resting place      3 

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「・・・・・・。ヒントは、異界からの勇者候補たちの言葉にあったわ。彼らは異口同音に、パンヤ島のことを“理想郷”だと言ったの。」
「理想郷・・・」
「ええ。飢えや渇き、争いや病から解放された豊かな地。理想郷の語源、“ユートピア”は、異界では“決して実現しない世界”という意味だそうなの。それが、パンヤ島では見事に具現化されている。そう、偉大な魔法の力によって。」
「・・・・・・。」
「つまり、鍵は魔法だったのよ。異界の人々が等しく望んでいたのは、実はこの“魔法の力”だったのではないかと、私は考えたの。そもそも、異界では“あり得ない力”として定義された“魔法”があれば、“決して実現しない世界”であるはずの“ユートピア”も実現する。その魔法が、このパンヤ島では普遍の存在になっていることに気付いた私は・・・ある結論に辿り着いたのよ。」
「それは・・・?」

思わず身を乗り出すティッキー。小さく笑ったカディエは、ここですっとティッキーから視線を外した。

「ねえ、ティッキー。あなた、こんな言葉を聞いたことがあるかしら? 『神が見るのは人の夢、人が見るのは神の夢』。・・・異界の教えの中に出てくる一節だそうよ。」
「神が見るのは、人の夢。人が見るのは、神の・・・って、まさか!」
「ええ。どうやら、あなたの疑問に答えるときが来たようね。」

思い当った可能性に、しばし考える風だったティッキーはばっと顔を上げた。そこに向けられていた姉の視線は、真剣そのものだった。

「そう。このパンヤ島は、理想郷を求める異界の人々の強い“願い”―――――夢、と置き換えてもいいかしら―――――によってできているの。夢は、全てを可能にするわ。本来はあり得ない魔法の存在、それによって実現されるありとあらゆる奇跡。・・・そして私たちは、彼らの夢の中に存在するに過ぎない。」
「でも・・・でもッ! 私たちは、現にこうしてちゃんと―――――」
「どうやって、それを証明するというの? 夢の中では、それは夢を見ている人の現実そのものなのよ。」
「でも・・・そんな・・・。・・・私たちが、幻だってこと・・・?」

あまりの衝撃から、思わず頭を抱えるティッキー。その横顔はすっかり青ざめ、両手で抱き締めた体は細かく震えている。

「そんなの、ひど過ぎます! 私も・・・お姉ちゃんも、みんな・・・異界の人たちの夢だっていうの!?」
「私は、そう言ったつもりだけど。」
「嘘! 嘘だって言ってよ、お姉ちゃん! 私、こんなの・・・絶対に嫌です!」
「全く・・・。あなた、事態がよく飲み込めていないようね、ティッキー。少し落ち着きなさい。」
「落ち着け・・・? こんな話を聞かされて、そんな―――――」

取り乱すティッキーの頭を優しく撫でながら、カディエが言った。泣きそうに歪んだ顔、縋るような妹の視線をしっかりと受け止めながら、にっこりと微笑む。

「最初に言ったでしょう? これは、私なりの解釈だ、って。まあ、大仰な振りをつけてはみたけど・・・今の話が真実であるという証拠もまた、どこにもないのよ。これもあくまで、一つの可能性として数えられる、というだけのこと。」
「だ・・・だけど―――――」
「お姉ちゃーん! ティッキー!」

項垂れたティッキーが、なおもカディエに向かって食い下がろうとしたときだ。不意に二人の名が呼ばれた。
振り向いた二人の眼の前に現れたのは、箒に乗ったティッキーの双子の姉、ミンティだった。そのミンティが、二人の姿を前に安堵の笑みを浮かべる。

「ああ、良かった。もう、二人揃っていないから心配してしまいました。出かけるときは一声かけてと・・・あら、ティッキー。どうしたの、顔が真っ青よ?」
「何でもないわ。ちょっと難しい話をしてしまったから、混乱しているだけ。じきに立ち直るわ。」
「そうなの? ティッキー。」
「・・・はい、ミンティ姉さん。」
「そう・・・ならいいけれど。さあ、帰りましょう。」

ミンティに促され、小さく頷いたティッキーが家の方へと箒を向けた。並んで遠ざかっていく、二人の後ろ姿。それを追うカディエの心中は、実は複雑だった。

魔法とは何か。いつ、どのようにしてそれが生み出されたのか。・・・この問いに対する答えが実は存在しないのだと悟ったのは、一体いつのことだっただろうか。
異界では、身の回りに起こる全ての現象を説明するための「科学」という名の概念があるというが、ことパンヤ島の魔法について、そのようなものは存在していない。
ただ魔法の力があり、それを享受するだけで良しとする。古来からの魔法使いたちがそれで満足した・・・というよりも、そもそも「魔法」という現象に対しての、効果的な説明の方法を見出すことができなかった、というのが真実に近いのではないかと、カディエは考えていた。しかしそれも、異界の人間たちの“夢”の力によって生み出されたものだと仮定すれば、一応の説明にはなるのだ。
パンヤ島の、平和で穏やかな風物。理想郷としての佇まいに、一見魔王や魔族の存在は不可解だ。しかしそれも、平和過ぎる島の生活に“刺激”を求める異界人たちの“夢”から生まれたのかも知れないと言われれば、あるいはと思えるのだ。当たり前の話だが、敵のいない世界にそもそも軍隊は必要でなく、貧富の差が問題にならない世界に海賊船が跋扈しなければならない理由もない。こうした例は、枚挙に暇がないのだ。
異界人が当初思い描いた“ユートピア”の実際は、高度に管理された無味乾燥な世界なのだという。それを避けるための様々な工夫・・・各人がこれぞと思う“理想”が次々に盛り込まれた結果、この理想郷の秩序とは程遠い雑多な世界―――――パンヤ島が形作られた可能性は高い。
今、自分がここで生きていること。それは現実であろうと、仮に他人の夢の中であろうと、何ら変わりはない。何故ならば、人間には等しく「死」が存在するからだ。死の訪れと共に、全ては無に帰る。
・・・かつてカディエに向かって、「生こそが夢であり、現実は無の闇である」と語った異界人がいた。なるほど、とそのときは頷かされたものだ。それこそ、“神が見るのは人の夢”という言葉を見事に言い当てたものだ。

(・・・・・・)

しかしその一方で、それを頑として認めたくないもう一人の自分がいることに、カディエは気付いていた。
ティッキーに語ったことは、自分なりに掴んだ真実にかなり近いものだと・・・それは自信を持って言い切れる。しかし、魔法の島―――――パンヤ島が奇跡の理想郷であるならば、そこで遂げられない想いなどないはずだ。しかし自分は、既にそれに裏切られてしまっている。
そう、カディエにとって、パンヤ島は理想郷などではなく、紛れもない現実なのだった。そしてそれは、かつての恋人にとってもそうだったのだろう。突き付けられた残酷な現実に耐えかね、彼は自分を捨て・・・このパンヤ島から立ち去ったのだ。

「お姉ちゃーん! 何やってるのー?」
「ごめんなさい。今行くわ。」

小さく首を振り、妹たちの声に応える。徐々に近づいてくるパンヤ島の大地を前に、カディエは心の中で呟いたのだった。

(そうだったのよね・・・? アルテア・・・)


はしがき

ファンタジー作品にどっぷりハマったとき、誰もが「その世界を尋ねてみたい」と思うのではないでしょうか。かくいう僕もその一人で、パンヤ島に行くにはどうしたらいいのか・・・とつらつらと考えてできたのがこの話でした。そして、パンヤに寄せた初めてのオリジナル曲『resting place』は、この話をモチーフにして作曲したものです。

今までの作品の中で、僕はパンヤ島について「現実世界(異界)にいられない、いてはいけない人間が辿り着く安息の場所」という表現をしてきました。それは“魂の安息所”としての「resting place」であり、肉体的に生存が叶わない場合(飛行機事故に巻き込まれたマックスの場合など)のそれは“墓場”としての「resting place」となるわけです。
こうした人々の“夢の世界”として、パンヤ島は作られているのではないか。逆に言えば、夢―――――純粋な強い想いさえあれば、パンヤ島の住民になる資格がある。これが、僕が出した結論でした。

しかし、執筆のために取材した“ユートピア”(トマス・モアが提唱した最初の理想郷)も三日月形の島だったとは、奇妙な偶然に驚かされました。僕の想像も、結構いい線行っていたと言ってもいいんでしょうか(笑)。