メランの夢   2   

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自分が育ったのは、とても小さな村だった。
シルヴァラント城とヴァン・イ・イル城を結ぶ主街道から枝分かれした、年中雪の残る小路を辿ること一時間弱。険しい崖と深い森に囲まれた隠れ里のような場所に、自分の家はあった。
村にあった家は、たったの四軒。住人の全てが知り合いで、困ったことがあればどんなことでも助け合って解決する。まるで、絵に描いたような平和で理想的な暮らしが、そこにはあった。
村には、学校はおろか商店すらもなかった。皆の生活は、住人の誰かが交代で村の外に働きに出ることで賄われているようだった。やがて年頃になった自分に、村の住人たちは様々なことを教えてくれた。


『ったく、オメーは弱っちいな。ただの棒もマトモに振れないんじゃ、とてもじゃねえがコイツは無理だろ。』
『でも・・・にいちゃん・・・』
『わーったわーった、んな顔すんなよ。今にオレが、オメーにも使えるヤツを手に入れてやっから。』



兄の得意としていたのは、ハルバードと呼ばれる長柄の武器だった。兄が武器の修練を行う姿を見るのが、自分の一番の楽しみだった。・・・自分も同じ武器を遣えるようになりたいと志したのは、いつの頃からだっただろうか。


『あのね、メラン。ハルバードもいいけど、アンタはまだ小さいんだから。まず最初に、武器の基本である剣から練習したらいいんじゃない?』
『ねえちゃん・・・。うん、わかった・・・。』
『それにね、長柄の武器は懐が弱点と相場が決まってるの。剣も遣えるようになれば、いろんな状況に対応できるようになるじゃない。』



非力な自分には、ハルバードはおろか只の棒も満足に持てない時期が長く続いた。
消沈した自分を見かねて、短剣の手解きをしてくれたのが、姉だった。器用だった姉からは、他にも戦場における駆け引きの方法や、各種の毒の作り方と使い方など、役立つことを数多く学ぶことができた。


『良いか、メランよ。紋章術とは、描かれた紋章を通じて、この世界に満ちる力を意のままに操る技。術者の心が強く、また純粋であればあるほど、その威力は高くなる。』
『はい。』
『心せよ。他者を傷付け殺めることより、他者を癒し救うことは何倍も難しい。それは、我らの心がともすれば他者を傷付け、奪おうとする“欲”に支配されやすいからだ。常に己が心を見つめ、戒めることを忘れてはならぬ。』
『はい。心に刻み込みました、父さん。』
『うむ。それで良い。』



紋章術を教えてくれたのは、父とその兄弟たちだった。
父は、回復の紋章術を得意としていた。その技によって何度も救われたと、かつて共に戦場に出たという兄や姉は、よく自分に話して聞かせてくれたものだった。


『母さん。どうしても、やらないとだめ?』
『もちろんです。いずれあなたも、この村を出て・・・他の町や城に行くことがあるかもしれません。そのときに、言葉が通じなければ困るでしょう。』
『でも・・・』



母からは、言葉と文字を教えられた。武器や紋章術の修練と違い、読み書きの勉強にはあまり乗り気でなかった自分に対して、母はいつも厳しかった。


『よく聞きなさい、メラン。・・・昔、母さんもシルヴァラントのお城で仕事をしていたことがあるの。そこで学んだことは、人間の社会では、読み書きのできない者は決してまともには扱ってもらえない、ということだったの。大人になったあなたがそのような扱いをされることは、私たち家族の誰一人として望んではいません。』
『・・・・・・。』



このままずっと続くと思っていた、平和で穏やかな生活。それは、半年前のある日に突然終わりを迎えたのだった。


『父さん。お呼びですか?』


呼ばれて向かった部屋には、珍しく村の住人が勢揃いしていた。一様に引き締まったその表情からは、何か重大事が起こったことが容易に読み取れた。


『来たか、メランよ。・・・お前を呼んだのは、他でもない。お前に、話しておかなければならないことがあったからだ。』
『はい。何でしょう?』
『実は先日、魔王アスモデウス様からの指令が届いた。シルヴァラント周辺に居住する者は、全て勇者一行を迎え撃つために出陣せよと。』
『勇者、一行・・・?』
『お前も、既に薄々は聞き及んでおろう。南のムーア大陸に突如として現れ、瞬く間にムーア、アストラルの二つの大陸を魔物の支配から解放した人間たちのことを。その一行が、いよいよこのシルヴァラントに侵攻してくるようなのだ。・・・これより、我らは魔王様の命令に従い、彼の者たちと戦うためにこの地を後にする。』
『分かりました。では、僕も一緒に―――――』
『ならぬ。これは我ら、魔物に届いた命令だ。人間であるお前には、係わり合いのないことだ。』
『そのようなこと、関係ありません。僕も家族の一員なのですから、共に戦うのが当たり前ではありませんか。父さんが何と仰ろうとも、僕も共に参ります。』



ちくり。
立ち上がりかけた自分の首筋に、鋭い痛みが走ったのはこのときだった。 続いて襲い来る、激しい脱力感。その場にくずおれ、背後を見やった自分の眼に映ったのは、短剣を手にした姉の姿だった。


『手荒な形になってしまい、申し訳なく思っている。だがこれも、お前の性格を考えればこそ。お前は、何が何でも我らと共に行動しようとするであろうしな。』
『父・・・さん・・・!』
『では、我らは行く。・・・これは、残していくお前への、せめてものはなむけだ。お前が一人前になったら贈ろうと、武器と防具の一式を以前より用意していたのだ。』
『嫌・・・だ・・・。・・・待っ・・・て・・・!』
『これを用意するための金は、恥ずかしくない手段で得たものだ。決して、人間を襲ったりはしておらぬから、安心するが良い。どうか、我らの形見と思い、大事にしてもらいたい。』
『・・・―――――ッ!!』



母が、兄が、姉が・・・そして、村の住人の皆が次々に部屋を出ていく。
力ずくでも止めたかった。それが無理なら、せめて自分も共に戦場に赴き、そして共に死にたかった。しかし、今の自分には、どちらも叶わない望みだった。
毒が回り、満足に言葉を発することもできない自分がもどかしかった。悔し涙すら浮かべた自分に向けられていた父の厳しい眼が、ここでふと優しくなった。


『お前には、感謝しているのだ・・・メランよ。我らは、人間たちが魔物と呼び、忌み嫌う存在だ。魔王様の手によって生み出され、死すまで他者との殺し合いを続けることが運命付けられた、呪われた存在。・・・その中にあって、他者との争いを忌諱する我らは“出来損ない”という烙印を捺され、この地に逼塞せざるを得なかった。赤子であったお前と出会ったのは、その最中であった。』


本当は、当の昔に気付いていた。自分の家族が、人間ではないこと。いや、それどころか・・・人間たちの仇敵である、“魔物”と呼ばれる存在であることに。
そんなことは、どうでも良かった。自分を捨てた人間である本当の両親と、自分を救い育ててくれた魔物である家族たち。どちらの心が清く、そして自分にとってそのどちらが大事なのか。それは、考えるまでもなかった。


『お前と過ごした日々は、驚きの連続であった。・・・我ら魔物は、生み出されたその瞬間から、息絶えるその日まで、全く変わらぬ一生を送るのがその常。しかし、お前は違った。最初は満足に歩くことすらできなかったお前が、いつの間にか兄や姉と肩を並べて武器の修練をするようになった。かつては満足に遣いこなせなかった紋章術も、今や我らを凌ぐ遣い手となった。それは、我らには大きな驚きであった。・・・昨日出来なかったことが、今日は出来るようになる。人間の“成長”とは、実に素晴らしいものだ。そして、それを間近で見ながら暮らすことが出来た我らは、幸せであった。』


束の間自分を抱き締めた父が、自分を正面から見据える。羽毛に覆われたその肌の感触、その瞳に確かに光る涙を、自分が忘れることはないだろう。


『メランとは、我らの言葉で“黒”という意味だ。我ら家族で知恵を絞り、お前の髪や尾の色から名付けさせてもらった。・・・形あるものはいつか壊れるが、名は一生残る。そのつもりで、心を込めて選んだものだ。・・・出来れば、大切にして欲しい。そして、時には我らのことを思い出してもらいたい。』
『・・・・・・。』
『・・・さらばだ、メランよ。』



ふっと意識が遠くなる。・・・自分が家族の姿を見たのは、これが最後だった。


  *


『―――――・・・。』

目覚めたのは、自分の寝床の中だった。
どうやら、かなりうなされていたらしい。寝床の外に落ちていた布団代わりの毛皮を拾い上げながら、メランは部屋の中をぐるりと見回した。
久しぶりに見た、家族の夢。これも、昨日シルヴァラントの酒場で会った、ヨシュアという男のせいなのか。

『みんな、おはよう・・・。』

メランの一日は、村の掃除から始まる。
村の住人がいつ帰ってきても良いように、それぞれの家の中を片付ける。通りを綺麗に掃き、畑の手入れをする。・・・村をあの日と同じ状態に保つことが、一人残された自分の義務のはずだ。
最初の一月は、自分はこの村から出なかった。ただひたすらに、家族の誰かが自分の許へと戻ってきてくれることを待ち続けた。
孤独に耐え切れなくなり、初めて訪れた人間の街。そこで交わされる会話から、魔王が既に討ち取られていることを知った。
魔物を統べる存在であった、魔王アスモデウスは死んだ。魔界軍も消滅し、これからは出陣の命令が届くこともない。そうだ・・・これからは、魔物たちもそれぞれ自由に生きることができるのだ。それは自分、そして家族が待ち望んでいたことでもあった。
しかし、それならば何故。何故、誰も村に戻ってこないのか。
きっと、どこかで皆は生き延びている。ただ、何らかの理由で今はここには戻れないに違いない。ならば、自分が迎えにいくしかない。・・・こう決心したメランが、周囲の人跡未踏と言われる遺跡や洞窟に足を踏み入れるようになるまで、長い時間はかからなかった。
生まれた直後から、魔物に育てられて共に暮らし、魔物の言葉を自由に話すことができる自分。旅先で出会った魔物たちは例外なく、自分を仲間として扱った。いかなる遺跡、洞窟の類であっても、そこに棲む魔物たちの助けを借りれば、探索は容易いものだった。時には話の通じない相手と遭遇することもあったが、そのときには家族から学んだ武術や紋章術が役に立った。
こうして、メランの孤独な旅が始まった。
探索の途中で見付かる様々な品物は、人間相手に高値で捌けた。メラン自身にとって、人間社会で通用する金は何の意味もないものだったが、それでも再会した家族と暮らす上では役に立つだろう。そう思って蓄え始めた資金は、既に部屋に山になっている。


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