Genocide    2   

 −2−

「来たか・・・。伝令兵!」
「はッ!」

きゅっと唇を結んだクーデリカの前に、ふわりと虚空から舞い降りた伝令兵が膝をつく。地上世界では“ガーゴイル”と呼ばれる、大きな翼を具えた魔族の一支族である。その飛翔能力を活かして、魔界では伝令や奇襲部隊としての任に携わることが多かった。

「ティラに命じる! 第一段から三段、前進して迎撃態勢! 第四段、五段はその後ろにつけ! 充分引き付けてから迎え撃つのだ! 決して、逸ってこちらから仕掛けてはならぬとな!」
「ははッ!」

命令を復唱した伝令兵が、城壁からひらりと飛び降りた。

「弓兵隊、相手が二百歩まで近付いたら射撃を開始! ありとあらゆる魔法を込めた矢を見舞ってやれ! 術部隊は、敵の魔法攻撃に備えた防御壁を構築! 隙を見て魔法攻撃をかけるのだ! くれぐれも、前線の兵を無駄死にさせてはならぬぞ!!」
「ははッ!」
「城の左右、及び後方への警戒を厳にせよ! 二人一組の斥候を絶やすな! 敵に奇襲の動きが見えた時は、間髪入れず知らせよ!」
「かしこまりました!」

クーデリカの号令一下、配下の兵が一斉に動き出した。城壁の上からその様子を見守っていたクーデリカに、背後からグルーガルが声をかけた。

「いやはや、大したもんだな。流石は、魔族の誇る近衛隊長殿だ。で、俺は何を?」
「出来れば、前線の援護を頼みたい。敵の結界の効果が、今一つ読み切れぬ・・・魔素の加護を受けずに戦える者が、やはり前線に欲しい。」
「いいだろう、引き受けたぜ。なあ、クーデリカ・・・」
「何だ?」
「お前さんと・・・いや、魔族と共に戦えることを、誇りに思うぜ。やっぱり、俺の選択は間違っちゃいなかったな。」
「そうか。・・・かたじけない。」

にやりと笑い、頷いたグルーガルが、愛用の戦斧を担ぐとのっしのっしと階段を下りていった。再び城壁の上に跳び乗ったクーデリカは、眼下の戦況をじっと見つめた。
敵軍は駆けるでもなく、また喚声を上げるでもなく、一定の速さでじりじりと近付いてくる。余裕を見せ付けようとの魂胆なのだろうが、それがどこか不気味に映る。途中から放たれ始めた援護の矢や魔法も、さして効果を挙げているようには見えない。それもそのはず、相手にも魔法による防御が存在するのだ。ここまでは、ほぼ双方の予想の範疇の展開のはずだ。
魔界軍の前線を固めるのは、ゴブリンと呼ばれる異形の魔族たちだった。魔界軍の肉弾戦を担当するのは彼らであり、それぞれが二メートルを超える強靭な肉体と並外れた怪力を誇る。何重にも引かれた防衛線を前線で指揮するのがティラであり、今はそこにグルーガルが加わった形になっている。
援護の体制も、万全が期されている。城壁の各所には弓を手にした妖魔族が陣取り、射程圏内に入った敵を各自が狙い撃ちしている。各城塔の上では、槍を携えたガーゴイルたちがクーデリカの突撃の合図を待ち、強大な魔力を誇る幻魔族は、城内で攻撃防御双方のための魔法の練り上げに余念がない。
十重二十重に引かれた防衛線に、そもそも要害である城を攻めるという悪条件。対峙する戦力は、総勢五百を超える魔族側に対し、人間側は僅か二百足らず。追い詰められた魔族たちは、まさに「背水の陣」を敷いており、士気も旺盛だ。数だけではなく、具える地力―――――その圧倒的な膂力や魔力を勘案すれば、万に一つも負ける恐れはない戦のはずだった。
しかし、クーデリカは一抹の不安を拭い去ることができないでいた。
仮にも、ここに攻め寄せたのは人間たちの最精鋭のはずだ。選び抜かれた精兵が、勝算もなしに無謀な突撃を行うことが、果たしてあるのだろうか。もしや、気付いた時には最早取り返しのつかないような、敵の仕掛けた罠があるのではないのか。

(・・・!)

武器の触れ合う音に、一瞬物思いに沈んでいたクーデリカはぱっとその目線を上げた。視線の先、城から五十歩ほどの原野では、城から打って出た魔界軍の前線部隊と、敵先鋒が激しくぶつかり合ったところだった。
戦況に目を凝らすクーデリカ。軽快な動きを見せているのは、先頭でスパイクハンマーを振り回しているティラと、自慢の戦斧を振るうグルーガルくらいだった。やはり、ゴブリン一般兵の動きが鈍い。
しばらくの間、前線の戦況はほぼ互角に見えた。その地力を考慮すると、それは人間にとって奇跡にも近いことだったろう。
実力が伯仲している兵同士の戦いは、傍から見ていると実に緩慢に映る。何十回と武器を合わせ、やがて力尽きた方がようやくのことで討ち取られるのだ。そこまで一時間以上かかることも珍しくなく、逆に言えば、前線での人的被害が続出するということは、それだけ両者に実力差があるということを意味する。
しかし、そうした均衡が保たれたのも、僅か半時間足らずのことでしかなかった。疲労が溜まり、動きが目立って落ち始めた魔界軍は、少しずつ敵に討ち取られ始めた。その間の敵の損害は、ほんの僅かだった。

(まずい・・・)

魔素の浄化は、思ったよりも魔族たちとって負担になっているようだ。しかし、それも無理のないことだった。どこか息苦しく、体が重い。まるで水の中で過ごしているような違和感を、クーデリカ自身も先程から感じていた。
どちらにせよ、この流れを放置すれば、このままずるずると押し込まれ、なし崩し的に敗北するのは目に見えていた。その“流れ”を、断ち切らねばならない。
意を決したクーデリカは、ひらりと城壁から飛び降りた。地を蹴ってそのまま最前線へと躍り出ると、自慢の大鎌を振るう。その鋭い太刀筋に、打ち込んできた人間が二人、たちまちのうちに真っ二つになった。

「はあッ!」

間髪入れず、三方向から襲い来る魔法の攻撃。瞬時に作り出した防壁でそれを完璧に撥ね返すと、次の瞬間クーデリカは自身の魔力を一気に解放した。クーデリカを囲むように詰め寄ってきていた敵兵が数人、あっという間に雷撃に打ちのめされ、黒焦げの死体となって転がった。

「我こそは、魔界軍近衛隊長クーデリカなり! 我こそはと思う者は、かかってくるが良い!」

朗々と名乗りを上げるクーデリカ。あまりの鮮やかさに、息を呑んだように動きを止めていた戦場が、再び動き出したのはこの時だった。有力な援軍を得た魔界軍は勇躍、雄叫びを上げて敵を押し返しにかかった。勢いを殺がれた格好の敵が、少しずつ後退していく。
不敵な表情を浮かべ、その様子を眺めていたクーデリカの腕が、ここで不意に引かれる。相手は、敵兵の返り血に塗れたグルーガルだった。そのグルーガルが、血相を変えてクーデリカに詰め寄る。

「何やってんだ!! まだ、総指揮官が出て来ていい場面じゃねえだろうが!!」
「何だと!? 私は、ただこの悪い流れを断ち切らんと―――――」
「そんなに敵を切り刻みたけりゃ、後で好きなだけやらせてやらあ! お前には、弓隊や魔法部隊の指揮もあんだろが! さっさと持ち場に帰れ!」
「しかしだな、グルーガル―――――」

なおもクーデリカが反駁しようとしたときだ。辺りを揺るがす轟音と、大きな揺れが一帯を襲った。

(なっ・・・何だ!?)

思わず戦いを止めた戦場の全員が、一斉に南の空を見やった。その視線の彼方・・・遥か南方に認められた、一条の光の柱。
やがて、人間たちがどっと歓声を上げた。仲間同士抱き合い、肩を叩き合っている者もいる。その様子に、事態を悟った魔族たちが顔色を変えるまでには、そう長くはかからなかった。

「クーデリカ! おい、クー! 魔王のことが心配だ。お前は城のゲートで、カズのところに行ってやれ!」
「魔王様の許に? しかし、私には・・・ここで皆の指揮を執るという―――――」
「馬鹿野郎! 今そんなこと言ってる場合か!!」

煮え切らないクーデリカに向かって、グルーガルがのしかかるようにして吼えた。
周囲では、再び押し込んできた敵に、魔界軍は防戦一方となっていた。
戦の前から誰もが抱いていたであろう、一抹の不安。それが現実のものとなったことは、先刻の敵の反応でも明らかだ。誰も彼もが激しい動揺を覚え、逆上寸前の状態なのだ。それは徐々に、戦線の崩壊という事態を招きつつあった。

「あーもう、こういうときにお前の頑固さは頭に来るぜ! ぶちのめしてゲートの中へ放り込んでやりてえよ!」
「な・・・何だとグルーガル、もう一度―――――」
「そうだよッ、この石頭隊長!」

グルーガルに向かい、食ってかかろうとするクーデリカ。その刹那、横合いから突っ込んできた敵兵が、巨大なスパイクハンマーの一撃で吹き飛ぶ。クーデリカを庇うようにして立ったティラが、ちらりと背後を振り返りながら言う。

「心配しなくても、人間の二百人ばかし、あたしたちが綺麗に片付けてみせるよッ! さあ、行った行った! それとも、そんなにあたしたちが信用できないのかなー? んー?」
「その通りだ。どうしても俺たちの獲物を横取りするってんなら、今すぐここで相手になってやるぜ?」
「おー、気が合うねガルちゃん! 戦が終わったら、一緒に酒でも飲もう!」

疲労を色濃く滲ませながらも、いつもの軽口を叩くティラ。二人を交互に見たクーデリカは、一瞬泣きそうな表情を垣間見せた。

「済まぬ、二人とも。この場は預けさせてもらうぞ!」
「もちろんだ! 二人で、必ず戻って来いよな!」
「戦いが終わったら、クーちゃんにも酒に付き合ってもらうからね。覚悟しといてよッ!」
「ああ・・・必ずな!」

深く頭を下げたクーデリカは、次の瞬間身を翻していた。城壁を飛び越え、中庭に降り立つと城内最奥を目指して駆ける。
魔王城の内部には、外部へと繋がる転送ゲートがあった。今朝方城にやってきた勇者と魔王は、ここから決戦の地・・・遥か南の「シャイニングサンド」と呼ばれる地域へと転移していったのだ。

(魔王様・・・今、今参ります!)

大鎌をぐっと握り締め、ゲートを潜る。
最初に目に飛び込んできたのは、一面の砂。そして、その中程に倒れ伏している一つの人影だった。ここまでの出来事から、それが誰かは火を見るより明らかだった。

「まッ・・・魔王様ああああああぁぁぁぁ!!!」

大鎌をその場に投げ捨て、クーデリカは倒れていたカザルスに駆け寄った。つんのめるようにしてその場に膝をつくと、慌てて相手を抱き起こす。

「・・・・・・。クー・・・か。」

うっすらと目を開いたカザルスが、呟くようにして言う。溢れる涙を拭おうともせずに、クーデリカは何度も頷いた。

「はい! 魔王様の忠実なる僕、クーデリカはここにおります!」
「負けた・・・。完膚なきまでの、負けであった・・・。」
「そのような・・・。どうか、お気を確かに! 我等も、城を守るべく奮戦しております! 魔王様のお帰りを、皆が今や遅しとお待ちしておるのです!」
「人間とは・・・あそこまでの鬼気を、放つことができるものなのだな・・・。我は、怯えたのだ・・・。魔王でありながら、一介の人間に対してな・・・。ふ・・・とんだ笑い種だな。」
「・・・―――――ッ!」

自分に言い聞かせるような魔王の言葉に、クーデリカがここでびくりと身を震わせた。思わず握り締めた、魔王の手。それが、ぞっとするほどの冷たさだったからだ。

「我は、じきここから消える・・・。それが、勝負に敗れた者の定め・・・。」
「おやめください、魔王様ッ! どうか、そのようなことは・・・ッ!!」
「心配するな・・・。魔王の偉大な魂は・・・おいそれと滅したりはせん。・・・幾星霜の後に、必ず復活を果たしてみせよう・・・。・・・暫しの、別れになるな。・・・クーよ、それまで・・・我を待っていてくれるか?」
「はいッ! 私にとって、魔王様は全てです!! そのお言葉、しかと胸に刻みました!!」
「そうか・・・。」

満足そうに頷いたカザルスは、ここで表情を引き締めた。怜悧な輝きを放つ瞳が、ひたとクーデリカを見据える。

「まだ息のあるうちに・・・お前に二つ命じておく。」
「はッ! 何なりと御下命を!! ・・・我が命に代えても、成し遂げる所存です!」
「人間への、復讐は禁ずる。・・・我を破った勇者を含め、今回の件を理由に・・・いかなる人間へも、危害を加えることは許さん。」
「まっ・・・魔王様!? それは一体、如何なる―――――」
「仇討ちからは、何も生まれはせん。・・・お前の気持ちは嬉しいが、お前が戦いを続ければ続けるほど・・・残された魔界の民は窮地に追い込まれる。・・・そうだ、魔王を倒して悪を封印したと・・・有頂天にさせておいてやるが良いのだ・・・。」
「う・・・ぐッ・・・!!」

引き攣ったような声を上げ、クーデリカは俯いた。
仇討ちとは、主君を討たれた者の当然の義務であり、また権利ではないのか。この荒れ狂う気持ちを、一体どこにぶつけたら良いのだろうか。

「二つ目だ。我の後を追い、自害することを禁ずる。」
「!? 嫌・・・嫌ですッ!!」

顔を上げたクーデリカは、泣きじゃくりながら魔王に食って掛かった。

「何故・・・何故なのですかッ!! 仇討ちはならぬ、共に参ることも許されぬとは・・・ッ! ・・・それ程までに、私の事がお気に召しませぬか!?」
「落ち着け。・・・逆だ、クー。」
「逆・・・!?」

カザルスの手がゆっくりと上げられ、クーデリカの頬を優しく撫でる。思わずその手に縋り付いたクーデリカに向かって、カザルスがゆっくりと言葉を継いだ。

「そうだ・・・。・・・お前の忠誠、大変嬉しく思う。・・・しかし、残された魔界の民をまとめ・・・率いて行く者が必要なのだ。・・・残念ながら、我はその志半ばで逝くことになってしまった・・・。お前を措いて、他に託せる者は見当たらん・・・。」
「ですが・・・し・・・しかしッ!」
「最後に、もう一つ・・・。・・・これは、命ではないが・・・。城に残る者たちには、退去を促してやってくれ・・・。我が戻ることは、もうない・・・。己が命を大切にせよ、とな・・・。」

微笑むカザルス。しかし、その瞳は既に輝きを失い、クーデリカの姿を映してはいなかった。

「そろそろ・・・別れの刻が・・・来たようだ。」
「い・・・嫌です! どうか、逝かないでください!」
「さらばだ、クー。・・・お前と過ごした日々は、忘れぬ・・・」
「魔王様ッ! 魔王様あああぁぁッ!!!」

絶叫したクーデリカの手の中で、カザルスの体は粉々に砕け、砂となって辺りに降り注いだ。
このときになって、クーデリカはこのコースの砂の由来を知ったのだった。戦いに敗れ、砂と化した魔族たちの亡骸。それによって作られたのが、このシャイニング・サンドというコースだったのだ。

(魔王・・・様・・・)

どれくらい、そのままだっただろうか。
やがて、のろのろと腰を上げたクーデリカは、ゲートの方へとゆっくりと歩き出した。魔王の、最期の言葉を皆に伝えるために。


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