After the Rain〜ジークのバレンタイン〜  1     

After the Rain
〜ジークのバレンタイン〜


 −1−

「それは、一体何のつもりなんだ?」

氷竜の月二五日。早朝、目の前に差し出された可愛いリボン付きの袋を前に、地竜ジークリートは
不機嫌な様子でぼやいた。
竜王の補佐官ジークリートの朝は早い。“緊急事態に対処するためには、時間の余裕こそが肝心で
ある”という信念と、その生来の勤勉な性格から、定められた刻限よりも一時間以上も早く宮廷に出仕
するのが彼のいつもの習慣であり、この習慣は彼が竜王の補佐をするようになってから一日とて欠か
されたことはなかった。
だが、この日・・・いつも通りの早い時間に出仕したジークリートは、まだ人影もまばらなはずの宮廷に
文官・武官を問わずほぼ全員が揃っているのを目にしたのだった。
初めは、

(良い傾向だ・・・)

と微笑を浮かべたジークリートだったが、その表情は時が経つにつれて戸惑い・・・そして疑惑のそれに
変わっていった。というのも、彼の姿を見た女官達が、次から次へと何かしらのプレゼントを彼に
手渡したからであった。それも、皆が皆揃って顔を赤らめながら、である。
もちろん、礼儀正しい彼はその行為を無下に断ったりはしなかったが、なぜ自分がそうしたものを
プレゼントされるのかに全く心当たりがない。いつも小脇に抱えている『新竜法全書』の上は今や、
そうしたプレゼントで一杯になっていた・・・もちろん地竜であるジークリートにとってそれを持ち運ぶ
苦労はさしたるものではなかったが、プレゼントを贈られる理由が一つも思い当たらない、というのは
気味が悪いことこの上なかった。

そして、竜王の間に一歩足を踏み入れたところで、待ち構えていた光竜のフィリックにまで手製と思しき
プレゼントを差し出され、冒頭の台詞・・・ということになるのだった。
フィリックはジークリートの王立竜術学院同期生で、卒業後は術研究に従事することになったため
宮廷には出仕していない。つまり、普段ならこの竜王の間にいるはずのない相手だった。

「・・・え? その・・・気に入らない? これ、ぼくの手作りのクッキーなんだけど・・・」

フィリックのこの何気ない台詞を聞いた周囲がいっせいに後ずさった(と同時に、心なしか部屋の
温度も下がった)。そんな周囲の様子をきょとんとした様子で眺めているフィリックに対して、これまた
周囲の様子に動じないジークリートは眉を寄せたまま自らの疑問を口にした。

「中身の問題ではない。私が訊きたいのは、何故それを私に贈ることにしたのか・・・という理由なのだ。
気持ちは嬉しいが・・・別に今日は私の誕生日といった特別な日ではないはずなのだがな。」
「ジーク・・・まさか、今日が何の日か知らないの?」
「知らん。」
「えー!? じゃあ、そのプレゼントの山は知らないでもらったってこと!?」
「そうだ。断るのも悪いと思ったのだが・・・もしや、受け取ってはいけないものだったのか!?」
「いや、そういうわけじゃないけど・・・」

その時、傍から見ればかかなり間抜けなやり取りを交わしている二人を横目に見ながら、竜王の
台座に木竜のエルフィートが腰を下ろした・・・そして、欠伸を一つ。姿格好こそ竜王らしく仰々しいの
だが、椅子へのだらしない座り方一つとっても、また実に締まらないその表情を見てもやる気が全く
感じられないのはいつもの通り。普段だったらジークリートの「小言」がここで炸裂するところなのだが、
今日のジークリートはそれどころではなかった。
しばらくの間、フィリックとかみ合わない会話をしているジークリートの様子を頬杖をついてにやにや
しながら眺めていたエルフィートは、隣に立っていた双子の妹の木竜アルフェリアと目配せを交わすと、
徐にジークリートに声をかけた。

「おい、ジークリート。・・・何を朝っぱらから揉めてるんだ。痴話ゲンカならよそでやってくれ。」
「これは、竜王様・・・おはようございます。いえ、このフィリックが今日は何やら特別な行事のある日だと
申しますもので・・・」
「そうだ。知らんのか? 今日は“バレンタインデー”なんだぞ?」
「ばれんたいん・・・? しかし、そのような日は・・・この『新竜法全書』にも載ってはおりませんが・・・」
「そりゃそうだ。何たって、昨日公布したばかりなんだからな。」
「は!?」

顎が外れそうなほど口をぽかんと開けたジークリートに向かって、“してやったり”の会心の笑みを
浮かべると、エルフィートは追い討ちをかけるように言った。

「ちょうどいい、地竜ジークリートよ・・・今日一日、お前に休みを与える。そこのフィリックと一緒に、
休暇を満喫してこい。」
「・・・はぁ!?」

これまた予想外の竜王の言葉に呆然となるジークリート。その傍らで、フィリックが心底嬉しそうな顔を
したのに皆が気が付かなかったのは、彼にとって不幸中の幸いと言うべきか・・・。

「しかし、折からの長雨でまたたくさんの被害が出ています! そんな中、私一人だけのうのうと休みを
取るなど・・・」
「これは竜王命令だぞ? ・・・まさか、逆らうつもりじゃないだろうな?」
「・・・くっ!!!」
「あ、待ってよ・・・」

しばらくの間恐ろしい表情でエルフィートの方を睨みつけていたジークリートは、やがて踵を返すと
足早に竜王の間を後にした。フィリックがその後を慌てて追う・・・そんな二人の様子を、竜王兄妹は
にやにやしながら見送ったのだった。


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