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「師匠。・・・師匠、起きてください。」
「・・・んあー? おー、ジークかよ・・・」
「私以外に誰がいるんですか。」

居間のソファーで昼寝の真っ最中だった地竜術士のリュディアは、自らの補佐竜であるジークリートの
声に起き上がった。大きく伸びをしているところへ、折りたたまれた紙片が差し出される。

「はい、師匠。こちらを見てもらえますか?」
「・・・んだよこれは。」
「学院の通知表です。本日で、二年生の夏学期も終了ということになりましたから。」
「通知表だあ? ・・・ったく、人がせっかくいい気持ちで寝てたってのに・・・」
「昼寝をなさりたいのでしたら、寝室でなさってください。そもそも、いい歳の女性がお腹を丸出しで
うたた寝をするなど・・・」
「あーはいはい、アタシが悪かったって。」

欠伸を一つしたリュディアは、手を振ってジークリートの小言を終わらせた。ソファーの上に胡坐を
掻き、手渡された通知表にざっと目を通す。

「・・・にしてもよ。」
「何でしょうか?」
「お前の通知表って、ほんとつまんねえのな。見渡す限り“優”ばっかりでよ・・・」
「・・・それは、責められるべきことですか?」
「いや、別に悪いワケはねえけど・・・お?」

面倒臭そうに通知表を斜め読みしていたリュディアは、ここで身を乗り出した。

「おいジーク、美術が“可”じゃねえか! どうしたんだこれ。」
「・・・・・・。」
「へええ・・・“優”じゃねえ科目もあるじゃねえか。知らなかったな・・・お前、絵とか苦手なのか?」

意外そうに首を傾げるリュディア。一方のジークリートは、苦虫を三十六匹ほど噛み潰したような顔で
そっぽを向いたままである。
・・・事の真相はこうだった。


  *


学院のカリキュラムでは、午後は様々な実技の授業に当てられることになっていた。
一口に「実技」と言っても、その内容は体育から音楽・美術・技術、果ては各科目の実験の類まで実に
様々だった。学年毎に指定された分野の科目について、一年に亘って学ぶのである。
そして、二年生になったジークリートたちに課された実技の一つに「美術」があったのだった。
その日・・・美術室に入ったところで、ジークリートは凍り付いた。

「ジーク、どうしたの?」

ジークの後を歩いていたテラが、その肩越しに教室を覗き込む。
理由は明白だった。
春に始まった美術の授業。まずは通常の鉛筆、次に色鉛筆を使ったグラデーションの練習から始め、
前回までが鉛筆を使った精密画という課題だった。今日からは、水彩絵の具を使った静物画を描く
ことになっていた。
静物画といえば果物が付き物である。そう、美術室内に車座に配置された椅子の真ん中にある
台座には、大きな果物籠が置かれていたのだ。中にはリンゴやミカン、ブドウにバナナといった定番の
果物が入っている。
ジークリートにとって酷なことに、それらは全て本物だった。果物の甘い香りが美術室に立ち込める
中、ジークリートはよろめきながら椅子に着くことになった。

やがて、美術担当の教師である光竜が姿を見せ、鉛筆による写生が始まった。だが、ジークリートは
果物籠を食い入るように見つめているだけで、その手はほとんど動いていなかった。

「ジーク、よだれ!」
「あっ・・・ああ。」

隣に座っていたテラに小声で注意され、ジークリートは慌てて服の袖で口を拭った。だが、その間も
目は相変わらず果物籠に釘付けになったままである。
そんなジークリートの手元を後ろから覗き込み、教師のパーシスが小首を傾げた。

「ジークリート君・・・今日は調子悪いの?」
「ああ、いえ・・・そのようなことは。」
「ならいいけど。珍しく、筆が進んでないようだったし。」

眉を寄せて何かを思い悩む様子だったジークリートは、しばらくして勢いよく椅子から立ち上がった。
そして、今度はルクレティアの手元を覗き込んでアドバイスをしていたパーシスに向かってつかつかと
歩み寄った。

「先生、一つ提案があるのですが。」
「あら、何かしら?」
「せっかく果物の絵を描くのです。もっと、様々な種類の物を揃えた方が静物画の勉強になるのでは
ないでしょうか。」
「・・・というと?」
「やはり、スイカやメロンは外せないところでしょう。他にはカキ、それにモモやナシなども・・・」

何事かと注目するクラスメートたちの前で、ジークリートは憑かれたように果物の名前を挙げていった。
顔を上げたパーシスは、それを聞いて思わず苦笑した。

「ジークリート君、無茶を言わないでちょうだい。・・・大体、どこでそれを手に入れるつもりなの?」
「学院の農場では、こうしたものを作る実験をしているのではないですか? それならば・・・」
「確かにそうかもしれないけど。・・・まずは、そこにあるものをちゃんと描いてから考えることに
しましょう。」
「あ・・・先生!」

肩を竦め、パーシスはその場を立ち去った。手を差し伸べた状態で固まったジークリートは、その
背後でエルフィートとアルフェリアがこっそり顔を見合わせていたのには気付かなかった。

そして、次の美術の授業の日。
美術室に入ったところで、ジークリートは再び立ち竦むことになった。手にしていた筆箱や画板が床に
落ち、中身が辺りに散らばる。
果物籠は、見事に倍以上のボリュームになっていた。既に籠には納まり切らず、溢れ出た果物が
台座の上に所狭しと並べられている。

「いやー、ジークの言うことももっともだと思ってさ。」
「ジークの言ってた果物は、全部作ってきたのよ。あまり時間がなくて、大変だったんだから。」

先に美術室に来ていた木竜兄妹が、盛大な邪笑を浮かべながら言う。だが、この時のジークリートの
耳には、既にいかなる声も入らなくなっていた。
・・・結局、ジークリートの“静物画”が仕上がらなかったのは言うまでもない。


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