終わらない物語    2   

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よく、夢を見る。
夢の中では、自分はいつも少年だった。
恐らく、長い長い人生の中で、最も幸せだった時期の記憶。
不思議と、人生の大部分を過ごしたロアノークの風景は出てこない。
代わりに夢に現れるのは、幼い日々・・・そして、学生時代を過ごしたコーセルテルの風景だった。
自らの竜術士だったリュディア、同期生たち・・・そして、テラ。
他人には滅多に見せない、眩しい笑顔。真っ直ぐな瞳、裏表のない言葉。・・・全てが、昔のまま
だった。
その後姿を追い、抱き締めようとしてはジークリートは目覚めるのだった。

(テラ・・・)

テラには、自分の本当の気持ちを伝えるべきだったかも知れない。
もちろん、種族が違うテラとの恋愛など、許されるはずもなかった。テラの心の中には、いつまでも
リカルドがいるということも分かっていた。
だが・・・本当に、傍で見守るだけで良かったのか。
微かに、後悔に似た疼きが心の奥底にある。それは、テラが死んだときからジークリートを苛み続けて
いるものだった。
しかし、テラはもう・・・いない。
全て、終わったことなのだ。

(・・・?)

ふと、人の声が聞こえたような気がした。
物思いに沈んでいたジークリートは、その首だけを、声の聞こえてきた方・・・自らの横たわる空洞の
入り口へと向けた。そのまま、じっと耳を澄ます。

(泣いて・・・いるのか)

しばらくすると、空洞の入り口へと繋がる回廊に、仄かな明かりが射すのが見えた。それは、徐々に
近付いてくるようだった。
ジークリートが光ある世界に別れを告げてから、もう随分になる。久しぶりに目にする光に目を細め
ながら、ジークリートはじっと待った。
数分後、空洞の入り口に小さな人影が姿を見せた。まだジークリートには気が付いていないらしく、
少しずつ空洞の中へと歩を進めてくる。

(やはり・・・人間か)

その人影が自らに近付いてくるのをぼんやりと眺めていたジークリートは、次の瞬間・・・大きくその目を
見開いた。
ランプの光に照らし出されたのは、一人の小さな女の子だった。
癖のある、肩までの赤い髪。南海の珊瑚を思わせる、桃色の服。
そう、それはまるで―――――

『・・・テラ!?』

次の瞬間、ジークリートは思わず叫び声を上げていた。
その声に、俯き、小さくしゃくりあげながら歩いていた女の子は顔を上げた。その若草色の瞳も、テラの
ものとよく似ていた。

(私は・・・夢を見ているのか・・・?)

「ひっ・・・!!」

呆然としたジークリートの目の前で、ランプの光の中に異形の姿を認めた女の子は、小さな悲鳴を
上げるとその場に座り込んだ。どうやら、腰を抜かしたらしい。

『ああ・・・済まない。驚かせてしまったか・・・』
「あ・・・あなたは、だれ!? あたしを・・・食べるの!?」

女の子の言葉に、ジークリートは苦笑いした。

『大丈夫、食べはしないよ。無論、今まで人間を食べたこともない。』
「ほ・・・ほんと?」
『本当さ。心配しなくていい。』
「・・・うん・・・。」

ジークリートがいきなり襲いかかってきたりしないことが分かったのか、女の子は少し落ち着いた
ようだった。
しかし、このままでは埒が明かないのも事実だった。元竜の姿は、竜を知らない人間を無意味に怯え
させてしまう。ましてや、相手はまだ年端も行かない女の子なのだ。竜人の姿の方が、何かと都合が
いいだろう。

『・・・少し、離れて待っていてくれ。今、姿を・・・』
「・・・?」
『・・・・・・。」

無言で、残り少ない力を解放する。竜人の姿になったジークリートは、よろめくとその場に片膝を
ついた。

「く・・・」

やはり、力が足りない。
年齢もあるが、それよりも・・・長い間食を絶っていたことが大きい。自分の力だけでは、人化して
いられるのも時間の問題だろう。
立ち上がれないでいるジークリートに、女の子が駆け寄った。そして、心配そうにその横顔を覗き込む。

「ど・・・どうしたの!? 苦しいの!?」
「ああ、いや・・・大したことはない。大丈夫だ・・・」
「うそ! そんなに青い顔をして!!」

やはり、似ている。・・・竜人である証の角と耳があれば、幼い頃のテラに瓜二つと言ってもいいだろう。
じっと自分の顔を眺めているジークリートの様子に、女の子は首を傾げた。

「・・・あたしの顔に、何かついてるの?」
「ああ・・・いや。何でもない・・・それより、座らないか。」

素直に頷いた女の子は、ジークリートの目の前にちょこんと腰を下ろした。
手にしていたランプが二人の間に置かれ、それぞれの姿を闇の中に浮かび上がらせる。

「君は、人間だな。・・・名前は、何と言うのだ?」
「あたし、メグ。あなたは?」
「私は・・・ジークリート。」
「・・・ジークリート?」

(もう一度、この名を呼ばれるときが来るとはな・・・)

目を閉じたジークリートは、次の瞬間ふっと体が軽くなるのを感じた。それは、まだ幼い頃・・・
リュディアに初めて名前を呼ばれたときと同じ感覚だった。

(まさか・・・)

「君は・・・」
「?」

不思議そうに首を傾げた女の子・・・メグには、確かに強い地の術資質があった。

(皮肉なものだな・・・死を目前にした、こんな時になって・・・)

「ところで・・・メグと言ったな。君は、何故こんな所に一人で来たのだ?」
「あたしのお父さんはね、地震とか、火山のことを調べてる学者さんなの。」
「学者?」
「そ! えらーい学者さんなんだから!」

メグは得意げに胸を張ってみせた。

「最近、この島で地震が多くって・・・もしかしたら、この山のせいじゃないかって。それで、それを調べに
きたんだよ。」
「そうだったのか。・・・それで、君もついてきたという訳だな?」
「うん。だって、お父さんのこと・・・大好きなんだもん!」

にっこり笑ったメグを、ジークリートは眩しそうに見つめた。
ジークリートは、ついにここまで妻帯することはなかった。当然、子供もいない。
もし、自分にも家庭があり、子供がいたなら。・・・こうして、満面の笑みで“好きだ”と言ってもらえたの
だろうか。

「では、この洞窟に入った理由は・・・?」
「えへへ・・・ちょっと、探検しようと思って。」
「やれやれ。困った子だ・・・」
「あー、あたしのことバカにしてるでしょ!?」

どうやら、当初のショックからは完全に立ち直ったらしい。
メグは頬を膨らませると、やおら背負っていたリュックサックを開け、その中身を地面の上に並べ
始めた。

「あたしだって、ちゃんと考えてるんだからね! ほら、これが磁石でしょ、地図でしょ、それに時計と・・・
予備のロウソクに、上着。それに食べるものだって持ってきたんだから!」
「ほう・・・なるほど、確かによく考えているな。」
「でしょ、でしょ!」
「でも、迷ったんだろう?」
「う・・・そ、それは・・・」

痛いところを突かれ、言葉に詰まるメグ。その慌てぶりに、ジークリートは思わずくすりと忍び笑いを
漏らした。
思えば、声を出して笑ったのも随分と久しぶりだった。もともと笑うことはあまり得手ではなかったが・・・
次々に仲間たちに先立たれ、最近では素直に笑い合える相手もいなかったのだ。
そのことを思い出し、沈んだ様子で押し黙ったジークリートに向かって、メグが尋ねる。

「ジークリートは・・・」
「ジークでいい。・・・もし、呼び難ければ。」
「・・・ジーク。」
「ああ・・・。」

自分のことを“ジーク”と愛称で呼んでくれたのは、かつての同期生たちと、その竜術士たちだけ
だった。懐かしさから、思わず涙が出そうになる。

「ジークは、どうしてここにいるの? ・・・もしかして、“山の精”!?」
「“精”・・・?」
「うん! お父さんが言ってたの。山や川や森には、みんなそれぞれに・・・それを守る精霊さんが
いるんだって。・・・もしかして、ジークもそうなんじゃない!?」
「・・・はは、違うな。私は、竜だ。」
「りゅう?」
「そうだ。元は、海の向こう・・・南大陸に住んでいたのさ。」
「ふーん。でも、それがどうしてこんなところに、一人でいるの?」
「それは・・・」

遠い目になったジークリートは、やがてぽつりと呟いた。

「好きな人がいた。だが、その人はもういない。」
「・・・・・・。」
「その人の墓が・・・この近くにあるんだ。だから、ここで・・・」
「・・・そっか。」

最後は、言葉にならなかった。
何故、こんなことまで話してしまうのだろう。ここで一人、静かに死ぬと心に決めてきたのでは
なかったか。まだ、自分の心に人恋しさが残っていたとは思いたくなかった。
この子が、地竜術の強い素質を持っていたからか。それとも、幼い頃のテラに生き写しだからか。
・・・もしかして、自分は―――――

(この子は、テラではない。テラで、あるはずがないんだ・・・)

複雑な思いを振り払うようにして、ジークリートは立ち上がった。

「さて・・・ここにいつまでもいる訳には行かないな。おいで・・・外まで送ろう。」
「道が、わかるの!?」
「ああ。私は地竜だからな・・・磁石は要らない。」
「すごい、すごいなー!」

ランプを持つと、ジークリートはゆっくりと歩き始めた。その後から、目を輝かせたメグがついてくる。
ここから外までは、一リーグ近くあるだろう。途中には、地底を流れる急流や切り立った崖など、危ない
場所がいくつもあったはずだ。考えてみれば、こんな小さな女の子がよくも一人でここまで辿り着けた
ものだ。

(まるで、師匠の昔を見ているようだな・・・)

ジークリートの育ての親であるリュディアにも、未知の場所に遮二無二突っ込んでいくようなお転婆な
ところがあった。いや、あれは“お転婆”と表現するには相応しくない・・・まさしく、“無謀”と言うべき
だろう。
微笑んだジークリートに、手を繋いで歩いていたメグが言う。

「ねえ、ジーク。」
「・・・何だ?」
「また・・・遊びにきていい?」
「・・・・・・。」

危険過ぎる。ジークリートの頭の中に最初に浮かんだのは、これだった。
幸い、大した怪我もなく自分の所に辿り付いたから良かったようなものの、一つ間違えば永遠にこの
洞窟の中を彷徨うことになっていたはずだ。そうでなくても、道中には小さな女の子には危険な場所が
いくらでもあるのだ。やはり、止めるべきだった。
しかし、ジークリートが口にしたのは、別の言葉だった。

「でも、お父さんがいるのだろう? 君がいなくなったら、心配するのではないか?」
「お父さんは、山を調べるので忙しいんだもん。毎日出かけっぱなしで、夜遅くにならないと帰って
こないの。」
「そうか・・・。」
「ねえ、いいでしょ?」
「そうだな。・・・では、こうしよう。君のお父さんが良いと言ったら、またここに来るといい。」
「ほんと!?」
「ああ。・・・必ず、お父さんに訊くんだぞ?」
「うん!」

帰りには、道標をつけながら歩かねばなるまい。
自らの隣を歩いていたメグの楽しそうな様子を眺め・・・ジークリートは、微かに頷いたのだった。


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