Genocide 1     

Genocide


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城壁の上からは、敵陣の様子がよく見えた。
甲冑に身を固め、思い思いの武器を携えた男たち。そして、その支援に回るのであろう魔法使いらしき姿もちらほらと見える。
相手が陣取っているのは、城から僅か数百メートルの所だった。まさに「指呼の間」と呼ぶのに相応しい近さであり、本来であれば完全に自殺行為とも取れる間合いである。それだけ、自分たちは相手にとって取るに足らない敵に成り下がってしまった、ということなのだろう。

城壁の上には、二つの人影があった。
一つは、まだ年端もいかない少女である。燃えるような赤い髪を金のリボンでまとめ、赤と黒を基調としたドレスをまとっている。手にしている大鎌は、身長の二倍ほどはあるだろうか。切れ味の鋭そうな刃が、ギラギラと輝く太陽の光を時折キラリと反射させる。
尖った耳に、小さな唇から覗く牙。漆黒の翼、そして鏃型の尾。典型的な魔族の出で立ちである。


「奴ら、攻めてくるだろうか。」
「おいおい・・・分かり切ったことを訊くのは、お前さんの悪い癖だぜ。」

深紅の瞳で敵陣を見つめていた少女が、不意に呟く。揶揄するような言葉を投げかけたのは、少女の傍らにあった、もう一つの人影だった。
身長は三メートルにはなるだろうか。全身を漆黒の体毛に覆われた相手は、まるで熊のような外見を具えていた。こちらは、紛うことなきティタン族である。

「成程、今のは失言であった。・・・では、質問を変えよう。奴らは何故、こんな所までわざわざ攻め込んできておるのだ? 魔王様と勇者めの一騎討ちが行われておるのだ。その結果を待ち、我等共々従うのが筋ではないか。」
「問題はそこだな。・・・仮にだぜ、勇者が負けた場合は?」
「・・・成程な。力に物を言わせ、どうあっても我等を葬り去るつもりなのか。」

少女の目が、不快そうにすっと細められる。その瞳には、激しい怒りと共にどこかやるせなさが垣間見えた。
何故、こんなことになってしまったのか。その背景には、パンヤ島で「魔族」が辿ってきた、辛く悲しい現実があった。

古来パンヤ島には、大まかに分けて四つの種族が暮らしていた。
島のほとんどの部分を支配する、人間族。今ではほとんど“島民の代表”としての位置付けであるマシュナ族も、元は異界からの移住者がその祖先ということになるらしい。
元来パンヤ島に住んでいた、獣人族。ティタン族のようにほぼ獣の姿を留めている種族もあれば、リベラ族のようにほとんど人間族と変わらない外見を具えた種族まで、その程度は様々である。
異界とパンヤ島との間を取り持つコロスクロノス族など、種々の妖精族。彼らは必要以上に他の種族と交わることはないために、未だに謎が多いのだという。
そして、強大な力を誇る魔王を頂点とする、魔族。
魔族は本来、パンヤ島の地下世界に当たる「ディープ・インフェルノ」・・・通称“魔界”と呼ばれる一帯に住んでいた。その名の通り、あらゆる生を拒む灼熱の暗黒世界である。その世界で飽くなき争いを何千年にも亘って繰り返してきたのが、魔族と呼ばれる種族だった。

転機が訪れたのが、今からおよそ二十年ほど前のこと。地上世界では“地獄への梯子”と呼ばれていた巨大な火山の噴火口を通って、魔界から地上へと出る術が見出されたのである。
パンヤ島の優しく穏やかな風物は、連綿と続く暗黒世界での殺し合いを経験してきた魔族たちにとって、とても魅力的に映ったのだろう。魔族たちは争って地上に移住し、こうして四つの種族による共同生活が始まったのだ。
しかし、この“平和”も長くは続かなかった。
急激な民族の移住は、周囲との間で無用な軋轢が起きやすい。ましてや、その移住者が地上世界の常識を知らない魔族とあっては、摩擦は可能性ではなく必然であった。
元々、魔族は強大な魔力と長い寿命を誇る種族だった。その魔力は人間族の魔法使いのそれを遥かに凌ぎ、また持ち合わせている膂力も人間族のそれとは比べ物にならない。しかも、その思考・・・独自の“倫理観”は、どうにも人間たちには理解しにくいものだった。
隣で暮らしていれば、ある日突然、一体何をされるか分からない。
恐怖と猜疑に駆られた人間たちの手によって、謂れのない迫害が始まるまでには、そう長い時間はかからなかった。魔族であるというだけで、一切の財産を没収され、住処を追われる魔族が続出することになったのだ。陰惨な事件が相次ぎ、パンヤ島は騒然とした雰囲気に包まれた。

見かねて立ち上がったのが、魔王であるカザルスだった。カザルスは島の各所に自らの魔力を用いた結界を張ると、そこに“魔素”と呼ばれる地下世界の大気を吹き込んだ。
魔素は魔族に力を与えるが、地上世界の生き物にとっては命を脅かす毒である。こうして危機を迎えたパンヤ島では、事態を打破しようと結集した魔法使いたちの叡智によって、生命力を凝縮させた神秘のボール「アズテック」と、それを扱うための「エアーナイト」が生み出され、やがて異界から現れた一人の“勇者”・・・アルテアの手によって、結界はことごとく浄化されることとなった。
浄化がなったパンヤ島では和平のための会合が開かれ、そこで人間族の決まりを守ることを条件に、魔族にも一定の権利を認める・・・という協定が各種族間で結ばれることとなった。
それから、僅か数年。かの勇者による挑戦により、魔王は遥かな地でのパンヤによる一騎討ちを強いられることになった。残された魔族たちの最後の拠り所・・・魔王城の前面に人間たちが姿を見せたのは、ほんの一時間前のことだった。

じっと敵陣を見つめていた少女が、ここでふっとその視線を外した。そのまま澄み切った青空を眺め、感心したように言う。

「蒼い空、か・・・。話には聞いていたが、改めて目にすると妙なものだな。」
「そうか。お前さんは、生まれてから魔界を出たことがないんだったな。」
「正確には、魔王様が件の会議にお出でになるときに、一度だけな。しかし、我が定めは魔王様の御身をお護りすることにある。他に目を向ける余裕はなかった。」
「はっはっは。お前さんらしいな、クーデリカ。」

相手の言葉に苦笑した少女・・・クーデリカが、真剣な面持ちになる。

「しかしな、グルーガルよ。何度も言うようだが、そなたは魔族ではない。助勢はかたじけないが、そなたをここに縛り付けておくのは、私の・・・いや、我等魔族の本意ではない。戻るなら、止めはせぬが。」
「また、その話か。・・・言ったろ? 俺は、魔王に惚れたんだよ。困っている同族を見過ごせない。会議の席で恥をかかされても、眉一つ動かさずにそれを受け入れた。今時、こんな絵に描いたようなまともな王が、一体どこにいるってんだ。・・・大体、結界の件だってそうだ。結局向こうには病人の一人も出なかったし、浄化された大地はすぐに元通りになったって言うじゃねえか。そうさ、もともとあいつは侵略をする気なんてこれっぽっちもなかったのさ。話を聞こうともしねえ人間どもを、同じテーブルにつかせたかった。ただそれだけのために、今後何百年も“憎むべき侵略を企んだ魔王”として後ろ指をさされるなんて、お前さんなら平然と耐えられるか? ・・・あいつは、カズはそういうヤツなんだよ。」
「だ・・・だがな! 同族であるティタン族は、人間の勇者側についたではないか。そなたの家族、親戚縁者もおろう。本当に良いのか? 後悔してからでは遅いのだぞ!?」
「お前こそ、何度も言わせるな。同族がなんだ、真実を知ろうともせずに一方的に魔族が悪だって決め付けやがって。俺はあのとき、同族を見限ったのさ。・・・これ以上は言わせるなよ。」
「承知した。・・・そなたの志、無駄にはせぬ。」
「だからな。そういうくそ真面目なところをだな―――――」

深々と頭を下げるクーデリカ。溜息をついたグルーガルがクーデリカに向き直ったとき、新たな人影が城壁の上に現れた。まだ若い女の、これも魔族である。

「クーちゃん隊長! 戦闘配備、整いましたッ!」

年の頃は、人間でいえば二十歳前だろうか。鳶色の腰まで流れる長髪に、同じ色の瞳。全身を黒系統のコートと帽子で固めた相手は、茶目っ気溢れる笑顔で芝居がかった敬礼をびしりと決めてみせた。

「ティラよ、その“クーちゃん”は止めろと、何度言えば分かるのだ。私にも立場がある・・・余人の前では慎むのだ。良いな?」
「えー。魔王様には、普通にクーって呼ばせてるじゃんか。何であたしはダメなのさ?」
「べ・・・別に呼ばせているわけではないッ! あッ、あれは、魔王様から賜った特別の名誉、というか・・・。貴様には、それが分からんのかッ!」
「ひゃー、赤くなっちゃってラブラブだねえ。はいはい分かりました、魔王様以外は呼んじゃダメと。部下にも言っとくから、心配ご無用! んじゃねッ!」
「こらッ待て! いい加減に―――――」

クーデリカに向かって盛大にあかんべえをしたティラが、傍らのグルーガルに向かって素早くウインクをした。そのまま来た時と同じ勢いで、階段を駆け下りていく。
思わず吹き出したグルーガルが、苦虫を噛み潰したような表情のクーデリカに声をかけた。

「はっはっは! あんな部下ばっかりじゃ、お前さんも大変だな。」
「全くだ。あ奴は、本来であれば魔王様の片腕が務まる実力の持ち主でな、あれが唯一玉に瑕なのだ。あれさえ直れば、実戦隊長からすぐにでも格上げしてやるところなのだが・・・。」
「実戦隊長? おいおい、あの細腕でか?」
「グルーガルよ。そなたはまだ、魔族の本当の力を分かっておらぬようだな。あ奴お気に入りのスパイクハンマーの目方は、恐らくそなたの体重とさして変わらぬぞ? 人間共の城の門など、一撃で木端微塵よ。」
「・・・・・・。」
「まあそれも、いつも通りの戦ができれば・・・の話なのだがな。」

ぞっとしない表情を浮かべるグルーガル。その傍らで、ふと笑みを消したクーデリカは、再び敵陣の方へと目をやった。
本来紅いはずの、魔界の空が蒼い。それは、取りも直さず一帯の魔素が完全に浄化されてしまっていることを意味する。
魔素は他の生物にとっては毒。それ以上に、魔族にとっては力の源となるものだ。力の源を奪われ、更に魔法で強化された相手と戦う。果たして、それがどれほど勝負に影響するか。それは、戦ってみないと分からない。

「人間共の結界というのも、大したものだな。我等をここまで追い詰めるとは・・・。」
「そうだな。まあ、お蔭で一応地上の住人である俺は、至って快適だけどな。」
「そうなるか。そなたの働き、期待しておる。」

にやりと笑うグルーガル。重々しく頷いたクーデリカは、ここで城壁の上にぴょんと跳び乗った。愛用の大鎌を天に向かって掲げ、腹の底から声を出す。

「聞け! 皆の者!!」
「おおっ、クーデリカ様だ!」
「いよっ隊長、待ってました!」

ざわめく城内。城の前面、城壁の周囲に配置された兵たちからの視線が集まる。ティラのふざけた掛け声を完全に無視すると、クーデリカは声を張り上げた。

「これから、人間共との戦が始まる。見ての通り、我等にとっては極めて困難な状況である! ここには、我等に残された戦力の全てが集められている。文字通り、最後の砦である! 我等がここで敗れるということは、即ち魔族の存在自体が否定されるということに他ならぬ!!」
『おおおおっ!!』

鎌が振られる。部下たちの喚声に、クーデリカは一段と大声を上げた。

「魔王様は我等の為に、遥かな決戦の地で、人間の勇者めと戦っておられる。必ず、勝って戻られるはずだ! 我等は、それを信じてこの城を何としても守り抜くのだ! 勝って戻られる魔王様には、帰る場所が無くてはならぬのだ!!」
『うおおおおおおっ!!』
「怯える者は、去れ! 立ち尽くす者は、死ね!! 武器を、腕を失った者は、その牙で敵の喉笛に喰らい付くのだ!! 最後の一兵となるまで、この城は明け渡さぬぞ!!!」

地鳴りのような鯨波。クーデリカが今一度自慢の大鎌を振るのと、敵先鋒が動き出すのはほぼ同時だった。


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