Se.le.ne  1     

Se.le.ne


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地竜ノルテの一日は、木剣の素振りから始まる。

(・・・?)

その日、いつものように愛用の木剣を携えて地竜術士の家の勝手口から出てきたノルテは、ふとした
違和感を感じて首を傾げた。そのまま建物の横を通り抜け、玄関前をそっと窺う。
果たして、地竜術士の家の前には見慣れない人影があった。
露出の多い、薄手の衣装に褐色の肌。随所に着けられた煌びやかな装飾品が、降り注ぐ朝陽に眩しく
輝いている。一際目を引くのが、手にしている長い槍と、腰に携えられた半弓だった。その隙のない
身のこなしから、かなりの遣い手であることが分かる。
ノルテがここまで見て取ったときだ。辺りを見回していた相手が、ノルテの気配に気付いたらしい。
振り向いた相手が、笑顔でノルテの方へと近付きながら声をかけてくる。次の瞬間、ノルテは思わず
我が目を疑うことになった。

「ああ、良かった。少々尋ねたいことが―――――」

笑顔を向けてきた相手の姿形は、何と地竜術士のアリシアとそっくりだったのだ。唯一の違いは
黄金色の髪だけで、それ以外は所作や声までが本人と瓜二つ。しかし、世の中にこれ程までに
似ている相手がいるものなのか。

「誰!?」

ノルテの勘は、この相手をはっきりと“危険だ”と判断していた。ならば、為すべきことは一つしかない。
混乱しながらも、家の陰から出ると相手に向き合い、手にしていた木剣を油断なく構える。怪しい
人影を見付けた場合、それを打ち払い、アリシアや妹たちを守るのは自分の務めだった。長年の
剣術の修行は、こうした事態に備えて積んできたのだ。
一方の相手は、構えられた木剣に目を留めるとその歩を止めた。細められた眼が強い光を帯び、
小柄な全身から凄まじい闘気が放たれる。

「それは、何の真似ですか? 武人に刃を向けることの意味を・・・貴方はご承知の上なのでしょうね?」
「問答無用!!」

次の瞬間、地を蹴ったノルテは相手に向かって突っ込んでいった。
相手の武器は長柄の槍。間合いに勝る分小回りは利かず、剣相手の戦いでは胸元に踏み込まれれば
分が悪いはずだ。
それだけではない。今の言葉からも察せられる通り、相手は戦場での場数も豊富に踏んでいる
はずだ。経験の差が出る長期戦になれば間違いなく不利であり、ノルテに残された道は即断速戦しか
なかったのだ。

(どう、だ―――――!)

しかし、相手はノルテの想像を遥かに超えた、凄腕の遣い手だった。
素早く身構えた相手は、ノルテの打ち込みを手にした槍の柄で受けると、次の瞬間何とその石突きで
ノルテの手をしたたかに払ったのだ。次の一撃で、弾かれた木剣が空中へと舞い上がる。

「ぐッ・・・!」

両腕に走った激痛に顔を歪めながらも、ノルテは身を翻すと懸命に木剣の後を追った。
戦場で武器を手放すことは、自ら死を選んだのと同じことだ。・・・これは、かつてノルテに剣を教えて
くれた、水竜術士ヴィーカの言葉だった。
そうだ。アリシアや妹たちを守ると決めた自分は、最後の最後まで諦めてはいけないはずだ。

(もう、少し・・・ッ!?)

ノルテの手が木剣に届くと見えた瞬間、その指の間を光が駆け抜けた。その光に、木剣が乾いた音を
立てて弾き飛ばされる。

「そこまでです!」

ちらりと振り向いたノルテの目に映ったのは、半弓を構えた相手の姿だった。既に弓には二の矢が
番えられており、その鏃はノルテに向けられていた。

「武人に刃を向けるということは、その誇りを懸けて命の遣り取りをするということ。お覚悟はよろしい
ですね?」
「―――――ッ!!」

完敗だった。これまでの十数年、日々積み重ねてきた鍛錬は、結局のところ何の役にも立たなかった
のだ。
唇を噛み締め、がっくりと項垂れるノルテ。騒ぎを聞き付けた地竜術士のアリシアが玄関先に姿を
見せたのは、このときだった。

「ノルテ!」

ノルテに駆け寄り、その身体を抱き起こすアリシア。矢を箙に収め、二人の傍らに歩み寄ってきた
相手が、アリシアに向かって深く頭を下げた。

「一体、これは何事ですか!?」
「地竜術士殿とお見受けします。・・・そちらは、貴方の預かる地竜だったのですね。一騎討ちを
挑まれたので、受けて立ったところです。」
「一騎討ち・・・?」
「恐らく、見知らぬ私から竜術士殿を守ろうとしてのことでしょう。その心意気に免じて、大きな怪我を
負わせることは避けました。」
「・・・ノルテ、本当なの?」
「・・・―――――ッ!」

顔を上げた相手の言葉には、労わるような響きがある。戸惑った顔になったアリシアに尋ねられ、
ノルテは俯いた。
無理もない。全身全霊を懸けて挑み、完膚無きまでに叩きのめされた先程の勝負が、実は手加減
されていたと分かったからだ。しかも、どうやら相手に害意はなく、全てが自分の早とちりだった
ようなのだ。
一人で空回りした自分が、ひどく滑稽に思える。情けなさ、悔しさ・・・そして、アリシアへの申し訳なさ。
そうした様々な感情に苛まれ、ノルテは思わず涙を浮かべた。
そんなノルテの様子に、全てを察したのだろう。小さく溜め息をついたアリシアが、改めて相手に
向き直ると小さく頭を下げた。

「事情は分かりました。どうやら、お詫びをしなければならないようですね。・・・どうか、ノルテを許しては
くれませんか。」
「無論のこと。私に他意がないと、分かってもらえれば良いのです。」
「ありがとうございます。・・・それで、あなたは?」
「これは申し遅れました。我が名はセレネ、夏の精霊王の一人娘です。この地には、ある人を探しに
参りました。」
「人・・・?」
「ひっ・・・姫様!?」

首を傾げるアリシア。その背後で素っ頓狂な声が上がったのは、このときだった。
戸口に立っていたのは、夏の精霊のテーセウスだった。かつてアリシアをこのコーセルテルに運んだ
のも彼であり、二人はその時からの付き合いだった。その縁で、一軍の指揮官となったテーセウスは、
こうして休暇の度にアリシアの許を訪ねてくるようになったのだった。
テーセウスの姿を目にしたセレネが、つかつかとそちらへと歩み寄った。慌てふためく相手を、正面
から見据えながら言う。

「見付けましたよ、テーセウス。・・・今や我が国の最強部隊、フェーンの頭首がこのようなところで何を
しているのですか。」
「そっ・・・それは・・・! しかし、私は正式に申し出た休暇の最中で・・・。恐れながら、私がどこで
過ごそうと、それは関係のないことでは―――――」
「お忘れですか、テーセウス。ここは、精霊たちにとっても特別な地・・・コーセルテルです。あまつさえ
貴方は、人間である竜術士の家に寄寓しているというではありませんか。一体これは、どういうこと
なのですか?」
「それは・・・」
「国では、貴方が人間に恋慕しているのだと・・・そのような者に頭首は任せられぬと、そのような話も
出ているのです。仮にも一軍の頭首に選ばれた身、そのような話を信じる私ではありませんが、父に
讒言する者がいるのもまた事実です。父はただ笑っておりましたが、その一人娘として、そして国の
将来を案じるものとして・・・事の真相を確かめる必要があると判断し、貴方の後を追ってきたのです。」
「・・・・・・。」

口をあんぐりと開け、その場で固まったテーセウスの顔色は真っ青だった。
その様子を一瞥したセレネが、傍らでハラハラしながらこの遣り取りを見守っていたアリシアの方を
振り返った。

「このような事情なのです。父の為、そして国の為・・・私はテーセウスの挙動をしっかりと見定め
なければなりません。願わくば、しばらくの間この家に逗留することを、認めていただけないで
しょうか。」


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