
「なっ・・・!?」

あくまで真面目な顔でヴィスタにこう言われ、ミリオは顔を真っ赤にすると首をぶんぶんと振った。

「バッ・・・バカなこと言うなよ! そっそそ・・・そんなこと、あるワケねえだろう!?」
「そうかしら?」
「そうだよ!! 前に言ったことあるだろ、オレの好みはもっとムネもケツもでけえ女だって!!
あんなペチャパイのガキには興味―――――」


―――――ずだん。

「ひっ!?」

ミリオが途中まで言いかけたときだ。庭園の方から飛来した短剣が、首筋を掠めて背後の壁に突き
刺さった。あと十分の一リンクも内側に寄っていれば、間違いなく致命傷になっていただろう。
慌てて首筋を押さえたミリオの顔色が、たちまちのうちに真っ青に変わる。その視線の先、庭園に
通じる小さな階段には、件の“ペチャパイのガキ”が短剣を握り締めて立っていたからだ。その瞳に
今やはっきりと殺意が宿っていることは、傍目にも明らかだった。

「人の噂は・・・もう少し小さな声でするものだ。そうだろう・・・ミリオ?」
「あっ・・・ああ、い、いい今のは冗談だ! オレがおまえのことをペチャパイだなんて、思って
ねえ! 思ってねえからな!!」

「そうだ・・・先程から私との勝負を所望していたな。いいだろう・・・思う存分相手をしてやるぞ・・・?」
「いやっ、やっぱあれはナシ! 今度、また改めて・・・」

先程までの威勢はどこへやら、すっかり及び腰になったミリオはセリエを宥めようと必死になっていた。
そんなミリオに向かって、顔を真っ赤にしたセリエが吼える。

「黙れ! 今度は全裸に剥いてやる!! 覚悟しろこのクソガキ!!」
「わっ・・・悪かった! オレが悪かった!! だから、やめてくれっ!!」
「聞く耳持たん!! くたばれこのボケナスがぁ!!」
「う・・・うわあああぁぁぁ!!!」

セリエは完全に逆上していた。普段は冷静な印象の彼女だが、こうして一旦火が付いてしまうと、
本人の気が済むまで誰もセリエを止めることはできないのだ。
もちろん、竜術を遣えば話は別だ。しかし、そもそも今回の騒動はミリオ自身が招いたものである。
この様子だと他の者に害が及ぶこともないだろうし、何よりミリオにとっていい薬になるだろう。
小さく溜息をついたヴィスタは、踵を返すと仕事場である書庫の方へと歩き出した。ややあって、その
背後からミリオのあられもない悲鳴が響き渡る。

(本当に・・・二人とも子供なんだから!)


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