The Time Will Come    2   

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外は、いつの間にか雪になっていた。傘を差し、歩き出した青年は、後ろからついてくる少女に
向かって照れくさそうに笑った。

「最後だし、雪に降られてもどっちみち一緒だと思うんだけどね。もう、風邪を引くなんてこともないん
だし。」
「・・・・・・。」
「そうだ、こんな話を知ってるかい? 昔、隣の中国って国で、ある人が捕まって処刑されることに
なってさ。・・・で、処刑場に行く途中で“この世で最後の”ってことで酒と食事を勧められたらしいん
だけど、“首を斬られて、そこから飯が出てきては恥ずかしいから”って断ったんだってさ。どうせ
死ぬんだから関係ないだろ、って笑われたらしいんだけどね、それと似てるかな。」
「私が斬るのは、きさまの首ではないが。」
「いやだから、喩え話だよ。」

青年は饒舌だった。それに対する少女の反応は、相変わらずぶっきら棒で、おまけにどこかピントの
ずれたものだった。
青年がこの少女と初めて会ったのは、去年の同じ日―――――年末も押し迫った十一月の三十日の
ことだった。

『きさまは、一年後に死ぬ。』

少女は、死神だった。
それから一年。あのときの“約束”が、こうして果たされようとしているのだ。

「しかし、ずっと疑問だったんだけどね。・・・今時の死神っていうのはさ、君みたいな女の子がやるもの
なのかい? 僕はてっきり、黒いマントにドクロのお面をつけた格好かと思ってたけど。」
「・・・・・・。きさま、何か勘違いをしているようだな。」

信号待ちをしている間に、ふと青年が口にした疑問。ここで、小さく溜息をついた少女の表情に、
初めて人間らしさが垣間見えた。

「死神というものはだな、特に決まった姿かたちは持っておらぬ。きさまらの言葉を借りるならば、
“精神体”という表現が一番しっくり来るだろうか。」
「へえ・・・そうなの?」
「そうだ。死神だけではない。天使を初め、“神”に属するものは皆似たようなものだ。」

青に変わった信号を渡り始める。首を傾げた青年に向かって、少女が微かに物問いたげな視線を
向けた。

「分からぬか。我らの姿は、見る者によって変わるのだ。」
「え? それって―――――」
「早い話が、きさまは死神とはこのような姿かたちであろう、という想像を巡らせていたということに
なるな。」
「・・・・・・。」
「しかし、少女とはな。私も数え切れぬほどの死に立ち会ってきたが、このような姿になったのは
初めてだ。・・・これはきさまの趣味なのか?」
「いや、そういうわけじゃないけど・・・」

少女の揶揄するような言葉に苦笑いを浮かべた青年は、しばらくするとぽつりとこう言った。

「・・・やっぱり、引っかかってるのかなあ。」
「何のことだ?」
「いやね。・・・さっき君に、もう思い残すことはないって言ったろ。」
「ああ。確かに、そう聞いた。」
「・・・本当は、一つだけ心残りがあったんだ。」

大通りを外れ、小さな路地に入る。急な坂道にうっすらと雪が降り積もり、歩きにくいことこの上ない。
悪戦苦闘している青年に向かって、やがて少女が尋ねた。

「・・・その、心残りとは?」
「何だい、気になるのかい?」
「迷いのある魂は、死を受け入れられず堕ち易いのだ。もし気懸かりがあるのなら、できる限り解消して
貰わねばな。」
「・・・ははっ。悪いけど、それは無理な相談だ。」
「そうか? 言ってみなければ、無理かどうかは分からぬ―――――」
「いや、無理だ。少なくとも、君には分からないだろうけど。」

相手の言葉を半ばで遮り、いつになく青年はきっぱりと言った。一瞬びっくりした表情を浮かべかけた
少女は、やがていつもの無表情に戻ると、一言だけ「そうか。」と呟いた。
それを最後に、しばらくの間二人の間の会話は途切れた。

「着いたよ。」

青年が足を止めたのは、何の飾り気もない、どこにでもありそうな小さな児童公園の前だった。次第に
激しさを増す雪と寒さのため、まだ日没まで時間があるにも拘らず、公園は無人だった。
公園内に足を踏み入れた青年は、奥まったところにあるベンチに腰をかけた。そして、背にした桜の
木に寄りかかると、自分に向かい合うようにして立っていた少女に向かって微笑みかけた。

「ここは、僕のお気に入りの場所でね。毎年春にはここにきて、桜の花を眺めたものだった。」
「・・・・・・。」
「もう、来年は見られないのが少し残念だけど・・・仕方ないよね。」

すっかり葉を落とした枝の間から、青年の上に雪片が舞い落ちてくる。目を細めてその様子を眺めて
いた青年が、やがてぽつりと言った。

「最期に、一つ訊いていいかな。」
「何だ。」
「どうして、一年前に・・・僕のところに来たんだい。死神は、誰にでも一年前に死を予告しに来るもの
なの?」
「いや。通常であれば、死の間際になってその場に赴き、魂を刈ることになっている。実際は、相手と
言葉を交わすことすらない場合がほとんどだ。」
「だよね。そうじゃなければ、もっと死神の存在は有名になっててもおかしくないわけだし。・・・でもさ、
じゃあ僕の場合はどうして?」
「それは―――――」

唇を噛んだ少女が、ここで微かに項垂れた。そこへ、宥めるように青年が声をかける。

「誤解しないで欲しいんだけど。君には、感謝してるんだ。」
「感謝だと?」
「もし一年前、君と会わなかったら・・・僕はこの一年を、今まで通りだらだらと無駄に過ごしてしまった
だろうからね。全部ってわけじゃないけど、やりたいことはほとんどやれたよ。世界一じゃないかも
知れないけど、僕ほど充実した一年を過ごした人はそういないと思う。それは、胸を張れるな。」
「・・・・・・。」
「だから、さ。・・・どうして君がそんな“気紛れ”を起こしたのかが、ちょっと気になってね。」
「それは―――――」
「それは?」

顔を上げた少女は、いつになく切迫した様子だった。戸惑いと決意がない交ぜになったような複雑な
表情。そしてその瞳には、初めて迷いの色があった。
二度、三度と唇を震わせた後、頬を染めた少女はそっぽを向いた。

「きさまの言う通り、単なる気紛れだ。」
「・・・そっか。分かったよ。」

微笑む青年。その場の気まずい雰囲気を振り払うように、少し早口で少女が言った。

「私からも、訊きたいことがある。」
「何だい?」
「きさまが先程、口にしたことだ。・・・きさまの抱える心残りとは、一体何なのだ?」
「・・・・・・。」
「勘違いするな。別に私は、きさまのことを心配しているわけではない。今後も同じような状況に陥った
場合、相手に解決策を提示できるかも知れぬと思って訊いている。」
「・・・・・・。恋、だよ。恋愛ってやつさ。」

ゆっくりと、青年が笑顔で言う。その意外な一言に、そっぽを向いていた少女が目を丸くした。

「恋愛、だと?」
「ああ。相手のことを好きになることだよ。」
「それくらいは知っている。しかし・・・きさまには一年の時間があったのだ。それだけあれば、たとえ
実らぬまでも、そのような相手を探すことができたのではないか。」
「・・・・・・。やっぱり、分かってなかったね。」

小さく溜息をついた青年が、少女の瞳をじっと見つめた。

「いいかい。もし気持ちが通じて、相手と両想いになれたらどうするんだい。」
「決まっている。恋人として、付き合えば良いではないか。」
「で、その後は? 僕は一年で死んでしまうんだよ。相手はきっと、悲しむだろうね。」
「う・・・。そ、それは・・・」
「君は死神だ。恋という言葉、その意味は知っていても、その実際がどういうものかは分からない。
さっき言ったのは、そういうことだったのさ。」
「・・・・・・。」

次第に勢いを増した北風が、無言になった二人の間を吹き抜けていく。横殴りの雪で半身を真っ白に
した青年とは対照的に、少女は現れたときの姿のままだった。それは、死神である少女が、この世の
ものではないことを如実に物語っていた。
やがて、小さく肩を竦めた青年が、木の幹に預けていた身を起こした。

「さてと。お互い話すこともなくなったみたいだし、そろそろお願いしようかな。」
「ああ。・・・最期に、言い遺すことはないか。」
「・・・・・・。一つだけ、ある。」
「何だ。言ってみろ。」
「君に、頼みがあるんだ。・・・君にしかできないことさ。」
「私に?」
「・・・笑顔を、見せてくれないか。」

死神の象徴である、半月の大鎌。それを構えかけた少女は、相手の言葉に戸惑いの表情を
浮かべた。

「出会ったときから、ずっと思ってたんだ。君は笑ったら、きっと素敵だと思う。」
「しかし・・・」
「どうだい?」
「・・・・・・。・・・いいだろう。」

笑顔という言葉は知っている。しかし、死神としての仕事を遂行する上で、それは全く必要のない
行為でもあった。
しばし躊躇い、やがてぎこちないながらも少女は笑顔になった。冷たい印象を与える黒曜石の瞳、
意志の強さを示す形の良い眉がすっと柔らかい印象に変わる。
半ば呆然と相手のことを眺めていた青年は、やがて感に堪えないといった様子で二度、三度と頷いた。

「・・・やっぱり、僕の思った通りだったよ。」
「・・・・・・。」
「これで、心置きなく逝ける。・・・後は、頼んだよ。」

にっこり笑った青年が、笑顔で目を閉じた。
手にした大鎌を振り下ろす。その瞬間、青年の呟いた台詞が風に紛れて少女の耳に微かに届いた。

「ありがとう。」

(!?)

あっと思ったときには、大鎌は青年の身体を通り過ぎていた。少女の目の前、木の幹に寄りかかる
ようにして横たわっているのは、既に青年ではなかった。
刈り取られた、一つの命。淡く光る魂をそっと握り締め、少女は呆然とそこに立ち尽くしていた。


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