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今日も、パンヤ島の上空は澄み渡る青空だった。しばらくの間、黙って眼下の島影を見下ろしていたカディエが、やがてぽつりと言った。

「綺麗ね・・・。ここに来ると、いつもそう思うわ。」
「そうですね。」

姉の言葉に、素直に頷くティッキー。しばしの間、姉妹は無言で鮮やかなパンヤ島の全景を眺めていた。

パンヤ島は、大きな三日月形をした島である。
カディエの家は島の最北、マガ谷と呼ばれる針葉樹林帯のそのまた北端付近に位置していた。少し南に下ったところには、大勢の魔法使いたちの住居と数多くの魔法学校が存在しており、これらを総称してマガ地方と呼ぶ。
島の中央部の丘陵地帯、ベンテュース地方は一大工業地帯として名高い。ウィングトロスやデュアルといった大企業から個人レベルの仕事場まで、パンヤ祭に必要となるありとあらゆる道具類を製造する、様々な規模の工房がずらりと軒を連ねる。林立する風車は一帯を象徴する名物となっていた。
これに対して南部の海岸地方は、リゾート地として知られていた。その中心にあるのがリベラ村で、リベラ地方と呼ばれる一帯には仕事や勉強に疲れた島民たちが、憩いのひとときを過ごすための宿泊施設が数多く設けられていた。無論、常夏の気候に恵まれた同地方では、種々の祭りや催し物がひっきりなしに行われ、年間を通じて独特の熱気と解放感に包まれている。
これら沿岸地帯を広く警備するのが、マシュナ族の誇る海軍だった。その本拠地はリベラ村の真西三十キロほどに位置する湾に建設された軍港で、ここから随時哨戒の艦艇を周囲に派遣することによって、海軍は島の西に広がるバルトス海の治安・・・特に辺りに出没する海賊船に眼を光らせている。

一方、島の東部はあまり人の手が入っていない未開地帯が多く、大昔に数多の戦いが繰り広げられた古戦場や遺跡が、手付かずの状態で残されていることも少なくない。最東端に近い場所に位置する砂漠地帯は、その昔魔族と島民との壮絶な戦いの際に出来たものと言い伝えられ、今でも残っているゲートはその際に使われたものなのだという。
また、三日月の欠けた部分に当たる内海、ナラカス海のほぼ中央には、通称“死の島”と呼ばれる小島がぽつんと浮かんでいる。島の中央には巨大な死火山がその大きな噴火口を開けており、かつてはここを通って、パンヤ島の地下世界・・・ディープインフェルノと呼ばれる“魔界”への往来が可能であったのだという。“地獄への階段”と呼ばれたこの通路は、魔族の再来を恐れた魔法使いたちの封印によって、現在は閉ざされてしまっていた。

「ねえ、ティッキー。不思議に思ったことはない?」
「え・・・?」

それまでの沈黙を破り、不意にカディエが言った。相変わらず、その視線は眼下に向けられたままだ。

「この景色よ。パンヤ島は、決して大きな島ではないわ。それなのに、島の東西南北でこれ程に気候風土が違う。・・・どうしてなのかしら。」
「・・・・・・。言われてみれば、確かに。」

頷くティッキー。パンヤ島は東西約五百キロ、南北約三百キロの大きさに過ぎない。ティッキーがこれまでに耳にした異界についての情報の中にも、この程度の広さでこれほどの多様な気候が実現されている地はなかった。キャディを務めるマックスの故郷の島も、パンヤ島の何倍もの大きさがあるにも拘わらず、おしなべて寒冷であるという。

「他にも、不思議なことはたくさんあるわ。異界から来た勇者候補たちは、多種多様な国や民族の出身よ。それなのに何故、彼らは自由に意思の疎通ができるのかしら。・・・この島にも“お金”の概念はあるけれど、それが原因の争いが起きないのはどうして? 不治の病、天変地異・・・そうした不幸に苦しめられる人は、この島にはいない。・・・どう、ティッキー。あなたには、その理由が分かるかしら。」
「うーん・・・。・・・そんなに急に言われても、分からない。・・・でも、お姉ちゃん。それが、私の疑問と何か関係があるの?」
「あなたの疑問・・・パンヤ島の始まり、だったわね。ふふ・・・やっぱり、姉妹なのかしら。」
「お姉ちゃん?」

くすりと笑ったカディエが、ちらりとティッキーの方を振り向いた。その眼には、いたずらっぽい光がある。

「実はね、ティッキー。ずっと昔に、私も同じように思い悩んだ日々があったのよ。」
「お姉ちゃんも?」
「ええ。もちろん、私の悩みはもっと深かったけれどね。」

おどけた様子で小さく肩を竦めたカディエが、再び眼下の島影に目をやった。それに倣ったティッキーに向かって、カディエが言う。

「さっき私が挙げた全ての疑問。それは、一言で説明できるものよ。」
「え? そうなの?」
「ええ。このパンヤ島を支える、唯一無二にして欠かすことのできない偉大な力。・・・“魔法”よ。」

(なるほど・・・)

姉の言葉に、ティッキーは大きく頷いた。
確かに、それならば全てが一点の曇りもなく説明できる。異界の現実をティッキーは良く知らなかったが、ことパンヤ島では魔法によって実現できないことは何もないのだった。無論その内容は、術者の能力と比例しているのは言うまでもない。
しかし、それならば。この結論に辿り着いた姉は、一体これ以上何に思い悩んだというのだろうか。そう、この日の姉の話には続きがあったのだ。

「でもある日、ふと気になったの。じゃあ一体、この魔法はどのようにして生まれたのかって。」
「魔法の、始まり・・・。・・・それで、お姉ちゃんはどうしたの?」
「もちろん、あなたと同じことをしたわ。仲間の魔法使い、異界からの勇者候補の知り合い皆から話も聞いたし、それこそありとあらゆる本に当たったわね。当時マガ地方に存在した蔵書で、私が目を通さなかったものはなかったと断言してもいいわ。」
「・・・・・・。」
「長い時間をかけて調べて・・・でも結局、明確な答えは得られなかった。けれどね・・・その中で、おぼろげながら見えてきたものがあったの。でもそれは、この世界の住人として受け止めるには、あまりに衝撃的なものだった。ねえ、ティッキー・・・」

ここで言葉を切ったカディエが、ティッキーの瞳をじっと覗き込んだ。

「・・・それを受け止める勇気が、あなたにあるかしら?」

時々、姉はこんな意地悪な眼をする。滅多にないことだが、こんな態度のときの姉は、普段の穏やかな振る舞いからは想像もできないような凄みを感じさせる。
しかし、知りたい。一瞬たじろいだティッキーは、やがて力強く頷いた。

「教えて、お姉ちゃん。・・・それは、何だったの?」


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