Se.le.ne
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「ふっ!」
「ッ!」
がっ。
槍の柄を受け止めた木剣が、鈍い音を立てる。すっと身を沈めたノルテは、次の瞬間大きく一歩を
踏み出すと、素早く木剣を横に薙いだ。
しかし、手応えはなかった。相手の影は、既に跡形もなくノルテの前から消え失せていたからだ。
(まだ、まだ―――――!)
そのまま、地面を蹴ってくるりとその場で回転する。視界の端で捉えたのは、槍を構えた相手の姿。
その首筋を狙って、大きく踏み込みながら木剣で斬り上げる。
ノルテの木剣が相手の首筋に到達するのと同時に、ノルテの喉元に槍の穂先がぴたりと突き付け
られた。息を詰めた相手が、一瞬驚いた表情を浮かべる。
「これまで・・・ですね。」
「ありがとう、ございました。」
剣を退き、ノルテはぺこりと頭を下げた。こちらも槍を退いたセレネが、真面目な顔で頷いた。
「腕を、上げましたね。最後はどう対処しようか、一瞬迷ってしまいました。」
「そう、ですか・・・?」
「ええ。さあ、少し休みましょうか。」
「はい・・・。」
並んで、中央湖を見下ろす丘に腰を下ろす。吹き抜ける涼しい風が、火照った頬に心地よい。
セレネがアリシアの家に逗留するようになって、今日で一週間。ノルテに乞われるまま、午後の一時間
ほどを割いて、セレネは連日剣の訓練の相手をしてくれるようになった。
毎年のように実際に戦場に出ているというセレネの“手ほどき”は、決して甘いものではなかったが、
それだけに学び甲斐があるものだった。初めて触れる“実技”の数々を、ノルテは貪欲に吸収して
いった。その成長ぶりは、セレネが驚くほどのものだった。
懐から取り出した布で、愛用の木剣の手入れをする。そんなノルテの様子を隣で見守っていた
セレネが、にっこりと微笑んだ。
「ノルテさんも、随分と熱心ですね。我が配下にこれ程熱心な者がいれば・・・と、羨ましくなってしまい
ます。」
「そう、ですか?」
「ええ。夏の都では、武術はその者の価値を決める最も大事なものなのですが・・・残念ながら、貴方
程真剣に武術のことを考えている者は稀なのです。」
小さく溜め息をつきながらここまで言ったセレネが、改まった様子でノルテに向き直った。
「一つ、尋ねても構いませんか?」
「何で、しょうか?」
「初めてお会いしたときから、不思議に思っていたのです。・・・このコーセルテルは、今や戦とは縁遠き
地。生きていくために武術が必要とは、とても思えません。一体何が、貴方をそこまで武術の修練へと
駆り立てているのですか?」
「強く、なりたい、からです。」
間髪入れず、ノルテは即答した。セレネの琥珀色の瞳をじっと見据えながら、一言ずつはっきりと言う。
「強く・・・?」
「わたしは、昔、誓いました。アリシアや、妹たちを、守ると。しかし、あなたには、全く歯が、立た
なかった。・・・世の中には、あなたのような、強い相手が、まだまだ、いると、思います。どんな、
相手からも、皆を守れる、ように・・・わたしは、まだまだ、強くなりたい。」
「そうでしたか・・・。」
頷いたセレネが、どこか気の毒そうな様子で小さく首を振った。
「申し上げにくいのですが、それは無理というものです。」
「そう・・・でしょうか?」
「ええ。人には、持って生まれた才能というものがあります。どのような努力を重ねたとしても、その才能
以上の力は決して発揮できないものなのですよ。」
「・・・・・・。わたしは、武の、才能に・・・恵まれて、いませんか?」
「そうは申しません。事実、私が今まで見てきた者たちの中でも、貴方程の武力を備えた相手は、
ほんの一握りです。・・・しかし、“この世の全員に勝つ”ことは、実際難しいでしょうね。」
「・・・・・・。」
俯くノルテ。その隣で遠くを見る眼になったセレネが、やがてぽつりと呟いた。
「強さとは・・・力とは、一体何なのでしょうね。」
「?」
「そう言えば、私がここ・・・コーセルテルに来た本当の理由を、まだ話していませんでしたね。」
「テーセウスさんの、ことを、調べに、きたのでは?」
「確かにそれもありますが、あくまで表向きの理由に過ぎません。そうとでも言わなければ、国許を
離れる許可は出なかったでしょうし・・・。」
歯切れの悪い調子でここまで言ったセレネは、どこか躊躇う様子だった。再び相手が口を開くのを、
ノルテはじっと待った。
「・・・私は、迷っているのです。」
「迷って、いる・・・?」
「ええ。私は、夏の精霊です。我々の間では、強さが全て。弱い者は、その存在意義さえ無いと・・・私は
長い間、そう考えてきました。現に殆どの夏の精霊は、今でもそう考えているはずです。」
「・・・・・・。」
「しかし、テーセウスがいました。彼は、落ち零れの吹き溜まりであった“フェーン”を、ほんの僅かな
期間で夏軍一の精鋭に育て上げたのです。」
目を落したセレネが、手元にあった数本の草を引き抜いた。空中に投げ出されたそれは、辺りを
ざあっ・・・と吹き抜けた風によって、丘の下の方へと運ばれていった。
「当時フェーンの隊員だった者たちは、他軍で見捨てられた者ばかりでした。軍を志しながら、あるいは
自らの才能の限界から、あるいはその性格の軟弱さから・・・そしてまた、あるいは理不尽な上官や
同僚からの迫害に耐えかね、そこから逃げ出した者たちばかりだったのです。それがまさか、あれ程の
戦果を挙げることになるとは・・・。」
「・・・・・・。」
「それを目にした私は、こう思わざるを得ませんでした。世の中には、武力とは違う強さが存在するの
ではないかと。・・・しかし、フェーンの視察を重ねても、そこには以前と変わらぬ隊員たちの姿がある
だけでした。驚くほど武術の腕を上げた訳でも、また果敢な性格に変わった訳でもない。正直、私には
訳が分からなかったのです。そんな折、テーセウスが休暇の度にコーセルテルに出掛けていくという
ことを耳にしました。この地に何か、彼の“強さ”の元になるものがあるのではないか。そう思い、矢も
楯も堪らず、彼の後を追ってきた・・・というのが本当のところなのです。」
「・・・何か、見付かり、ましたか?」
「ええ。ここで過ごす間に、私も色々と教わりました・・・ノルテさん、貴方に。」
「わたし、に?」
不意にセレネにじっと見つめられ、ノルテは驚いた顔になった。
「さらなる高みを目指すために、自らの武技や術に磨きをかける。その点については、我々夏の
精霊も、ノルテさん・・・貴方も何ら差はありません。しかし、その目的に大きな違いがあることに、
私は気付いたのです。」
「どういう・・・ことでしょうか?」
「何の為に、力を得ようとするのか。そこに、我々と貴方たちでは大きな差があるということです。・・・
ノルテさん、貴方は折に触れて私に語ってくれましたね。アリシアさんや、妹さんたちを守りたい。
その為に自分は武術の訓練をしているのだと。・・・しかし、我々夏の精霊の間には、そのような
考え方はないのです。自らの武術を極め、その武威によって他者を思いのままにする。それが
究極の目的であり、根本的に“自分の為”に力を揮うという考え方なのですね。まあ、結果的に
それが夏軍の戦果に結び付いているということは、否定はできませんが・・・」
僅かに俯いたセレネが、丘の下に視線を向ける。その先には、午後の陽光に煌く中央湖の湖面が
あった。
「しかしそれでは、弱い者は切り捨てられるだけ。武器の扱いの他にも、活かせる能力はあるはず
なのに・・・。それは、夏軍にとって・・・いえ、私たち夏の精霊にとって、大きな損失ではないかと、私は
思うようになったのです。」
ここで顔を上げたセレネは、どこか吹っ切れたような笑顔を浮かべていた。心持ちノルテの方に身を
寄せると、内緒話のように耳に口を寄せる。
「ここに来て、一つ決心したことがあります。私は、次の夏の精霊王を目指すことにしました。」
「夏の都の、王さま、に・・・。」
「はい。夏の精霊王になる為には、その候補者たちと戦い、その中で最後まで勝ち残る必要が
あるのです。有史以来、女の夏の精霊王が極めて稀なのはその為なのですが・・・私は、この壁を
打破したい。そして、無事に夏の精霊王になることができたなら・・・ここで貴方から学んだことを、
夏の都に広めたいと思っています。長い目で見れば、それが夏の精霊たちの為になると思うから
です。」
「・・・はい。」
「その際には・・・ぜひ、夏の都に遊びにいらっしゃい。都を上げて歓迎します。」
「え? でも・・・わたしは―――――」
「申し上げたはずです。貴方ほどの武力を具えた者は、ほんの一握りだと。・・・貴方にその気が
あるのならば、今すぐ夏軍の誇る八頭の頭首にもなれるのですよ。」
笑顔で頷いたセレネが、胸元から一枚のメダルを取り出した。細かい装飾の施された金のメダル
には、その中央に翠の大きな宝玉が嵌め込まれていた。その上端には銀の細い鎖が付けられて
おり、首飾りとして身に付けられるようになっている。
「その証に、これを差し上げましょう。」
「これ、は・・・?」
「私が率いる夏軍の近衛隊、アリゼ・マリティムの隊員章です。同族以外の者にこれを授けるのは
初めてのことですが、貴方の腕前を目にすれば、いかなる夏の精霊も納得するであろうことを・・・
私が今ここで、我が名に懸けて請け合います。」
「でも・・・いいん、でしょうか。」
「ええ。ぜひ、我が隊の“名誉隊員”になってください。」
「・・・はい!」
メダルを握り締め、滅多に無い笑顔を浮かべるノルテ。その様子を眩しそうに見つめていたセレネが、
勢いよく立ち上がった。その瞳には、どこかいたずらっぽい光がある。
「さあ、帰りましょうか。あまり遅くなると、アリシアさんとテーセウスを心配させてしまいますからね。」
「はい。」
「そうそう、言い忘れていましたが・・・」
「?」
「これからも、ここコーセルテルに夏軍が駐留することがあるでしょう。その際、態度の悪い者には
それを示し、頭から叱りつけてやりなさい。遠慮は無用です・・・それだけの権利を、貴方はお持ち
なのですから。」