好き
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「でよ、そこでオレも切れちまったってワケよ。・・・お、これ美味いな。後で作り方教えてくれよ、トト。」
「おい、チェスター。連絡もなしに、いきなり押しかけて来てるんだぞ? 少しは遠慮しろ。」
「いいじゃねえか、固えこと言うなよ。オレとおまえの仲だろ。・・・おう、コレお代わりな。」
「おまえな・・・。いい加減に―――――」
「トト。いいから、持ってきてあげて。」
チェスターのあまりの傍若無人さに血相を変えたトトを、カレルが言葉少なに制す。憮然とした様子で席を立ち、台所へと向かったトトの後姿をちらりと見たチェスターが、カレルに向かってニッと笑った。
「さっすが、カレルだぜ。よくわかってるじゃねえか。」
「遠慮しなくていいよ。ああ見えて、本当はトトも嬉しいんだから。」
「だよな。じゃ、遠慮なくいただくぜ。」
少し遅めの朝食中だった暗竜術士家に、チェスターがひょっこり姿を見せたのは、今から三十分程前のことだった。
ここ最近、チェスターは何かと理由をつけては暗竜術士家に入り浸ることが多くなっていた。大抵はスプラとの他愛ない言い争いが発端だったが、その頻度は徐々に上がり、ここのところは二週間と置かずに顔を見せるようになっていた。光竜術士の息子の“家出”は、今やコーセルテル内の社会問題の一つになりつつあった。
「あー、食った食った。トト、ごっそさん!」
「・・・・・・。一応、言っておくが。ここは暗竜術士の家で、光竜術士の家じゃないんだぞ。その、当たり前のような顔をやめろ。」
「はっはっは。ま、気にすんなよ。」
「まったく・・・。」
呆れ返った様子のトトが、食後の紅茶をティーカップに注ぐ。早速といった様子でカップに口を付けたチェスターの向かいで、カレルが背後の窓の方を何気なく振り向いた。
「あ、降り出してきたかな。」
「いやー、危ねえとこだった。ほら、風竜は雨嫌いだろ? 風竜術士の家に着くまでに降り出したら、どうしようかと思ってヒヤヒヤしたんだぜ。」
「そうか。今日も、誰かに送ってもらったんだね。」
「当たり前だろ。オレらの家は、コーセルテルの端と端にあるんだぜ? 歩きだと、それだけで半日かかっちまうぜ。」
「ふふ。それもそうだね。」
大袈裟に肩を竦めたチェスターの仕草を目にして、カレルはくすりと笑った。家出の度にそれに付き合わされる風竜たちは、さぞかし大変だろう。
「でも、チェスターも色々と大変だね。」
「まったくだぜ。何せ、うちじゃ家事はほとんどオレがやってるんだぜ? 役にも立たねえくせに、光竜どもは四六時中まとわりついてきやがる。その上、親父の差し金で剣術の訓練にも出ねえといけねえし。で、極めつけが、あのスットコドッコイの光竜術士だぜ? もう、悲惨って一言しか出てこねえよ。」
「悲惨って・・・。まあ、スプラさんのことはともかく・・・家事はチェルシーさんたちにも手伝ってもらうようには、できないのかな?」
「一応、当番制にはなってんだけどよ。ただ、あいつら家事の才能ねえよ。・・・覚えるまで根気よく付き合ってたら、こっちがハゲちまう。」
「はは、は・・・。」
チェスターのあけすけな言葉に、カレルは苦笑いした。
口は悪いが根は真面目なチェスターにとって、他人をからかうのが生き甲斐と言って憚らないスプラとの生活は、大きな精神的苦痛を伴うに違いない。しかもそれが実の母親と来ているのだから、始末が悪いことこの上ない。そして、それに家事や剣術の訓練の負担が加わるのである。時にはこうして、溜まった鬱憤を発散する場が必要になるのは、けだし当然と言える。
一通り不満をぶちまけたチェスターが、少し落ち着いた様子になると、目の前に置かれた自分のカップに手を伸ばした。それを微笑みながら眺めていたカレルは、やがてぽつりと呟いた。
「でも、そういうの・・・ちょっと、羨ましいかな。」
「あん? 今、なんつった? ・・・羨ましいって聞こえたのは、オレの空耳だよな?」
「まあ、スプラさんはちょっとやり過ぎだと、僕も思うけど・・・。でも、僕には母さんとの思い出って、ほとんどないからね。」
「へえ、そうなのか。・・・そういや、おまえは親父さんと一緒にここに来たんだったっけな。あれは、確か―――――」
「うん。今から、四年前のことだよ。」
「ま、危ねえってわかってるんだ。女は連れてこねえだろ。・・・ってことは何か。おまえのお袋さんは、外界で暮らしてるってことになるのか?」
「うん。多分・・・ね。」
「多分だあ? んだよ、はっきりしねえな。手紙、出してるんじゃねえのか?」
「・・・・・・。」
カレルの当を得ない返事に、チェスターが片眉を上げる。俯き加減になったカレルは、手元のティーカップを見ながら、ゆっくりと言葉を継いだ。
「物心ついた頃から、父さんと母さんは喧嘩ばかりしてたから・・・。僕も、母さんに優しくしてもらった記憶は、ほとんどないんだ。」
「何だそりゃ。おまえの親父さんとお袋さん、仲が悪かったのか?」
「分からない。・・・最初は多分、そんなことはなかったんだと思う。」
チェスターの問いに、カレルは小さく首を振った。
「父さんは、学者だったけど・・・竜の存在を信じて、ずっとコーセルテルのことを研究していたんだ。でも、それを信じない人たちからは、嘘つきだ、詐欺師だって馬鹿にされてた。・・・多分、母さんはそれに耐えられなかったんだと思う。」
「あ・・・。悪い、オレ・・・そんなつもりじゃ―――――」
「うん。分かってる。・・・こっちこそ、変な話してごめん。」
「いや、そこはおまえが謝るトコじゃねえだろ。・・・ったく、おまえは変なところで真面目だよな。」
「でも、チェスターの話を聞いてると、自信なくなってくるよ。実際に母さんと一緒に暮らしてたら、僕も今頃、チェスターと一緒になって愚痴を言ってたかも知れないし。・・・母親なんて、他人のを見て、羨ましがってるくらいがいいのかも、ね。」
目元を和ませたカレルの言葉に、決まり悪そうにしていたチェスターが満面の笑顔になる。
「カレル・・・。・・・おまえは、ほんとにいいヤツだな。」
「そうかな?」
「ああ。オレ、おまえが友達になってくれて、本当によかったと思ってる。・・・これからも、よろしく頼むぜ。」
「うん。こちらこそよろしくね、チェスター。」
「おう!」
差し出された手を、がっちりと握り合う。顔を見合わせた二人は、やがてどちらともなく笑い合ったのだった。
*
午前中に降り出した雨は、午後に入って本降りになった。それと共に、気温もかなり下がってきたようだ。
「食事の次は、これか。・・・いいご身分だな、まったく。」
居間の窓の前に立ち、雨に煙る外の風景に目をやっていたカレルは、トトの声に振り向いた。視線の先、居間のソファの上では、チェスターが盛大に昼寝の真っ最中だった。
「んが・・・。・・・もう、食えねえ・・・。」
「おれには、信じられん。一体どういう神経をしてるんだ、こいつは。」
「きっと、疲れが溜まってるんだよ。・・・トト、寝かせておいてあげてよ。」
「まあ、おまえがそう言うなら・・・。」
溜息をついたトトが、それでも不承不承頷く。寝室から持ち出してきた毛布をチェスターにかけ、カレルはトトに部屋を出るよう目顔で促した。
「カレル。前から言おうと思っていたんだがな。」
「うん、分かってる。チェスターに、もっと厳しくしろって言うんだよね?」
食堂のテーブルに、向かい合って座る。早速といった様子で口を開いたトトに向かって、カレルは頷いた。
「そうだ。いくら友達だといっても、あまり甘やかすとあいつのためにならない。それくらい、おまえだってわかっているはずだ。」
「・・・・・・。」
「大体な、毎週のようにここに来られてみろ。その度にこうして引っかき回されると、色々と滞ることもあるんだ。・・・それに、イトカのこともある。万が一、力の暴走が起こったりしたら、あいつの身が危険に・・・おい、聞いてるのか、カレル?」
「ねえ、トト。・・・トトは、僕が術士の修行を終えたとき、何て言ったか覚えてる?」
「何だと?」
途中から何か考える様子だったカレルが、不意に言った。その予想外の問いに、トトが驚いた顔になる。
「そうだな。・・・確か、術士になるかは自分で決めろと。父親は父親、おまえはおまえだ・・・そんな意味のことを言った気がするが。」
「うん。それで、僕は自分の意志で術士になるんだって、トトに答えたよね。」
「そうだったな。・・・しかし、それが今の話と、何か関係があるのか?」
「・・・・・・。トトは、言ったよね。僕には、外界に戻るって選択もあるって。その場合、コーセルテルの記憶は消されちゃったとは思うけど・・・故郷に戻れば、親戚も知り合いもいる。普通に生きていくことは、多分できたと思うんだ。」
「カレル。一体、何を言いたい。」
「でも、チェスターの場合はどうかな。チェスターのお父さんは、光竜族守長のシェザールさんだし、お母さんは光竜術士のスプラさんなんだから、どう考えても光竜術士になる道以外ないんだ。外界に出るって言ってみたところで、チェスターはコーセルテルのことしか知らないし、外界に知り合いがいるわけでもない。・・・どんなに嫌でも、チェスターはコーセルテルから出ることはできないんだよ。」
「それは、まあ・・・そうだろうが。」
「それに、チェスターは光竜の血を半分引いてるからね。将来は、光竜族のだれかと結婚することになると思う。暗竜ほどじゃないけど、光竜も術士のなり手は少ないから、チェスターの子供に術士を継いで欲しいって、皆思うだろうからね。・・・考えてみると、チェスターの人生は、もうほとんど決められてしまってるんだよ。」
「・・・・・・。」
カレルの言葉に、トトは考える顔になった。
確かに、カレルの言う通りだった。その出自、コーセルテルに辿り着くことになった理由は様々だったが、竜術士のなり手は基本的に外界の出身者である。心に癒し難い傷を負っている者も多いが、それで外界との繋がりが断絶するわけではない。事実、術士を引退した後、コーセルテルの外に移り住む者も少なくない。
しかし、チェスターはこのコーセルテルで生まれ、コーセルテルで育った人間だった。その上、竜の血を半分とは言え受け継いでいるとくれば、どう考えても“普通の人間”としての一生を送れるはずがない。コーセルテル、そして光竜族に縛られて送る一生は、さぞかし窮屈なものだろう。
「だからチェスターには、ここではせめて、のんびり過ごしてもらいたいんだ。僕にとっても、同年代で本音をぶつけ合える、貴重な友人でもあるわけだから。・・・どうかな、トト。やっぱり、甘いかな?」
「・・・・・・。おまえの考えは、わかった。・・・おれも、今後はそのつもりでチェスターに接することにする。」
「うん。・・・ありがとう、トト。」
「しかしな。やはり、この“家出”は止めさせた方がいい。何日もここに居座ることになるようだと、今度は光竜術士家と揉めることになりかねん。」
「ああ、それは大丈夫。今日も多分、夕方には“お迎え”が来るだろうからね。」
笑いながら頷いたカレルが、ここでチェスターがいる居間の方をちらりと振り返った。
「というわけで、トト。チェスターに、何かお土産を持たせてあげたいんだけど。」
「仕方ないな。確か、分けてもらった蜂蜜がまだ残っていたはずだ。・・・あれを使って、何か焼き菓子でも作ってやるとするか。」
「うん、いいんじゃないかな。トトのお菓子はおいしいからね。」
「ふん。褒めても何も出ないぞ、カレル。・・・言い出したからには、もちろんおまえも手伝えよ。」
「もちろんだよ。何でも言ってよ。」
小さく溜息をついたトトが、それでも満更でもなさそうな顔になると、座っていた椅子から立ち上がる。腕まくりをしたカレルは、その後について台所へと向かった。
午後はまだ、始まったばかりだった。