終わらない物語
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その日から、メグは毎日ジークリートの許を訪れるようになった。
朝早くから宿舎を出て、二時間近くをかけて道標を辿り、彼女は洞窟の奥深くまでやってくる。この
小さな“闖入者”を、いつしかジークリートは待ち望むようになっていった。
交わされる会話は、最初のうちは取り留めのないものだった。
自分の好きなもの。最近身近であった出来事。・・・主に語り手はメグだったが、その全てにジークリート
はじっと耳を傾けるのだった。
「あたしの夢は・・・お父さんみたいになることなの!」
出会った当初にジークリートが抱いた印象通り、メグは非常に活発な性格の持ち主だった。このまま
成長していけば、きっとリュディアのようにさぞかし“男勝り”になるに違いない。
だが、その性格のせいで・・・自らの師匠が随分と苦労を重ねてきたことも、ジークリートは目の
当たりにしている。そのことを指摘したジークリートに向かって、メグは堂々とこう言ってのけたの
だった。
「じゃあ、あたしが『お嫁さん』をもらうからいいもん!」
苦笑したジークリートは、黙って首を振っただけだった。これは、一筋縄では行きそうにないことが
分かったからだ。
*
それは、二人が出会ってから十日程が過ぎた頃のことだった。
「どうしたのジーク、食べないの?」
持参の弁当を頬張っていたメグが、掌の上に載せたミカンを眺めたままのジークリートに向かって
言う。
「口にものを入れたまま喋るなんて・・・行儀が悪いな。」
「なによ、ジークの・・・ッ!?」
尚も言い募ろうとしたメグは、次の瞬間喉を詰まらせ、目を白黒させ始めた。
「・・・ったく、仕方がない子だ。」
溜息をついたジークリートは、掌の上にあったミカンをそっと膝の上に置くと、優しくメグの背中を
叩いた。
このミカンは、本来メグの弁当にデザートとして付けられていたものだった。それを、何も物を食べ
ようとしないジークリートに、メグが「お腹が空くと大変でしょ」と半ば押し付けるようにして譲って
くれたのだった。
「ふ・・・しかし、こうしてみると、昔を思い出すな。」
「え? な・・・なにを?」
その声に、涙目になっていたメグは、相変わらずミカンを眺めているジークリートの方を振り向いた。
「ああ、いや。友人にな、果物を作るのが趣味の奴がいて・・・随分と色々なものを食べさせられたもの
だった。」
「ふーん。・・・ジークは、果物がきらいなの?」
「いや、そういうことはないが・・・何故だ?」
「そのミカン、いつまでたっても食べないから。・・・もしかしたら、きらいなんじゃないかって。」
「・・・・・・。何だか、食べてしまうのも勿体ない気がしてな・・・。」
「もう、遠慮しなくていいの! もし気に入ったなら、また持ってきてあげるから!」
「そうだな・・・。では、頂くとしようか。」
頷いたジークリートが、膝の上のミカンに手を伸ばしたとき・・・不意に地面が大きく揺れ始めた。
その弾みに、ミカンは地面へと転がり落ちてしまったが、ジークリートにそれを気にしている余裕は
なかった。
「メグ! こちらへ・・・」
空洞の天井から、一抱えもありそうな岩が次々に落下してくる。メグを抱き寄せたジークリートは、
自らの地竜術でそれを粉々に打ち砕いた。
「・・・大丈夫か?」
「あ・・・うん。でも・・・」
「・・・そうだな。」
その日の揺れは、いつになく大きかった。そして、今も小さな揺れが収まることなく続いている。
この数日は、かつてのような地鳴りや揺れは鳴りを潜めていた。その間に、この山は噴火のための
エネルギーを溜め込んでいたのかも知れない。
(遂に、始まったか・・・)
「・・・ジーク?」
「メグ。よく聞くんだ。」
ジークリートの表情がいつになく引き締まったことに気付いたメグが、不安げにその名前を呼ぶ。
小石が絶えることなく降り注ぐ中、ジークリートはその場に片膝をついた。メグの肩を掴むと、その目を
じっと見据える。
「この山は、もうすぐ噴火するだろう。君は、すぐに戻って・・・お父さんにこのことを知らせるんだ。」
「うん。でも・・・ジークは?」
「私は、ここに残って・・・噴火を少しの間抑えようと思う。・・・皆がこの島から逃げるために、時間が
必要だろう。」
「そんな!! ジーク、死んじゃうよ!? 一緒に逃げようよ!!」
二人がいる空洞は、火山の中心部から程近い場所に位置していた。もしミトラ火山が噴火するような
ことになれば、ここは最初に溶岩で埋め尽くされることになるはずだった。
目に大粒の涙を浮かべたメグは、イヤイヤをするように大きく首を振る。そんなメグに向かって、ジーク
リートは優しく微笑みかけた。
「大丈夫だ、私は死なない。・・・前に話しただろう? 地竜である私には、この噴火を抑えることの
できる力があると。」
一時だけ、という言葉は飲み込んで続ける。
「それに、見ず知らずの私の言葉では・・・周りの人たちに分かって貰うために、多くの時間が必要に
なる。だが、君のお父さんなら・・・」
「でも・・・でもっ!!」
「君のお父さんが、君の言った通りの人ならば・・・今、この山に何が起ころうとしているのか分かって
くれるはずだ。」
「ジークぅ・・・」
「さあ・・・行くんだ。もう、時間がない。」
「・・・うん!」
「よし、いい子だ。」
唇をキッと結んだメグは、自らの頬を乱暴に拭うと頷いた。その頭を優しく撫でたジークリートは、
立ち上がるとメグに背を向けた。
「メグ!」
空洞の入り口。立ち止まり、振り向いた気配があった。
振り返らずに、ジークリートは言葉を続ける。
「メグ。・・・私のことが、好きか?」
間髪入れず、メグは大きく頷いたようだった。
「最後に一つ、約束をしよう。」
「約束・・・?」
「そうだ。」
ジークリートは頷いた。その間にも、辺りを震わす揺れは益々大きくなっていく。
「無事に再会できた暁には・・・君を、私の故郷に連れて行こう。」
「故郷?」
「ああ。コーセルテルという・・・私が小さい頃を過ごした場所がある。静かで平和ないいところだ。
是非、君にも見て貰いたい。」
「あたし・・・待ってる。ジークが迎えに来てくれるのを、待ってるからね!」
「ああ、約束だ。」
ぱたぱたと小さな足音が遠ざかる。
しばらくの間、黙ってその場に立ち尽くしていたジークリートは、やがて小さく首を振ると呟いた。
「やれやれ・・・。初めて、嘘をついてしまったな。」
空洞の奥に向かいかけたジークリートは、そこで束の間自らの姿に目をやった。
節くれだった、皺だらけの手。そして、しわがれた声。
自分は長く生き過ぎた。その思いだけが、消し難くある。だが・・・それも今、やっと終わる。
「さて・・・やるか。」
オノトア島は、その中央が大きく窪んだ不思議な形をした島である。その理由は、有史以前から数千年
単位で噴火を繰り返してきたこのミトラ火山にあった。噴火が収まった後、地下にできていた大きな
溶岩溜まりが陥没した結果、こうした地形ができたと考えられている。
前回の噴火は、宮廷に残されていた資料によれば真竜暦紀元前四千年頃。その凄まじい爆発に
よって、当時のオノトア島の三分の一が吹き飛んだという記述が残されている。今回も、放っておけば
島が吹き飛びかねない大噴火を起こす可能性があった。
火山の中心部に一番近い岩壁の前に立ったジークリートは、残されていた全ての力を解放した。
しかし、周囲を揺るがす震動は収まる気配を見せない。
(やはり・・・無理か!)
本来ならば、溶岩の動きをコントロールするには火竜と地竜の同調術が必要だった。地竜である自分
だけの力では、そう長くは保たない。ましてや、高齢で衰弱した自分に残された力では・・・噴火は
時間の問題だった。
しかし、この島にはテラの墓がある。
そして、メグ。無事にあの子がこの島から避難するまで、何としても時間を稼がなければならなかった。
(ここに・・・テラがいてくれたなら・・・)
地面に膝をつき、荒い息をついていたジークリートは・・・次の瞬間、誰かに肩を支えられるのを感じた。
続いて耳に届いたのは、もう聞くことのできないはずの声。
『もう・・・ジーク、最後の最後まで不器用なんだから。』
「・・・テラ!?」
『ほら、わたしも手伝うから。もう少し、頑張ろう?』
驚いて振り向いたジークリートの瞳に映ったのは、若かりし頃のテラの姿だった。
口をぽかんと開けたまま、ジークリートはテラをまじまじと見つめた。その笑顔が、たちまちのうちに涙で
滲んで見えなくなっていく。
「テラ・・・。戻ってきてくれたのか・・・?」
『ええ。・・・あなただけを残していけないわ。』
「・・・ありがとう・・・」
『ほら、何やってるんだよ! こんな火山、さっさと黙らせちゃいなよ!』
『そうよー! ジークらしくないわよ、こんなところで泣いちゃって!』
「!?」
振り向くと、いつの間にか・・・ジークリートの背後にはかつての同期生たちが勢揃いしていた。
皆、テラと同じく若い頃の姿のままである。
『あーでも、これは実験対象としてはもったいないかも・・・』
『・・・一人でやれば。』
『あはははは! 最後まで、フィリックは実験のことばっかりだね!』
すぐに何でも実験に結び付けるフィリックに、容赦なく突っ込みを入れるロア。楽しそうに笑う
シゼリアと、それを呆れた様子で眺めるルクレティア。木竜兄妹の邪笑いすら、今は懐かしい。
・・・何もかもが、昔のままだった。
「皆・・・来てくれたのか・・・」
『ええ! あなた一人だけ、放っておけないでしょう?』
「私は、良い友に恵まれたな・・・」
『もう・・・今更、何を言ってるのよ!』
微笑んだルクレティアが言う。同期生たちに向かって微笑み返そうとしたジークリートは、自分も昔の
・・・まだ少年だった頃の姿に戻っていることに気が付いた。
「そうか・・・私は、死んだのだな?」
『さあ・・・ジーク。最後の仕事が、残ってるよ。』
「テラ・・・。・・・そうだな。よし、もう一仕事だ。」
『うん。』
にっこりと微笑んだテラは、ジークリートの隣で火竜の力を解放した。
同調術。たちまちのうちに、辺りを揺るがすばかりだった震動が収まっていく。
(そうだ・・・これでいい)
微笑んだジークリートは、隣に立っていたテラを静かに抱き締めた。
『おかえり・・・ジーク。』
やがて、視界が真っ白な光に包まれる。
ジークリートの意識は、そこで途絶えたのだった。
***
真竜暦五九三年。オノトア島にあるミトラ火山は、数千年ぶりにその活動を再開した。
史料にある通りその噴火は激烈なもので、噴火口が出現した同島の北西方向には、遠くイーグルまで
噴石が届いたという。噴煙は凡そ十万リンクに達し、この年の世界の気候は大きく冷え込むことに
なった。
ただ、不思議なことに、噴火の予兆があってから実際の噴火までには約半日のずれがあった。
その間に同島の住人は避難を完了し、奇跡的に犠牲者はなかった。噴火の際に流れ出した溶岩も、
同島の中心部を避けるように流れたために、島の主要部分への被害もほとんどなかったのである。
これは二年前に崩御した前竜王、火竜王グラシノーラの加護の賜物だろうというのが、世間の
もっぱらの噂である。