ココロの在処 1     

ココロの在処


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「ただいまー!」

帰宅の挨拶もそこそこに、自分の部屋に駆け込む。電灯のスイッチを入れるのももどかしく、陽太は
デスクトップパソコンの電源ボタンを押した。
ブウゥゥン・・・
微かなファンの起動音。インジケーターが黄緑色に変わり・・・そして、筐体の上に姿を現す小さな
人影。

『・・・おお、陽太か。早かったではないか。』
「うん。今は試験期間だからね、午前で学校は終わりなんだ。」
『うむ、そうであったな。』

背丈は十センチもないだろうか。古風な言葉遣いに、着物姿がよく似合う少女である。その長い黒髪
からは一対の狐耳が覗き、腰の下辺りにはふさふさした尻尾があった。この姿は、小さい頃から
近所の稲荷神社を遊び場として成長してきた、陽太の記憶から形作られたものなのだという。
その少女が、早速といった感じでパソコンの前に座った陽太に向かって、物問いたげな視線を向けた。

『しかし・・・ならば陽太よ。目下のお主の急務は試験勉強ということになるのではないか? こうして、
帰宅早々パソコンに向かう時間などあるのか?』
「まあ、そうだけどさ。ネットで色々と調べ物をするのも、勉強のうちだからね。」
『そう申して、昨日も日がな一日ゲームに明け暮れておったのは誰だったかのう。』
「う・・・いや、今日の科目は楽勝だったからいいんだよ。ここからは真面目にやるからさ。」
『だがな―――――』

ジト目で自分のことを見つめ、なおも言い募ろうとする相手。その言葉を、陽太は慌てた様子で遮った。

「千尋。パソコンは、持ち主の意思には逆らわないって・・・言ったのは、君だったよね?」
『う・・・それは、そうだが。』
「じゃあ、いいじゃないか。大丈夫、ちゃんと勉強もするからさ・・・僕だって、赤点は怖いからね。」
『ならば、良いのだが・・・』

名を呼ばれた少女―――――千尋が、力なく項垂れる。そんな相手に向かって、陽太は宥めるような
笑みを浮かべた。
難関の、中高一貫の私立校。そこに合格した祝いにと、両親が陽太にこのパソコンを買い与えて
くれたのは、もう五年も前のことだった。千尋は、そのパソコンに宿った“意思”が形になって現れた
ものだった。
魂、精霊、付喪神・・・千尋の存在を形容しようとするとき、選ぶべき言葉は多岐に亘る。しかし実際、
それは陽太にはどうでもいいことだった。大事なのは、誰よりも近しい友人として、千尋が自分の傍に
いてくれることだった。

「そっちこそ、調子は大丈夫なの? 昨日は随分辛そうだったけど。」
『うむ、大事ない。昨日の不調の原因は、お主が学校に行っておる間に修復しておいた故な、心配は
要らぬよ。まだ本調子ではないが、通常の動作であれば十分耐えられる。』
「そう? だったらいいけど・・・うーん、やっぱここは新しい冷却装置でも買った方がいいのかな。」
『そうして貰えれば有り難いが、無理はいかんぞ陽太。お主が年中遣り繰りに苦労しておることは、
小遣い帳を管理しておる我がよく知っておるのだからな。』
「あ・・・あはは・・・。」

千尋の身も蓋もない言葉に、陽太は思わず苦笑いを浮かべた。
小遣い帳の中身だけではない。親しい友人と遣り取りするメールの内容から、日頃より訪れるサイトの
情報まで・・・パソコンを利用して行われる全ての作業の内容を、千尋は知り尽くしているのだ。
しかし、陽太にとってそれは不思議と苦痛ではなかった。もちろん、千尋の性格からして、そうした
情報を他人に漏らす可能性は皆無だろうという安心感はあった。だが何より、家族や友人たちの中で、
千尋の姿を見・・・そして会話をすることができるのは、陽太一人だけだという事実が大きかった。

『さあ、陽太よ。作業を指定してくれ。』
「分かったよ。今日もよろしくね、千尋。」
『うむ。心得た。』

生真面目な顔で頷いた千尋に向かって、にっこりと笑いかけた陽太は画面上のアイコンをクリック
した。
指示に従って、液晶の画面が次々に移り変わっていく。それを見ながら、時に笑い・・・そして時に諍い
ながら、二人は長い時間を共に過ごすのだった。それは、陽太と千尋にとって、ありふれた日常の
一コマだった。


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